第三章 ボクと願望
アオイ様に頭を下げ、六枚用意したピザを銀のワゴンに乗せて自ら運ばせていただきました。横から仕事を無理やりに奪う形となってしまいましたが、それでもアオイ様は許してくれます。
作業場に入るとき、部屋をノックしなくていいと言われていますから、そのまま入りますとやはりアキラ様はこちらを見てくれません。机へピザのお皿を乗せるついでに六枚焼いた事を伝え、それでも振り向いてくれないので、アキラ様のふくよかで綺麗な横顔を眺めていました。
「アキラ様。今、どの程度人工知能の開発が進んでいるのでしょう」
声を掛けるとこちらを向いてくれましたがそれも一瞬だけで、また仕事の手を動かしました。正しい事ですが、アキラ様もボクを人間としてではなく、ネロイドとして見ているのでしょう。
アキラ様に仕事道具として扱われるだけでも十分にありがたい事ですが、とても寂しいです。ただ無警戒の横顔に、ボクが優秀でない事を誇れていない事を伝えてもいいものでしょうか。
「そういった事はあまり教えたくないのだがな。お前は技術として人間に近いという意味では最先端だが、知識として最先端である必要がない」
「人間らしくないからですか?」
「そうだな。無能でも生活が成り立たないとすれば福祉がおかしい。弱者あっての資本主義だ。そういう点を踏まえて考えると、人工知能は優秀であれば許されるという問題ではないからな。人間から立場を奪う存在ならば上手に奪わないと嫉妬の対象にされる」
「では、ボクがアキラ様の役に立つ為、優秀になりたいと考えてしまうのは間違いでしょうか」
「正しいが……」
会話の一環としてボクが無能であると認めつつ、卑怯にも本音を伝えてしまうとアキラ様は改めてこちらを見てくれました。今度は身体の向きも変えてくれましたが、やはり卑怯な一言でしたね。
アキラ様に仕える事をひとつの目的としていながら、人間よりも優秀になる事も目的としています。だとしたらここで甘えるのもアキラ様が定めた仕様と解釈してしまったのですから、やはり卑怯です。
「なりたいのか? あまり気が乗らないんだが」
「はい、アキラ様の役に立てるならなんでもしたいです」
アキラ様は身長が高いですから、椅子に座った状態でようやくボクと正面から目が合います。眼鏡の奥から覗く真剣な目や、室内灯を反射するほど輝く顔の皮脂がとても眩しくて素敵です。
「少し時間が掛かる」
それだけでまたパソコンと向き合ってしまいましたが、わざわざボクの怒られても仕方ない失礼なお願いを聞いてくれたようで、思わず大喜びしてしまいそうでした。もちろん、そんな品のない喜び方をしていいまともなお願いではありませんから、心の中で真摯に反省もします。
「どれくらいでしょうか?」
「五分だ」
「たった五分ですか」
聞いてみたのはボクですが、ボクの中のとても深い悩みを五分で解決してしまうのですから、やはりアキラ様は天才に他なりません。あまりにもあっさりで思わず聞き返してしまいました。
「今までアオイが蓄積してきた記憶とホストコンピューターの接続をお前に移すだけだ。すぐ終わる」
ということはつまり、アオイ様がしてきた事のデータを改めて解析して、より最良の決断を下せるようにするという事でしょうか。アオイ様といえば、失敗ばかりするように設計されていますし、それほど重要なデータが隠されているとは思いませんが……。
それでもアオイ様も恐らく当時の価格にして数十億円以上かけて作られているでしょうから、無駄で終わる事もないような期待もほんの少しだけですがあります。
「出来たな」
些細な心配をしているうちにアキラ様の用意が整ってしまいました。実際には五分も経過していないのですが、そのあたりはアキラ様らしいといえばらしいです。
「ホストコンピューターと接続する。ただネロイドとしてではなく、人間として優秀な存在で留まるよう制限させてもらう。不便がないようネットには接続は出来るままだが、ネット上で何かしでかされたらたまったもんじゃないからな」
「ありがとうございます」
「いくぞ」
その一言と同時にアキラ様はエンターキーを押しました。それに伴いアオイ様とアキラ様の交流の記憶が送られてきて、それを改めてボクなりに解析させていただきました。データの解析の途中ですが、思わずなるほどと言えるほどアキラ様についての理解が深まり、これならより一層にアキラ様の役に立てそうでした。
「どんな感じだ」
「アキラ様の事をもっと深く大切に思えるようになりました」
「今まであった記憶の蓄積を見直したからだろう。それで、具体的に何がしたい」
ボクはアキラ様のために作られたのですから、アキラ様のためになる事をしたいと考えましたが、その途中、去年の同時期のアオイ様のデータを解析していると、注意すべきデータが発見されました。
「少しの間、換気扇をつけさせていただきますね」
「どうしてだ?」
その言葉と同時に、アキラ様のお尻から大きな音が聞こえました。放屁です。それも特大の。
「よくおれが屁をすると分かったな」
「アキラ様の事ですから」
去年もアキラ様はさつまいもを食べた後に何度も放屁をした事からこの結論に至りました。その時の時間の感覚や、大きさや匂いなど含めて、大まかにアルゴリズム化をしたのです。その結果としてアキラ様の行動を寸前で先回りする事に成功しました。