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真田昌幸 悲嘆の兄③

◇◇


 まさに世紀の瞬間だった。

 なんと……。

 徳川家康、本多正信、真田昌幸の三人が同じ場所で酒宴をおこなおうとしているのだ。

 しかも酒とつまみを送ってきたのは、豊臣秀頼なのだ。

 本来ならば江戸城の本丸御殿か、二条城の大広間で行われるべき会談といえようが、そこは質素な作りの沼田城の客間であった。

 

 席は、家康と正信の二人が並び、すこし間が空いて対面するように昌幸と、彼の側近である高梨内記の二人が並んでいる。

 なお、当主の真田信之は、下座で全員を見回せるような位置に座っていた。

 みなが揃ったのを確認した信之は、震える声であいさつを始めた。

 

「こ、こ、こ、このたびはお日柄もよく……」

「おいっ! 源三郎! それではまるでわしと大御所殿が夫婦になるようなあいさつではないか!」

「ふんっ! そもそもあいさつなどいらんわ! もっと言えば、酒もいらん! わしらは、安房守があまりにも調子に乗っておると耳にしたので、厳しく取り締まってやろうと思っておるだけだからのう!」

「かかか! それがよいとわしも思いますぞ! なにせわしと飲み比べをすれば、大御所殿は酔いつぶれて、取り締まりどころではなくなってしまいますからのう!」

「なにぃ!? お主……この徳川家康と飲み比べをして、勝てると思っておるのか?」

「かかか! 酒と戦ではお主に負ける気がせんでのう!」

「ふんっ! 言ってくれるではないか! では、試してみるか!?」


 酒宴が始まる前から、一触即発の雰囲気を醸し出す家康と昌幸の二人。

 

――ザザァァァッ!


 信之は下座から床を滑りながら彼らの間に割り込んだ。

 

「こ、今宵は楽しくやりましょ? ねっ? 楽しくね!」


 信之は、あまりの困惑と焦りに口調がおかしくなっていることに気付いていない。

 そんな彼の必死な様子を見て、正信がゆったりとした口調で言った。

 

「ほほっ。まさに伊豆守殿のおっしゃる通りでございますな。殿も安房守殿も、ここは酒の力をお借りして、仲良くお過ごしくださいませ」

「はんっ! 古狸の隣に古狐ありってか。まあよいわ。せっかくの馳走と酒がまずくなるのは、本望ではないからのう!」

「ふんっ! 珍しく意見が合ったのう! わしも可愛い孫が送ってくれた酒を美味しくいただきたいからのう」

「はんっ! 勘違いするでない! これはわしの息子の源二郎から送られたものじゃ!」

「ふんっ! ずらりと揃えられた高級品の数々を、お主の息子のような田舎者が買い揃えられるわけがなかろう!」

「はんっ! 揃えたのは秀頼公で、送ってくれたのは源二郎。そして大御所殿は単にそれらを口にするだけ。つべこべ言わずに二人に感謝しながら食って、飲めばよいのじゃ!」

「ふんっ! 秀頼の祖父は、このわしじゃ! お主もわしに感謝するがよい!」

「はんっ! それを言うなら、源二郎の父はわしじゃ! 大御所殿はわしに感謝するがいい!」


――ザザァァァッ!


 席に戻ったばかりの信之が再び二人の間に滑り込む。

 

「だ、だから! 今宵は喧嘩はなしで! ね!」


 ああ言えばこう言う二人、彼らの間に挟まれる信之、場の様子をつまみにしながら旨い酒に舌づつみをうつ正信と内記。

 そんな五人で過ごす夜は、あっという間に過ぎていったのだった――

 


 翌日――

 朝餉を取り終えたところで、早くも家康が沼田城を去る時を迎えた。

 ただし、本来の『目付け役』である本多正信だけは、引き続き城に残るという。

 そして出立の寸前まで、家康と昌幸の言い合いは続いていたのだった。

 

「ふんっ! くれぐれもわしの目を盗んでいらぬことを考えるでないぞ!」

「はんっ! それはこっちの台詞じゃ!」

「ふんっ!」

「はんっ!」


 昨日から向こう三年分の汗をかいたと思われる信之は、白い顔をしてげっそりとしている。

 そんな彼に代わって、妻の稲姫が出立を目前に控えた家康の側へ寄った。

 

「大御所様! またいつでもお越しくださいませ! きっと亡き父上も御喜びになりましょう!」


 家康は先ほどまでの不機嫌な表情をコロリと変えて、喜びを満面に表して言った。

 

「うんうん。『邪魔者』がいなくなったら、いつでも会いにくるとしようかのう」


 チラリと家康の視線が昌幸に移る。しかし稲姫は、家康が昌幸の隣で死んだ魚のような目をしている信之を見たと勘違いしたらしい。

 彼女は顔を真っ赤にして言った。

 

「大御所様! たしかに信之殿は跡継ぎにも恵まれ、もはや沼田にとって『邪魔者』となってしまわれたかもしれませんが、わらわにとっては大事な夫でございます! もし大御所様が信之殿がいなくならねば沼田に来られないとおっしゃるなら、これがわらわと大御所様の今生の別れとなるでしょう!」


――ああ……稲よ。すごく嬉しいような、哀しいような、難しい感情を生む言葉を言わないでおくれ……。


 と、信之は顔を引きつらせながら、心の中で嘆いていたのだった。

 家康は稲姫に対して、「さようか。これからも信之殿と仲睦まじく暮らすのだぞ」と、笑顔でうなずきながら言うと、信之らに背を向けて、城から外に出ていった。

 

 家康が立ち去ったことで、どこか気の抜けた城内は、ひっそりと静まり返った。

 昌幸は口をへの字に結ぶと、誰にも何も告げずに、その場を立つ。

 そんな彼の背中を『目付け』の正信は、無言でついていったのだった――

 


 自分の部屋に戻ってきた昌幸。

 正信も後に続くようにして同じ部屋へと入った。

 そして二人とも腰をおろすなり、昌幸の方から正信に向かって問いかけたのだった。

 

「どうして家康を連れてきた」

「はて……? 大御所様はご自身の行動は全てご自身で決めておられますゆえ、それがしには分かりかねます」

「はんっ! 隠さんでもよいわ。どうせお主の差し金であろう」


 正信は穏やかな笑顔を浮かべると、とまどいもせずに言いきった。

 

「安房守殿の望みを、殿がかなえてくださっただけでございましょう」

「わしの望みじゃと?」

「ええ。殿と旨い酒を酌み交わしたいと」

「はんっ! 馬鹿を言うな! いつわしがそんなことを……」

「では、なぜ秀頼公と幸村殿は、誰に出しても恥ずかしくない、最高級の酒とつまみを送ってこられたのでしょう。彼らも気付いていたのではありませんか。安房守殿が、江戸から送られてきた人々を追い返してきた真意を」


 昌幸は、正信の言葉に対して、何も返さずにそっぽを向いた。

 正信は目を細めながら小さくうなずくと、昌幸に問いかけた。


「はて……? それがしには『問答』とやらをやってはもらえないのでしょうか?」


 昌幸はちらりと正信を見ると、再び目をそらして答えた。

 

「はんっ! お主を追い返してしまったら、今度は軍勢が押し寄せてきかねないからのう。この辺で勘弁しといてやるわ」

「ほほっ。それはそれがしの『不戦勝』ということでよろしいのでしょうか?」

「はんっ! なんとでも言え! 単に飽きただけだ!」

「ほほっ。では、それがしがありがたく『真田安房守殿の目付け役』を頂戴するといたしましょう」


 正信の言葉を最後に、しばらく沈黙が続く。

 

 季節はすっかり秋。

 時折部屋に入ってくる優しい風が心地良い。

 

 

 

 そして……。

 

 

「なあ、正信殿。二つほど頼まれてくれんかね」



 と、昌幸が相変わらず外を見つめたまま、重い口を開いた。

 

「ほほっ。こんな老いぼれでよければ、なんなりと承りましょう」


 正信もまた、昌幸と同じ方向を見ながら答えた。

 昌幸は一度大きく息を吸うと、ゆっくりと噛みしめるように願いごとを口にしたのだった。

 

「伊豆守のこと。それに真田のこと。くれぐれもよろしく頼み申す」

「はい。しかし心配にはおよびませんでしょうな。伊豆守殿は、しっかりとしておられる。たいした御方じゃ」

「はんっ! 今さら世辞はよいわ。……まあ、悪い気はせんが……」

「して、もう一つの願いとは?」


 正信の問いかけの直後に、一陣の風が木々を揺らした。

 がさがさと音を立てながら、数枚の赤色をした葉っぱが、ひらひらと落ちていく。

 その様子を昌幸はじっくりと見ていた。

 そして葉が地面に完全に落ちた頃合いを見計らって、口を開いた。

 

 

「家康に……長生きしろよ……と、伝えてくれ」

 


 正信の目が一瞬だけ大きく見開かれたかと思うと、その直後には元の穏やかな表情に戻った。

 

「ほほっ。昨日あれほど長い時間を共に過ごしていたのに、なぜ直接言われなかったのでしょう?」

「はんっ! 武士には言えねえ言葉があるのは、お主もよく知っておろうに」

「ほほっ。たしかにそうでしたな。では、その言葉。たしかに殿にお伝えしましょう。では、それがしからも殿からお預かりしている言葉がございます」

「ほう……」


 昌幸は正信の方に向き直った。

 正信もまた昌幸の方へ体を向けると、力強い口調で家康からの伝言を告げたのだった。

 

「次も負けん! とのことでございます」


 昌幸の目が大きく見開かれる。

 

 次『も』負けん――

 

 それは『前回も負けなかったが、次も負ける気はない』という強気な姿勢を意味しているのは間違いないだろう。

 ただし、昌幸は家康と繰り広げてきた戦に負けたつもりはなかった。

 それを彼はさも自分が勝ってきたかのように言い放ったのだ。

 

 しかし昌幸は憤りなどさらさら感じなかった。

 むしろ湧きあがる興奮と喜びを抑えきれずに、大きな声で笑い始めたのである。

 

「かかかかかっ! よい! よいぞ! 家康!! それでこそ徳川家康じゃ! かかか!」


 昌幸の心の底から喜びは、明るい笑い声となって部屋の中に響き続けたのだった――

 


◇◇

 

 家康が沼田城を去ってから、わずか五日後――

 

 

 真田昌幸は、眠るように息を引き取った。

 彼は、部屋から秋空をのんびりと眺めていた最中に、「少しだけ眠るとするかのう」と壁にもたれかかり、そのまま目を覚まさなかった。

 享年六二。史実よりも一年だけ長く生きたことになる。

 

 その死はあまりに前兆がなく、常に彼の側にいた高梨内記ですら、彼の異変に気付かなかったと言う。

 

 その報せを受けた信之は、「俺は信じないぞ! また騙されるのは嫌だからな!」と言ってきかなかったらしい。

 しかし、哀しみにくれる内記の姿を目の当たりにして、やっと事の重大さに気付き、大いに嘆き悲しんだ。

 同時に信之は、『ようやく』気付いたのだ。

 父の真意に……。

 

 父がなぜ沼田城へやってきたのか。

 それは、父が『死に場所』として相応しい場所を選んだからに他ならないということ。

 つまり長男や孫たちに囲まれた、沼田城で死にたかったのだ。

 

 父がなぜ何度も幕府からの目付け役を追い払ったのか。

 それは、父が『最期の時』を、相応しい人と過ごしたかったからに他ならないということ。

 つまり、彼が何度も戦ってきた本多正信のような人物と過ごしたかったのだ。

 

 父が言った『まごころ』を、信之は最後の最後まで見ようとしなかった。

 そのことがたまらず悔しくてならなかった。

 

「父上ぇぇぇ!! 馬鹿な息子をどうか、お許しくだされ!!」


 信之の悲嘆は夜が明けるまで続いたのだった――

 

 

◇◇


 真田昌幸がこの世を去ってから数日後――

 

 葬儀も滞りなく終わり、冬の足音が聞こえてきそうな肌寒い夜空のもと、真田信之と幸村の兄弟が、沼田城の一室で静かに酒をくみかわしていた。

 

 実に一〇年以上ぶりの二人の再会が、くしくも父親の葬儀の場になろうとは、二人とも想像すらしていなかったに違いない。

 話したいことは山ほどあるはずの二人だが、亡き父を偲び、この時ばかりは言葉少なく過ごしていたのである。

 

 そんな中、信之の方からぼそりとつぶやくように幸村に問いかけた。

 

「なあ、父上の『夢』とはいったいなんだったのであろうな」


 幸村は兄の問いかけにしばらく間をおくと、透き通った声でゆっくりと答えた。

 

「それは父上にしか分かりませぬ」


 あまりに迷いのない答えに、信之は目を丸くして幸村を見たが、再び酒の方へ視線を移すと、口元に笑みを浮かべながら言った。

 

「そりゃ、その通りだな。では、あの世へ行ったら父上にうかがってみるとしよう」

「ええ、もうしばらく先になりそうですが……」

「はははっ。そうでもないかもしれぬぞ。俺なぞは、毎日寿命が縮まるような目にあわされているからな。もはや一〇年も身が持たぬと思うのだ」


 なお史実の通りなら、信之はあと四六年も生きる。

 そのことを知るはずもない幸村だが、ふっと笑みを漏らすと静かな口調で言った。

 

「兄上にはまだまだ元気でいてもらわねば困ります」

「やめてくれ。あまり長生きし過ぎると、体より心がもたんからのう」

「ふふっ。それもそうですね」

「その通りだ。じゃあ、今宵はもう少し酒を共に飲もう」

「ええ、お願いします」


 二人だけの時間がのんびりと過ぎていく。

 今夜だけは、信之の悲嘆の声が沼田の空に響くことはなかったのだった――

 

 


御一読いただきまして、まことにありがとうございました。

真田昌幸公に敬意を表して、締めくくりたいと思います。


次回は『石田宗應』になります。

その次は『大友義統』です。

最後は『明石全登』になります。

あまりだらだらと後日談を続けるのもどうかと思いますので、それで終いにしようかと思います。


書籍版もどうぞよろしくお願いいたします。


2月5日(月)より新作を公開いたします。

舞台は幕末ですが、主人公は近藤太一くんです。

まあなんとなくイメージがつくとは思います。

といっても本作とは何のつながりもありませんので、まっさらな感じでお楽しみいただければと思います。

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