第一章 ボクと神秘
衣服が濡れたままでは歩行に支障が出るので水切りをしていると、太郎様とカナデ様は適当に済ませ、もう帰ってしまうようでした。カナデ様が「また遊んでね」と色の濃い斜陽を背に言っていたので、これを遊びだと思われているようです。
ここまで来るのに遠回りしていたようで、帰りは遊具のない公園を横切りました。そこには球技絶対禁止と書かれた看板に加えて机と椅子だけがあり、広場と呼べるほど整備もされていないので、日が暮れると空き地のように何もありません。
先程とは違う住宅街を通ってみても、やはり荒れた土地ばかりが目立ちます。高齢化が進み、夫婦で暮らしていた老人が亡くなり、空き家ばかりが増えて取り壊すまではいいのですが、いくら安くなっても買い手が追い付かないとのことです。
まだ若いアキラ様が豪邸に住んでいるのは、仕事を失った方々のおかげで浮いたお金がアキラ様のような天才に回るからで、さらにどこも建築費用が安くなり、才能だけが理由とも言えないようです。とび職の方も仕事を失いつつありますし。
駐車場という看板が立てかけられた荒地を横目に気になっていた事を聞いてみました。それほど大した話でもないです。
「カナデさんも綺麗な方でしたがホクロが顔にありましたよね。ネロイドには見えなかったのですけれど何故でしょうか」
「あれは実在する人物だから当然だ。大学時代に水着姿とホールブレイン、つまり脳みその3Dデータをあのバイトが三〇〇万で買って、それを元におれと作ったのだ。学生の分際で金をかけすぎたがあれは本当にいい実験台だった。最近では行動も本人と見分けがつかんしな」
「街で見かけても声をかけていいのか迷いそうです」
「当時はそこまで頭が回らなかったが気にすることはない。本物のカナデはぶよぶよに太って人間らしい姿になっている」
女性の体重について臆面もなく語るのはアキラ様なりの冗談でしょうか、少し笑ってしまいましたが、確かに人間らしい事かもしれません。ボクも電力をエネルギーとして使いますが、蓄えて太る事はありませんし、発電衛星からマイクロ波で送られてくるため、昔の電池のように充電する必要がありませんからボクが故障しない限り電源が切れる事もないのです。
大学時代からカナデ様が作られたとなると今から七年ほど前となるのでしょうか。その頃にはもうケーブルを使わず充電出来ていたはずですが、当時にはネロイドを長時間動かせるほどの電池はないので、カナデ様の3Dデータを変える事なく、送られてくる電力で動くように内部の構造だけを変えた事になります。
「そこまでしてカナデ様と何年も一緒にいたかったのですから太郎様は一途な方ですね」
「お前も成果次第では長く使うぞ、安心しろ」
人間にいくら似せられたところでボクは道具です。必要でないなら捨てられるのが正しいのですが、ひとつ心配でした。
「先ほどの話のように、もしかしたらボクが逆らうかもしれませんよ?」
「天才は二人もいらん。そんな日が来たらそれ以上に凄いものを作ってやる」
アキラ様は常に前を向いていました。もしボクが逆らう日が来たとしたら、天才だからではなく、愚かだからでしょう。
家へ到着するとアオイ様にピザを作るよう頼みました。もしかしたら自分用に機材を改良している可能性もありますから作り方を見ていると、何の変哲もありません、ピザ生地用とチーズ用のパウダーをそれぞれ封を開け、チューブを接続してからスタートボタンを押すだけですることがなく、ノズルから出された黄色い物体にレーザーが当たるのを見るだけです。
カロリーも高くなく栄養面でも優秀と言えるのですが、アキラ様の場合ですと五枚ほど食べるそうで、アオイ様が前菜と言って用意した二枚を運び、追加で三枚焼いているのを見て、これがあの勇ましい肉体を作っているのだと理解しました。
それから六時間が経過してもアキラ様は部屋から出てくる事はなく、パソコンに向ってキーボードを打ち続けています。今朝も寝ずにいたと聞きましたが、ボクを呼び出したのは物置で部品の手入れをひとつひとつしている時でした。
「ユリカよ、完成したぞ! こっちへ来い!」
「もう出来たのですか!?」
ボクは手にしていた部品を丁寧に仕舞いました。これほどにも早く人間とネロイドが共存する事が出来るのでしょうか。
「見てみろ! あのバイトが夜な夜なカナデに何をしているかを探り出すプログラムだ!」
どんな表情をすればいいのか分かりませんでした。そんな事を知ったとしてアキラ様に何の得があるというのでしょう。
「なんだそんな残念そうな顔して。興味ないのか」
「興味がないと言えば嘘になりますが……」
「そうだろうそうだろう、人類の神秘だからな!」
人間の主な行動は調べる事が出来ますが、ネロイドと暮らしている方は別です。太郎様の傾向を知りたいと思いました。
アキラ様が示したのはシンプルな棒グラフです。録画された時間に太郎様がどれほど活動していたのかを示しています。
「これは、何を調べているのでしょう」
「太郎の行動が活発だった時間を表示してる。このグラフで言えば三回も盛んに動いていたのだな」
「家で激しい運動でもしているのですか?」
「あいつもまだまだ若いからな。三回くらいは多めに見てやろう」
アキラ様は子供のような表情で画面を見ていました。太郎様の事となるといつも楽しそうな表情をしているのでしょう。
「一番目のクライマックス一分前くらいから始めるとしよう。後学のためにもよく見とけよ」
画面には必死そうな顔と、細く健康的な太郎様が全裸で映し出されました。どうやら仰向けに寝ながら両足を上げているカナデ様にのしかかっていて、額からいくつもの汗が浮かび、汗と汗が結ばれ、カナデ様の上へこぼれ落ちていきました。
「えええ……」
勉強になると言われたのでボクは真剣に見ているのですが、アキラ様は怯えていました。恐らく凄い映像なのでしょう。
「音量が出ていません。こちらでしょうか」
「うわ、ああああ! そこに触るな! やめてくれ!!」
画面を触ろうとすると力強く止められましたが、目は逸らしませんでした。代わりにボクが記憶しなければいけません。
「こんなのを見てユリカは大丈夫なのか?」
「ボクには何が起こっているのか理解できないので、あとで太郎様に教えてもらおうかと思います」
アキラ様はなにかを言いたがっていましたがよく分かりません。画面の中では太郎様が叫びながら動きを早めています。
「うわすごい。ごめんなさいアキラ様、好奇心に勝てそうもないので音量を上げさせてください」
「やめろ!! わかったから!! 部屋から出るから!! あああああああああ!!!!」
あまりの叫び声に驚いてしまい、音量を元に戻しました。その頃にはアキラ様は部屋にいませんでしたが、動画の中での太郎様と叫ぶ瞬間が一致していたので、二人はきっと離れても行動が似てしまうほどには仲良しなのだろうと思いました。