第三章 ボクと計算されたお昼寝
次にボクが行おうと考えたのはアキラ様の寝室の掃除でした。一日のうちで三時間ほどしか睡眠を取られないアキラ様ですが、その部屋のベッドは大きく、手慣れているボクが掃除するのにでさえ二十分も掛かってしまうほどです。
ただ、掃除をしたのは目的がありました。同じく、行動の先回りをする事です。
アキラ様も通常の人間と同じように大量の食べ物を一度に摂取すると脳に血液が行き渡らなくなり、眠くなる事があるそうです。これもアオイ様の記憶から分かった事です。その食べた分量が通常よりも何倍か違うというのはありますが、そこを含めて計算してもやはりあの量のさつまいもは食べ過ぎたようです。
掃除が完了したのとほぼ同時にアキラ様が部屋へ訪れてきました。普段ならボクは他の作業を任されている時間帯でしたので、アキラ様の部屋の掃除をしているのを大変驚かれていました。
「部屋の掃除は五時間後ではなかったか?」
「アキラ様がもうすぐ眠くなるかと思い、綺麗にしておきました」
部屋を見渡して綺麗になっているのを改めて確認したアキラ様は不満げでした。アキラ様のためを思ってした事でしたが、大きなお世話だったようです。これも分かっていたことでしたけれどね。
「分かっているとは思うが、あんまり先回られると不気味だぞ」
「そうだと思います。アキラ様の悪い予感が的中してしまいましたね」
「もう辞めておくか」
「ありがとうございます。ですがボクを気遣う必要はありません。いずれその時が来ますから」
アキラ様の眉間に皺が寄り、そこから油が滲みでてきました。普通の人なら不潔だと避けるようですが、ボクは素敵だと思ってしまいます。
「……どういう意味だ?」
「ボクはアキラ様の役に立つ事だけを考えていますので、為にならない所まで行けば自然とそうなります。ですから今は力を抜いて、ベッドに包まれ、目を閉じて深呼吸をしてください」
促されるままアキラ様はベッドに入りました。渋々ではありましたけれど、眠気には逆らうつもりもないみたいです。大きな身体をベッドに入れるため、毛布を羽ばたかせるようにしてアキラ様の上にかけました。眼鏡を受け取りましたが、アキラ様は相変わらず眉間に皺を寄せたままです。
納得がいかないようで、何度も首をかしげながら最終的にはボクの指示通り目を瞑ってくださいました。アキラ様からしてみれば、これも実験のうちですから従ってくれるのは分かっていました。
「吸って……吐いて……。息を吸う度に疲れが溶けていくのを感じてください。息を吐く度に全身の筋肉が解れていきます。そのまま続けると、すぐにお腹の底から温かくなっていきます」
耳元で囁くように、優しく、あくまでもアキラ様のために声をかけました。部屋の隅まで届いているか分からないほどささやかな声です。
「ボクはアキラ様を絶対に裏切ったりしません。ですから、アキラ様もボクを信じてください」
アキラ様から力が抜けていくのを目で見ても分かりました。ボクとしても、もっともっと深く眠っていただくため、協力を惜しみません。
「吸って、吐いて。足の指先から頭の先まで重くなり、ベッドに溶けて、深く沈んでいきます」
一種の催眠術のような言葉を用いながら、アキラ様の眉間がだらしなく離れていくのを見届けました。
「今から十分数えます。時間はボクが正確に数えますから、安心して呼吸に集中してください」
それだけ言うと、ボクは引き出し棚から眼鏡ケースを取り出して、それを棚の上に起きました。十分が経過すると、アキラ様が本当に寝たのを確認して、部屋からこっそりと出ていきました。これは裏切りではありません。普段忙しくしているアキラ様に対する臨時休暇のようなものです。
何度も言うようですが、ボクの行動の根底にはアキラ様の為に動く事があります。ですから、多少驚く事態になったとしても、それがアキラ様のためになると判断したならば独断で行う事もあります。その考えを理解されるには長い時間を必要とされるでしょうが、それでもより素敵な主人であって欲しいと願ってしまうのが従順なるネロイドの使命であり、人工知能の使命でもあるのだと思います。
ボクは寝ているアキラ様に配慮して慎重に作業場に侵入しました。パソコンのパスワードのロックを解除すると、先ほどまでアキラ様が仕事していた形跡が画面上にずらりと並んでいます。優秀なコードだと思いますが、それでもやはり眠さに負けたのか、無駄と言える部分が多くありました。今日は体調が特に優れなかったのでしょう。
アキラ様が普段使っている椅子に腰掛けると、小さなボクの身体はすっぽりと収まってしまいました。ボクに鼻はないですが、アキラ様の体臭が染みついいて、どんどん嗅ぎたくなってきます。ですが、今日は無駄に時間を使っている余裕もないので、一瞬だけ顔をうずめただけでパソコンの画面に向かいました。小さな身体であるボクが使うにはあまりにも椅子が高く、机も高く、不格好となりましたが、生憎肩こりを気にするような身体の構造でもないのでそのまま作業を続行しました。
画面に連なるコードを一通り見ると、アキラ様が何をしたかったのかが分かりました。この程度ならボクも手伝えると思います。C言語などを含めたプログラミング言語も、ボクが今使っている日本語と同じように使いこなす事は可能ですから、当然プログラミングも人工知能には可能です。
そこからはひたすらにデータを駆使した作業でした。アオイ様だけの記憶ではなく、ユウリ様のデータを借りてアキラ様が普段どのような作業方法を取っているのか一度確認を取ってから入力を始めました。ネロイドに限らず人工知能は疲れ知らずですから、人間がするよりもはるかに効率的に作業をこなす事が出来ます。