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真田昌幸 悲嘆の兄①

◇◇


 慶長一七年(一六一二年)六月五日――


 鬱陶しい長雨の季節もようやく終わりが見えてきた頃。

 大坂城の真田幸村宛てに一通の手紙が届けられた。

 

 彼は送り主の名を目にした途端に、顔をほころばせた。

 

「おや? 幸村よ。なにやら嬉しそうだのう」


 秀頼がにこやかに声をかけると、幸村もまた笑顔となって答えた。

 

「ええ、沼田の兄上から書状が届いたのです!」

「おお! 真田信之殿か! なあ、われにも読んで聞かせてはもらえんか!?」

「ええ、もちろんでございます! では、いきます……」


 そう大きく息を吸い込んだ幸村であったが、信之の書状の冒頭に目をやった瞬間に固まってしまった。

 そんな彼の様子をいぶかしく思った秀頼は、幸村の顔を覗き込んだ後に、彼の手をかいくぐるようにして、書状に目をやった。

 そして自分で声を出して読み始めた。

 しかし秀頼もまた、あまりに衝撃的な出だしに口を大きく開いてしまったのだった――

 その出だしとは……。

 

 

「源二郎! お前はなんてことをしてくれたのだ!? このままではお家がお取り潰しになるかもしれんのだぞ!」



 というものだった――

 

 

◇◇


 信之の悲嘆を紐解くために、少しだけ時を戻す。

 それは『大坂夏の陣』が終わり、幕府軍が一斉に解散になった後のこと。

 

「ただいま戻りましたぁ!!」

「戻りましたぁ!!」


 という二人の元気な声が沼田城内に響き渡った。

 彼らは真田信之の息子たち、長男の信吉と次男の信政であった。

 彼らは真田軍を率いる大将と副将として参戦し、無事に沼田城へと帰還を果たしたのだった。

 

 彼らの声が響き渡った瞬間に、

――ワアッ!

 と、城内は大歓声に包まれる。

 百戦錬磨の真田の重臣たちが支えていたとはいえ、彼らは戦を全く知らない若者なのだ。

 家族だけでなく、真田家に奉公する全ての人々が固唾を飲んで二人を待っていたのは想像に難くない。

 

 そして二人の出迎えの輪の中には、彼らの父であり沼田藩藩主の真田信之、稲姫それに信之の側室たちも含まれていたのだった。

 

「よう帰ってきた! 帰りの道中は問題なかったか!?」


 信之は、二人の息子たちに対して、「くれぐれも帰り道には気をつけよ」と何度も言い聞かせてきた。

 それは戦の後は決まって『落ち武者狩り』が横行するものだからだ。

 幕府の統制によって、狼藉を働く者はだいぶ姿を消したが、それでも牢人と呼ばれるあぶれ者たちは少なからず各地に点々としている。

 今回の戦は『勝ち負けなし』といったところだが、あぶれ者たちがいつ便乗して襲いかかってくるとも限らないと、心配性の信之は胃を痛くしながら若い息子たちを案じていたのだった。

 そして父の問いかけに次男坊の信政が胸を張って答えた。

 

「われらは行軍の『極意』を教わりながら戻ってきましたゆえ、何の問題もございませんでした!」

「行軍の極意だと? 誰にそんなことを教わったのだ?」


 眉をひそめる信之に対して、今度は長男の信吉が答えた。

 

「はいっ! 神算鬼謀にして神出鬼没の名将でございます!」


 無邪気な笑顔の息子の答えに、信之は『嫌な』予感がして、ぐらりと眩暈を覚えた。

 

「殿! 危ない!」


 と、慌てて稲姫らが信之の体を支えようとしたが、彼はそれを片手を上げて制すると、城門の奥まで聞こえるような大声を上げたのだった。

 

「その『神算鬼謀にして神出鬼没の名将』とやらをつまみ出せ!! 絶対に城に入れてはならん!!」


 信之の剣幕があまりに厳しいものだったので、それまで湧きあがっていた城内は静まりかえる。

 一方の信之は、人々が顔を青くする中、真っ赤な顔で鼻息を「ふー、ふー」と荒くしながら、しきりに辺りを見回していた。

 

 ……と、その時だった。

 

「ばあああああっ!!」


 と、信之の背後で耳をつんざくような声が聞こえたかと思うと、彼の背中にずしりと人がのしかかってきたのである。

 

「のわわわわぁぁぁっ!!」


 突然のことに目玉を飛び出しながら驚いた信之は、子供たちの前では絶対に見せないほどに狼狽した。

 すると次の瞬間に、けたたましい笑い声が響き渡ったのであった。

 

「かかかっ! お主も脇が甘いのう!! 相手が『神出鬼没の名将』と聞いておきながら、背中に注意を向けんとは!」


 それは下人に扮した信之の父、真田昌幸であった。

 なんと彼は信吉と信政よりも前にこっそりと入城して、信之を欺いたのだ。

 すっかり腰を抜かした信之は、目の前で仁王立ちしている昌幸を指差しながら、震える声で問いかけた。

 

「な、な、なぜ父上が信吉らと共にいるのですか!?」

「かかかっ! そりゃあ、可愛い孫が帰り道で狼藉者に襲われないか心配でならなくてのう! こうしてわしが無事に城に届けてやったというわけじゃ!」


 その言葉に信之の隣で聞いていた稲姫が目を輝かせた。

 

「さすがは義父上でございます!! ただでさえ戦で疲れている身なのに、わざわざ信吉と信政を助けに駆けつけてくださるなんて! 稲は感動いたしました!!」

「かかかっ! まあ、わしらはじっと狸を待っておっただけだからのう。疲れてはないわ」

「なんと! あの大戦の中で、狸狩りをされるほどの余裕があったとは! さすがは義父上! 稲はますます感動いたしました! して、仕留めましたのですか!?」

「むむぅ。残念ながら仕留め損ねたわ。次があれば、必ずやこの手で仕留めてやるのにのう」

「大丈夫です! 義父上! 必ずや次がございます! その時は、稲もお手伝いいたしましょう!」

「おお!! かの本多平八郎の娘が手伝ってくれるとなれば、狸も確実に……」


 そこまで昌幸と稲姫のかけ合いが続いたところで、早くも頭痛を抱えた信之が二人の間に立った。

 

「それ以上は『絶対に』口にしてはなりませぬ。いつ、どこで、だれが聞いておるか、知れたものではございませぬゆえ」

「かかかっ! 相変わらず冗談が通じぬ男じゃのう!」

「そうです! 稲は本気で……」

「もうよいっ! と言っておろうに!!」


 信之がいつになく強い口調で稲姫を咎めた。

 すると再び、場の空気は凍りついた。

 

 そして稲姫がうつむくとともに、ふるふると震え始めた。

 

 何やら彼女の様子がおかしいことに気付いた信之は、慌てて彼女の肩に優しく手を乗せて話しかけた。

 

「稲よ! 勘違いするでないぞ! 今のは父上に申し上げたのだ……」


――パアアアン!!


 信之が言い終えぬうちに、彼の手は稲姫によって鋭く振り払われる。

 そして彼女は右手を大きく横に伸ばした。

 

 すると……。

――パシッ!

 と、侍女の一人が、彼女に薙刀なぎなたを持たせた。

 

――ブンブンブン!!


 それを軽々と振り回す稲姫。

 

――ビシッ!


 そしてついに信之に目がけて構えた。

 

「わらわは父上にさえ、かような手厳しい小言を言われたことはございませぬ!!」


 雷が落ちたかのような稲姫の声に、信之は顔を真っ青にしながら必死に弁明した。

 

「ややっ! だからさっきのは父上に……」

「問答無用!! わらわを愚弄したは、本多を愚弄したも同じ! かくなる上は、稲はその汚名を晴らさねばなりませぬ!」

「待て待て待て!! どうしてそうなる!?」

「ええい! 殿も男なら槍を持ちなさい!! ここで決着をつけねば、わらわは冥土の父上に顔向けができませぬ!!」


 一向に引くつもりがない稲姫に対して、両手を広げて『武器がない』ということを強調する信之。

 彼の様子を睨み付けた稲姫は、苦い顔をして吠えた。


「くっ! きたないぞ! 信之殿! 武器のない相手を攻められぬという、本多家の弱みを知っていながら……!」

「はははっ! 観念せい、稲! 勝負が始まらぬようでは、決着も着けられぬ! ならば、この勝負は『引き分け』じゃぁ!」


 まるで縄で捕らわれた虎の前で、わざとおどけているような仕草を見せる信之。

 しかし、気をつけねばならないのは、『悪ふざけ』で縄を切ってしまう阿呆もいるものということだ。


――パシッ……。


「むっ?」


 信之は右手に何か握らされた感触がしたので、そちらの方へ目を向けた。

 すると、そこには大きな槍を握った己の右手があるではないか。

 そしてその視線の先には、いたずらっ子のように笑顔を見せる昌幸の姿があった。


「右手を広げとるから、武器が欲しいのかと思ってのう。わし自慢の一振りを握らせてやたわい」

「はあぁぁぁぁぁぁぁああ!?」


 実の父親に「馬鹿ですか!? あんたは馬鹿ですか!?」と連呼する信之。

 しかし目の前の虎の縄は既に切られていた……。


「義父上。親不孝な嫁をお許しくだされ。武家の娘ならば、守らねばならぬ一分があるのです。殿を仕留めて、わらわも腹を切ります!」

「ちょっと待て、稲! これは間違いだ! なにかの間違いだから! 早まるな!」

「問答無用! 稲! いきます!! やあっ!」


――ブンッ!


 必殺の一撃が信之の喉元めがけて繰り出されると、彼はどうにかそれをかわした。


「おいっ! しゃれにならん!」

「殿は相手が真剣勝負を挑んできているのに、冗談と申すか! えいっ!」


――ブンッ!

――カンッ!


 今度は槍をぶつけて彼女の攻撃を防いだ。


「かかかっ! よいぞ! よいぞ! もっとやれ! おい! 内記! どっちに賭けるか!? わしは『稲』に賭けよう!」

「では、それがしは仕方ないので『信之様』に……」

「おいっ! 内記! 『仕方ない』とはなんだ!? のわっ!」

「殿! 勝負中によそ見をするとは何事ですか! お覚悟! えいっ!」


 

 こうして『壮絶な夫婦喧嘩』は、およそ四半刻(三〇分)も続き、両者ともに息切れとなって幕を閉じることになる。


「ぜえ……ぜえ……げ、源二郎め……なぜ父上を縛り付けておかなかった……源二郎のばかあああああああ!!」


 と、兄の悲嘆は沼田の空にこだまし続けたのだった――





ご一読いただきまして、まことにありがとうございます。

次回は『真田昌幸 悲嘆の兄②』をお送りします。

意外な結末に驚かれるかもしれません。


書籍版もどうぞよろしくお願いします。

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