第五章 ボクとしびれ
ボクはアキラ様の隣で体調に異常はないか見ていたいのですが、そんな事におかまいなしで、アキラ様はピザの方ばかりを見ています。一緒にいるのに相手にされていないのだと感じてしまいます。
「ユリカよ、さっき言っただろう。タブレットを持ってきてくれ」
「……先に太郎様を玄関先まで送ってきますね」
出来るだけアキラ様を仕事から遠ざけるための苦肉の策ではありました。本当ならばもっとはっきり言うべきなのかもしれませんが、それにはピザよりも真剣に向き合って貰いたいです。
部屋を出ると、うっかりそこにあった荷台に足をぶつけそうになりました。そういえば荷物が届いたまま放置していたはずですが、整理するのは仕事を手伝う事でもあるので複雑です……。
玄関では二人が靴を履きなおして、もう出ていこうとしているところです。慣れているので大丈夫かもしれませんが、アオイ様は玄関まで迎えに来ずに部屋の掃除をしているようでした。
「太郎様、今日は申し訳ございませんでした」
「ん、何が?」
深く頭を下げているので声しか聞こえませんが、ぼんやりとした気の抜けている返事でした。耳に届いた声を分析すると、苛立ちよりも、やはり疲れのほうが色濃く感じられてしまいます。
「アキラ様の代わりで太郎様に危険な目に合うかもしれなかったのですから、当然の謝罪です」
「別に今回に限らなくても謝って欲しい事なら山ほどあるけど、君が気にする事じゃないだろ」
顔を上げると、太郎様の手は玄関を開けようとしていて、今にも帰りたがっていそうでした。話を早く切り上げるべきではありますが、謝罪を簡単に済ませていいような問題ではないです。
代わりにでも謝罪しなければならない事を上げるとしたら、短い間ですが確かにありすぎるほどです。ここでその事について謝罪を続けると、逆に怒りをかってしまいそうでしませんが。
思い出すと呼び出したのも急すぎましたし、太郎様の事を普段からアルバイトなどと呼んでいますし、その他にもマナーとは遠い事ばかりしていました。それでも仲良いのは不思議です。
「多少でも危険があるならボクがあらかじめ察知して止めるべきでした」
「俺もアキラも何とも思ってないよ。実験なんてものは基本的に成功する方がおかしい」
「そういう物なのでしょうか…」
「失敗した方が納得する。特に俺らみたいなのにとってはさ、失敗するために実験するようなものだから」
照れ屋の太郎様にしては多くを語ってくれたような気がします。気のせいかもしれませんが。
聞いている側として、理解とはほど遠いです。失敗すれば時間と経費が無駄になりますから。
それでも本人の顔に焦りや動揺はなく、落ち着ていました。疲れているはずなのに、まして命の危険すらあったのに、それよりも失敗して納得する方が大事と太郎様は言っているのです。
「アキラ君の場合だと、成功していく度にやってみたい事が増えて余計忙しくみたいだからね」
隣で待っていたカナデ様がそう言うと、太郎様は軽く笑いました。その笑顔を見てカナデ様は穏やかに笑い返すのを見て、こういう場面で見せる笑顔もあるのかと感心してしまいました。
「今日のところは夜中に呼び出される心配はないだろうからほっとするよ」
太郎様は玄関を開けると、すぐには出ていかずに足を止めました。しばらくそのままじっとしていたかと思えばボクの方を見て、何か言うのを止め、今度はカナデ様へと向き直りました
「お前は残るか?」
「私も残ってあげたいけれど、今はユリカちゃんに任せておこうかなって思うの」
その口ぶりはいつもの自然体な人間らしくなく、気を使われてしまったのだと分かりました。演技するのはそれほど難しくありませんが、あえて分かるように、そう振る舞ったのでしょう。
「はい、出来る限りをします」
太郎様やアキラ様には普通の暮らしがあるかもしれませんが、ボクはアキラ様に好かれるしかないのです。ボクがアキラ様の手伝いをする事にどれだけの価値を置いているかなんてカナデ様やアオイ様にしか分からないでしょう。
立ち去る二人の背中を玄関の隙間から見ていると、単なる主従関係を超えて、家族のようにしか思えません。ボクも人間から遠くなれば、アキラ様とああいう風に歩けるのでしょうか。
他に優先すべき事を探してみても心当たりがないので、仕方なくアキラ様の部屋から寝室へタブレット端末を持っていきました。無理しないでください、と伝えてみても反応は薄いです。
問題が起これば困りますから、ウェアラブル端末である眼鏡を外さないようお願いしました。リストバンド型の装着もお願いしましたが、異常が起こりそうであれば目で分かりますから。
勿論、目を閉じて寝ていてくれるのが一番ですが、そんなことしてくれるようならこうしてタブレットを持ってこさせようとしたりはしないでしょう。淡いながら期待はしていますが……。
十分ほど隣で様子を見ていても一向に休もうとする気配がないどころか、より集中していて、する事がありません。仕方ないので席を立ち、その場を離れてみても何も言われませんでした。
別室でトイプードルに餌をやり、しばらく躾をしていました。犬というのは臭いで判断している部分も大きいらしく、ボクと仲良くなればなるほど、アオイ様にも懐いている気がします。
こうしてボクの元に駆け寄る姿を見ていると、犬なら言う事を聞いてくれるのにも関わらず、大人がボクの話を聞いてくれないのはなぜでしょう。アキラ様が天才だからかも知れませんが。
その後は着替えて宅配物を地下に届けました。中身は知りませんが精密機械だと聞いています。