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石田宗應 声に出さねば伝わらない

◇◇


 慶長一八年(一六一三年)三月三日――

 

 ちょうど大坂城で千姫の『鬢削』の儀式が和やかな雰囲気で行われている頃。

 彦根の街も春を謳歌する人々の笑顔であふれていた。

 その中にあって一人だけ堅い表情のまま、足早に歩く男の姿があった。

 石田宗應であった。

 彼は人目を避けるように一点を目がけて足を動かしている。

 彦根はかつて宗應が治めていた佐和山の目と鼻の先にあるわけで、そこで暮らす人々は、元は彼の領民だった者たちばかりだ。

 だからこそ宗應は彼らに顔向けできないと思いこんでいた。

 なぜなら彼は関ヶ原の戦いで彼らを見放したまま、自分の正義を貫いたのだから……。

 

 人々はそんな彼が誰なのか気付こうともせずに、うららかな春の陽射しと、舞い落ちる桜の花びらに心を躍らせているようだ。

 宗應は懐かしさよりも、申し訳なさに胸を痛めながら、自分の目的地へと急いだのだった――

 

◇◇


 彦根 龍潭寺りょうたんじ――

 

 豪徳庵ごうとくあんと称して小さな屋敷が建てられていただけのその場所も、この頃では龍潭寺と立派な名がつけられるほどに、しっかりと整備された。

 その一室で石田宗應の妻、うたが、子猫の背中をなでながら外を眺めていた。

 といっても彼女の両目は光を失ってから長い時間が経っている。

 それでも彼女は、庭に咲き誇る桜の木々を胸のうちに描きながら、彼女なりに春の一日を楽しんでいたのだった。

 

 とそこに寺の住職である昊天こうてんが、にこやかな表情でやってきた。

 

「おや、うたさん。今日は御一人でしょうか?」

「ええ、今日はこの子だけですよ」


 と、うたは穏やかな口調で猫を指差して答えた。

 昊天は彼女の隣に腰をおろすと、彼女が向けている視線に自分の視線も合わせた。

 

「ここに桜を植えてよかった。とても綺麗に咲いておりますよ」

「ふふ、とても良い香りがしておりましたので、そうだと思っておりました」

「ふむ。うたさんにはいらぬお節介でしたな」

「ふふ、そんなことはございません。声に出していただくまでは、まことかどうか分かりませんもの」

「そうおっしゃっていただくと、拙僧のお節介も救われるというものです。ところで新しくここにやってきた下人とはうまくいっておりますかな?」

「ええ、やはり同じおなごというのは良いものです。細かいところまで気を回していただけますので」

「はははっ! それではこれまで一生懸命奉公していた津田重氏殿が浮かばれませんなぁ」

「ふふ、そんなことはございません。重氏殿には感謝してもしきれぬほどなのですから」


 なお津田重氏は、大坂冬の陣が始まった一昨年から大坂城へ招聘されたため、ここを惜しみながら出ていった。

 そんな彼と入れ替わるようにして、とある女性が奉公を始めている。

 

「そういえば彼女は今日はここにはいないのでしょうか?」

「ふふ。あの子も猫のようですから」


 うたがそう答えた直後に、彼女の膝の上でうたた寝していた子猫が「にゃあ」という可愛らしい鳴き声をあげて、外へと飛び出していった。

 昊天は、追いかけることもなく、微笑ましい顔で子猫の行方を目で追っていく。

 すると子猫は寺の塀の向こう側へと姿を消していってしまった。

 

「気まぐれ、ということですな」

「ええ、その通りです」


 他愛もない会話が弾むのも、春の陽気のおかげなのだろうか。

 普段は東へ西へ忙しくしている昊天であったが、時を忘れて彼女とともにのんびりと外を眺めていたのだった。

 

 さて、そんな折のことだった。

 てくてくと寺の小僧が廊下を走ってきたかと思うと、ぺこりと二人に対して頭を下げてきたのである。

 

「おや、どうした?」


 昊天が穏やかな口調で問いかけると、小僧は甲高い声で答えた。

 

「うた様に御客様が御見えです」

「わたくしに……? はて、どなたでございましょうね」

「御通ししてもよろしいでしょうか?」

「はい、どうぞ御通しください。ふふ、どなた様でしょうかね」


 そう答えて笑顔を見せるうた。

 昊天は彼女の横顔を見て、目を丸くした。

 

――この御方の場合は、声に出されなくとも分かることは多そうだのう。


 と、彼は心の中でつぶやいた。

 もはや彼女のきらきらと輝く顔を見れば、誰が彼女をたずねてきたかはあきらかだ。

 どうして彼女がその人物の来訪を気付けたのかは分からない。

 風の香り、小さな足音、それとも目に見えぬなにか……。

 昊天は静かに立ち上がると、邪魔にならぬようにと気遣って、そっと部屋から立ち去ったのだった。

 

◇◇


「うた様、御連れいたしました」

「ありがとう。では、昊天様にもよろしく御伝えください」

「はいっ!」


 元気な返事とともに小僧が下がっていくと、うたと来訪者の二人だけとなる。

 すぐにうたの方から声をかけた。

 

「御約束通り、お越しくださいましたね。あなたさま」


 声に出さなくとも、来訪者の顔も背格好も全て彼女の心の中にははっきりと分かっていた。

 愛する夫、石田宗應であると……。

 

「ああ、遅くなってすまなかった」


 宗應は短く言うと、そっと彼女の横に座った。

 そして、それは彼女にとっては『夢』がかなえられた瞬間だった。

 

「ありがとうございます」


 彼女はまるで乙女に戻ったかのような緊張に包まれたまま、小さく頭を下げた。

 すると宗應が口を開いた。

 

「いや、礼を言うのはこちらの方だ。今まで、達者に生きていてくれてありがとう」


 宗應の言葉に、うたは少なからず驚いていた。

 なぜなら彼女の知る宗應は、軽々しく『謝罪』や『感謝』を口に出す人ではなかったからだ。

 ただし彼が口に出したそれらの言葉に、一寸のかげりはなく、純粋な彼の気持ちを映しているのだから、むしろ喜ばしいことだった。

 

 そんな彼女のとまどいを宗應は見逃さなかった。

 

「俺にいったい何があったのか、驚いているようだな」

「ええ……以前のあなたさまは家内では無口でしたから」

「ふふ、そうだな。以前までの俺は『家族なのだから言わずとも分かってくれ』とひとりよがりであったからな」

「実際に声に出していただかなくとも、よく存じ上げておりましたよ」

「ああ、うたは良くできた妻だからな。しかし、こうして声に出して伝えることに意味があると、俺は思い直したのだ」


 ふっと優しい春の風が彼らのほほを通り過ぎた。

 うたはまるで浮世から離れているかのように、身も心も暖かいものに包まれながら、宗應の言葉に耳を傾け続けた。

 

「秀頼様も源二郎も、そのほかの者たちもみな、言いたいことを言って、喜んだり怒ったりしている。そうしてみなの結束は、どの家にも負けぬほどに強くなっていったと、俺は信じているのだ」

「そうでしたか。それはよい御当主様と御仲間に囲まれましたね」

「ああ、秀頼様とみなには本当に感謝している」


 ここで話を一区切りした宗應は、しばらくうたと二人で春のやわらかな陽射しと小鳥たちのさえずりを堪能した。

 

 うたは、ふと何かを思い起こしたかのように口を開いた。

 

「そう言えば、わたくしは『猫』のような方にお世話をしていただいているのですよ」

「ほう……名はなんと申す?」

「名はたしか……『一葉』を申しておりました」

「一葉か……」

「お知り合いでございますか?」

「いや、初めて聞いた名だ」

「ふふ、とても恥ずかしがり屋で、それでいて少し頑固なところもあって……おまえさまにそっくりな方なのです」


 宗應は口元に穏やかな笑みを浮かべると、目を細めながら言った。

 

「そうか。実は俺も同じような者に奉公してもらっていたな」

「さようですか」

「ああ。ただ、これ以上は危ない仕事をさせたくなくて、暇を出したのだ」

「まあ、そうでしたの」

「美しいおなごでな。俺のもとにいても幸せになどなれぬ。ゆえに最後は『これからは自分の幸せだけを考えよ』と言って送りだしたのだ」

「ふふ、おまえさんらしい」

「そうか?」

「ええ、相変わらずおまえさんは、おなごのこととなるとからっきしなのですね」

「どういうことか?」

「その方が最後に聞きたかったのは、おまえさんのお気持ちだったのではありませんか?」

「俺の気持ち……」

「ええ、そうです」


 そこで二人の会話は一旦途切れた。

 春の爽やかな風で木々が揺れる音だけが、辺りを包む。

 

 そして……。

 宗應が再び口を開いた。

 

「俺は『幸せ』であった。いつも側で仕えてくれたことを、心より感謝している。芽から葉となり、最後は花を咲かせることを心より祈っている」


 うたは優しい笑顔を宗應に向けた。

 宗應は、ほんのりと頬を紅く染めながら、静かに席を立った。

 

「ではまたここに来るとしよう。残念だが、泰平の世になったとは言え、俺は徳川に二度も喧嘩を売った男だから、お主をここから連れて帰るわけにはいかんのだ」

「ええ、最初から分かっております」

「では、達者でな」

「ええ、おまえさまも」


 別れの挨拶を終えた宗應は、一人で部屋を離れていった。

 そうして再びうたは部屋に一人となる。

 

 いや……。

 

 そこにはもう一人いた……。

 

 かつて『初芽』と呼ばれ、今は『一葉』と名を変えた、麗しい女だ。

 彼女は必死に声を殺しながら、大粒の涙を流している。

 嬉しくて、嬉しくてたまらないからだ。

 溢れる感謝と情愛が、彼女の涙腺を刺激し続けていた。

 うたは笑顔のまま、壁際の影と一体になっている彼女に声をかけた。

 

「そんなところに立っていないで、こちらにおいでなさい」


 彼女は言われるがままに、うたの前まで足を運ぶと、隣に腰をおろした。

 するとうたは手探りで彼女の頭に手をのせると、優しくなではじめた。

 

「一葉。おまえに一つだけ言わねばならぬことがあります」


 少しだけうたの調子が変わったことに、彼女は涙を止めて姿勢をただした。

 ただうたは慈愛に満ちた口調で言ったのだった。

 

「声に出さねば伝わらぬことばかりです。だから、これからはきちんと声になさい。いいですね」


 彼女は目を丸くしてうたを見つめた。

 驚きのあまりに言葉を失っている彼女に対して、うたは優しく続けた。

 

「特に『不器用な男』なんて、声に出しても伝わらぬことが多いのだから困ったものです」

「は、はい……」


 くすくすと笑ううたに、ようやく彼女は短い返事をもらした。

 するとうたは、手を頭から背中へ移して言ったのだった。

 

「さあ、いってきなさい。そして今度ははっきりと声に出すのですよ」

「え?」


――グイッ。


 彼女の背中が、うたによって強く押されると、彼女はすくりと立ち上がった。

 そして自然と足が動き始めたのである。

 そんな彼女の背中に、うたの声がかけられた。

 

「おまえが何を想っているのか。しっかりと声に出してお伝えなさい。誰かと想いを通じ合うのが、『幸せ』というものなのだから」


 その言葉は彼女の背中に翼をはやす。

 そして彼女は疾風のようになって廊下を駆けていった。

 ただ一人の背中を追いかけるために――

 

◇◇


 こうして今度こそ、一人きりとなったうた。

 まだ春の日は、暮れるまでに時間がありそうだ。

 彼女は再び外を眺め始めた。

 すると……。

 

――みゃあ。


 と、先ほどどこかへ行ってしまった子猫が戻ってきた。


「ふふ、どうやら一人にはさせてもらえないようですね。よいですよ。こっちへきなさい」


 彼女の声に応えるように、再び彼女の膝の上に収まる子猫。

 彼女は優しく子猫をなではじめた。

 

「ふふ、わたくしのことを『お人好し』と思っているのでしょう? そんなことはありませんよ。わたくしはただ一人でも多くの方に『幸せ』になって欲しい、そう思っているだけなのですから。それに妬いたり、憎んだりするには、歳を取り過ぎました」


――みゃあ。

 

 子猫が甘えるような声を出す。

 うたは変わらぬ笑顔で、雲ひとつない青空の方へ顔を向けたのだった――

 



御一読いただきまして、まことにありがとうございました。

次回は『大友義統』になります。


書籍版もよろしくお願いいたします。


2月5日(月)より幕末物の新作を公開する予定です。

こちらもお楽しみいただけると幸いです。

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