第一章 ボクと太郎様
どこへ行くのかは知りませんが、アオイ様と呼ばれた女性が先導して玄関を開いたのを見て、落ち着きませんでした。本来ならボクがしなければいけない仕事なのに、その役目は最初から彼女の物であったかのようです。
街を歩いているだけなのにアキラ様はご機嫌でした。その後ろにボクが、また後ろにアオイ様という方が並んでいるだけです。
「いいか、ユリカ。ネロイドと人間の見分け方は簡単だ。綺麗だったらネロイドで、ブサイクだったら確実に人間だ。ちなみに紹介するまでもないが後ろの女もアオイという名のネロイドだ」
改めて紹介されたので振り返り、形式的にアオイ様と礼をしました。近くでよく見れば人間ではない事くらい分かりますが、ズームで見てしまうと歩行に支障が出ますからね。
「一応会話は成立するが人間らしい感情があるかと言われれば微妙だ。失敗ばかりするが身の回りの世話をする家政婦のようなものだな」
これほど美しい方がネロイドなのですから贅沢なものです。ボクもアキラ様が好むような外見をしていたらいいのですが、アオイ様と比較すればまるで大人と子供のようです。
道すがら、歩いている人達の顔を見てみました。アキラ様の説明によればあの方は顔が良いとは言えませんから人間で、その後ろを歩く女性はネロイドで、そして近くを掃除する八足の歩行型ロボットは単なる掃除を目的とされた物でしょう。
「女性の姿をしたネロイドが多いような気がしますがそういうものなのでしょうか」
アキラ様は振り向かずに前を歩き続けます。見せびらかすという自慢行為に多大なる集中力を費やしているのでしょう。
「統計などは知らないが男性型のネロイドは珍しくない。最近までは歩き方が不自然だったせいでスカートを使ってそれを隠せる女性型が流行ったとは表向きにはなっているのだがな。ちなみにユリカよ、お前はネロイドとして奴らと同等ではないぞ」
思わずボクは歩く速度を緩め、つま先から襟元まで観察してしましたが女性用の服を着ています。下着だってそうです。他のネロイドや女性と同じ扱いを受けているように見えます。
「では、なぜボクは作り出されたのでしょうか?」
アキラ様はメガネのズレを直すついでのようにボクの質問を答えてくれました。
「人間と同等のレベルで学習し、結論を出すにはそれ相当のスペックとデータが必要なのだ。量産型でなければ一体を作るのに四〇〇億も掛かる上に、さまざまな企業の協力が必要なのだ。海外ではグーグルを筆頭にマイクロソフトやバイドゥなど大手の検索エンジンを提供している企業がビッグデータを所有していたから、人工知能の研究において日本は置いてけぼりをくらった。しかしだ。他の国と日本のネロイド開発において圧倒的な差があったのは、人工知能を実体化する際に外見の作りが精巧であり美麗だったのだ。つまりは、人間と同じような外見をしていないと意味のない研究を唯一実現できる国が日本しかなかったのだ」
確かに、仮想空間でしたら外見は自由に設計出来ますが、現実ではそうもいきませんからね。ボクもてっきり自分は女性と同じ扱いを受けているものだと思い込んでいましたからアキラ様の目論見通りだったと言えます。
「なるほど、外見が悪い人たちの中で人間のふりをしてボクが生活をするわけですね。さすがアキラ様です」
「くふふ、まずは簡単な事しかさせるつもりはないがな。そのうち法廷に立ったり企業の社長にもなって貰うつもりだ。だあああっはっは!!!」
アキラ様はより一層大声をあげて注目を集めます。それを確認するように周囲を見渡すと、また顔をにやつかせました。
行きついた先はこれといって特徴のない量販店で、手に取った買い物籠の縁には液晶がありますが、調べてみると商品を籠の中に入れると自動で合計を出してくれるといった機能のようです。そんな事ボクでも出来るので必要ないのですが……。
そのまま磁気型のエレベーターで上りました。仮想空間などで見られた従来のエレベーターとは比べ物にならないほど静音性や速度に優れています。ただ、事故に弱いなどの欠点は変わらず受け継いでいますが……。
家庭用家電の並ぶ五階で降りるとアキラ様は周囲の商品には目もくれず、3Dプリンターコーナーの先にある修理受付と書かれた看板の下の店員へ胸を張りながら歩いていきました。その方はアキラ様よりも少しだけ身長が低く、比較にならないほど痩せていて、清潔感はありますがネロイドほど顔も良くなく、似たようなメガネを装着していました。
「久しぶりだなアルバイト」
アルバイトと呼ばれた男性は表情を変えず、顔と半身をこちらに向けたままでいました。どうやら顔見知りのようです。
「これもちゃんとした仕事だよ」
男性の声はとても落ち着いていて、突然の来訪に驚いたりしていません。後ろにいたアオイ様は深々と頭を下げました。
「お久しぶりです、太郎様」
「昨日会ったばかりだよ。また間違えてる」
太郎様と呼ばれた方はアオイ様のお辞儀に目もくれません。ただ力なくボクの方を見ていたので目が合いました。
「初めまして太郎様、ユリカと申します」
太郎様はボクの挨拶に返事をせず、じっと観察だけをしていました。口を開いたかと思えばアキラ様に話があるそうです。
「距離が近いな、愛玩用か?」
「相変わらず見る目がないな、アルバイトよ。別におれが子供趣味に目覚めたわけではない。世の中には天才でなければ任せられない仕事という物があるからな、ユリカの人工知能を育てたらその成果の分だけおれの懐が潤うのだ」
「へえ。今度こそ、ちゃんと成長するのか。何百億かけたんだか」
太郎様は先程より興味深そうにボクの全身を眺めました。ボクが凄いのではありません、アキラ様が天才なだけですよ。
アキラ様は変わらず饒舌に話していますが、話が長かったからでしょうか、太郎様は途中で飽きてそっぽを向きました。
「保育士や介護職、医者や動物園の飼育員でもいい。責任能力の問えない生物を扱う職業は命が関わるから人間でなければ信用出来ないが、それもあと五年だろう。ネロイドの方が信用出来る時代が来ればそれなりに金となる」
「また人から仕事を奪うのか。そのうち嫌われるぞ?」
「結構な話だろう。馬鹿どもが嫉妬に狂い、おれとお前みたいなブサイクが増えればネロイドの需要が余計に増えるぞ!」
「外見はまあ、ネロイドに勝とうとは思ってないけどさ。とりあえず自慢したかっただけなら、仕事の邪魔だから帰ってくれ」
太郎様はやはり落ち着いていました。アキラ様はだんだんと声が大きくなっていましたが、相手にされるのを断られると含み笑いをし、それすらも堪えきれなくなったのか大袈裟に笑い出し、周囲から注目を集めつつその場を立ち去りました。