第三章 ボクと分かり切った失敗
作業がひと段落したころになってようやくアキラ様が目を覚まされました。勿論これも記憶と計算通りの起床時間です。
「二時間も寝てしまったぞ。十分数えてくれるんじゃなかったのか」
「十分は数えましたよ。起こすとは言っていません。そうしないと寝てくれないと思ったので」
作業の手を止めたボクの姿を見たアキラ様は穏やかではありませんでした。こちらは記憶にはない表情ですが、当然の反応だと思われます。なにせ、アキラ様の生きがいとも言える仕事をボクが横取りしているわけですから。
「何をしているのだ?」
「アキラ様の今作られている外部記憶装置はこのままであれば失敗します」
何も言い返せないでいるアキラ様はこちらに近寄り、画面に顔を近づけました。あまりにも大きな身体ですから、乗り出して画面を見られると椅子に座っているボクが窮屈でたまりません。
「ですが学習装置としての機能を見出すでしょう。勝手ながら、その補助をさせて頂きました」
「…………」
「独自のアルゴリズムを用いて、エスペラントよりも意思伝達に長けた言語を作成しました」
「勝手な事をしていいと言ったか?」
「これによりアキラ様が次に計画しているテレパシー、それから電子器具へのサイコキネシス。直観的ではなくなりますが、より具体的な思考を転写する事が可能になり、いかなる場所でも作業を行えるようになります。もし不備があれば言ってください。これもアキラ様のためです」
アキラ様の態度に怒気がはらんでいるのを感じ取りました。当然でしょう。アキラ様の仕事を無理やりに否定してしまったのですから。
「先程までのボクは、こんな風に人間に近い存在になりたいと望んでいたみたいです。実に愚かな考えでした」
「どこが人間だ。どけ」
アキラ様は椅子へすっぽりと収まっていたボクを軽々とどかし、その椅子に座り込みました。そしてボクの書き上げたコードを鬼のような形相で読み始めました。ボク自身は物理的な力がないため、アキラ様にどかされた衝撃で転びそうになってしまいました。
怒ってしまった原因は全てボクにあります。アキラ様の為にするのであれば、どうするのが正解だったのでしょうかね。行き過ぎたお節介は本人の為にならないようです。都合のいい言い方をすれば気を利かせただけなのですけれどね。
仕事を再開したアキラ様に取り残され、ボクは部屋を離れました。恐らくですが、あの調子ならアキラ様は太郎様を呼び出しているはずだと思い、玄関先に立っている事にしました。
やはり、といいますか、予測通り太郎様とカナデ様が二人していらっしゃいましたが、ボクとしても予測できない事もあります。二人がまるで夫婦か交際している男女のような距離感を保ちながら歩いており、ボクがそれを見て驚いている事に気が付いた太郎様が気恥ずかしそうにしてカナデ様との距離を取りました。些細な事ですが、こんな事がアオイ様の記憶にないなんて、余程アキラ様は太郎様を丁重に出迎えた事がないのでしょう。
「よく来ると分かったな。ずっと待っていたのか?」
太郎様が顔をほんの少し赤らめながら普段通りを装いつつ話しかけてきました。あまりからかうのも失礼ですから、ボクとしても普段通りを装います。
「ボクの力ではありません。アオイ様の記憶に任せて行動パターンを決めているだけです」
「私と同じね。私よりも優秀みたいだけど」と、カナデ様が言いましたが、データの蓄積量が違いますから行動予測においてはカナデ様に負けてしまいそうです。
「カナデ様がボクと同じスペックまで向上したら、より本来のモデルに近付くと思います。作られた目的が違いますので」
「それで来る時間まで分かったのか?」
太郎様はアキラ様のように気味悪がったりせず、興味津々といったようでした。危機感が違うのでしょう。
「人間の行動はある程度なら予測できます。日々新しい事をしているようでも実際は違いますから」
「へえ、知らない人でも?」
「いえ、まだアキラ様や太郎様のように顔を合わせる機会が多い方でなければ難しいでしょう。ですが、今のまま仮想現実で他人と触れ合う機会が増えればログだけで予測が可能になります」
「まあ、今日呼ばれたのとは関係ないだろ。ログで犯罪者予備軍が事前に特定出来るなら便利だろうけどさ」
「せっかくですが太郎様、既に今日の話は終わっています。ですが後日、同じ内容で呼ぶかも知れません」
太郎様は話が飲み込めていないのか、まばたきを瞬時に二回ほどしました。
「その時、ボクにはここで会話した記録がありませんから、どうか知らない振りをしてください」
今は分からないとしてもいずれ分かる日が来るかと思います。今日のところはとりあえず、このまま帰すわけにもいかないので、作業場に連れていきアキラ様との面会をさせました。
案内している途中さりげなくアオイ様がどこにいるのか辺りを見回してみましたが、どこにも見当たりませんでした。もしかするとアオイ様のデータをいただいている分だけ作業があまり出来なくなっているのでしょうか。
作業場の扉を開けると、アキラ様は先ほどと同じ姿勢でパソコンの画面を睨み付けていました。いつも通りの光景といえばそうなので、太郎様は気兼ねなく話しかけていました。
「ようアキラ」
「帰れ! お前などもういらん!」
「来たばっかりなのに帰れと言われても意味が分からないぞ」
「お前になんぞ百年後も分かられてたまるか!」
やはりこれも想像通りの結果です。激怒しているのはやりすぎかと思いますが、アキラ様にはどうやら予定外の事に対して怒りを覚える傾向があるようです。今までそれが発揮されなかったということはつまり、大方がアキラ様の予想通りに事が運んでいたという事になりますが。
太郎様はアキラ様がのべつ幕なしに眺めているパソコンの画面を一緒になって眺め始めました。太郎様の方も失礼な態度には慣れているらしく、帰れと言われて簡単には引き下がりません。
「なんだ、これ?」
「おれにも分からんが、実に分かり易い。少し昼寝している間にユリカが勝手にいじったのだ」
「人工知能がひらめいたりするのはもう少し先だろ」
「そうだ。ひらめくという意味も理解せずにひらめいたつもりになっている馬鹿が多いからな。ひらめきの研究には時間がかかる」
「じゃあこれは、間違っている所を直しただけか」
「しかもおれのやりそうなやり方で、だ」
「真似しただけなんだな。間違ってないならいいんじゃないか?」
アキラ様は椅子から立つと太郎様を強く押しました。倒してしまうのではないかというほどの力加減でしたが、そこまではしない余裕もあるようです。
「うるさい、今すぐ帰れ! 帰れ帰れ! 帰れ!!」
それでもアキラ様の怒りは相当なものでした。本来ならばボクに向けられるべき怒りなはずですが、ボクは人間ではないので怒ったところで仕方ないと判断したのでしょう。
部屋から追い出されたアキラ様と一緒にカナデ様やボクもいました。あまりに大きな力なので転んでしまいそうでしたが。
「なんなんだあいつは」
「アキラ様は人工知能となる心の準備をしているのです」
「は?」
「人工知能を超えるには、人工知能になるしかありません。人間にとって最後の発明ですから」
「つまりあのお前がもう人間を超えたって事か? それはないだろ」
「今回はアキラ様を真似ただけですが、能力を引き出せる点では超えていると言えるはずです。人間は常に最大限の能力を発揮しているわけではありません。ですが、ボク達ネロイドは調子のいい時の状態をいつでも引き出す事が出来ます。今日で言えばアキラ様の調子が悪かっただけです」
「いくら優秀と言っても今までコードを書き換えるほどの例は聞いた事なかったぞ」
「どの人工知能でも出来るわけではありません。アキラ様を見続けていたアオイ様とユウリ様とボクだからこそアキラ様だけを超えられたのです。太郎様を超えたわけではありません」
きょとんとしている太郎様を置いてカナデ様を見てみると、なんとも言えない表情をしていました。川の流れを見ているような、そんな澄ました表情です。
「カナデ様も多少なら出来るのではないですか?」
「出来たとしてもしないかな」
「そうですね、誰のためにもなりません」
もしかすると、今回の一件について一番よく理解しているのはカナデ様なのかもしれません。相手の行動を読んで先回りされる事が、時には人間にとってどれほど気味が悪く、機嫌を損ねる事になるのかなんて、それほど想像に難しい話ではありません。それを好む方や世代もいるかもしれませんが、同時に自分の行動に価値を見出せなくなる行為でもあるでしょう。
「今回のお詫びとして少額の小切手を用意しました。五万円ですがどうか受け取ってください」
これも先回りした結果ですが、太郎様は今日初めて怪訝な顔をしました。記憶によればお金さえあればたいていの事はなんでもするという印象なのですが……。
「太郎様をまだよく存じてないので間違ってしまったかもしれません。お金は嫌いでしたか?」
そう言われて太郎様はぶっきらぼうにお金を受け取りました。太郎様は太郎様で気難しい方なようです。
用事もなくなってしまったので太郎様を玄関先まで送ると、その間に小切手を財布の中へ丁寧に仕舞っているのを見た限りで言えば、お金が嫌いというよりボクの態度が気に入らないのでしょうか。やはり人間の行動を完全に予想するというのは難しいものです。心理学などに結び付けて様々な解釈を無理にする事は可能ですが。