夢の中で
ファーレンの容姿は、母親であるアリスティアに似ていた。
崖から転落後に眠りから覚めたファーレン、もとい花蓮だが、健康的な生活を送ることによってくすんでいた髪や瞳の色がその輝きを取り戻していた。
アリスティアは翡翠の瞳に漆黒の髪を腰まで伸ばしていたが、ファーレンは明るいブルネットに翡翠の瞳を持っており、その点においてだけがまったく同じとは言えない。
計画を実行するために生前のアリスティアの姿を知るラミのアドバイスと、イライアス・ファーガソン伯爵の部屋で見たアリスティアの肖像画を参考に、花蓮はアリスティアの仕草を身につけた。
そして化粧を施し、よりアリスティアの容姿に近づけるように自分を溶け込ませるように努力した。
たおやかであった彼女に似せるためコルセットを着用してウエストを限界まで絞る。
躊躇なく己の髪を黒く染めた。
そうするとラミが息を呑むほどにアリスティア生き写しのように変貌を遂げたのだ。
たった一か月で、花蓮は自然にアリスティアのようにふるまうことができるようになっていた。
そんな彼女の姿にライオネルをはじめとして、グレイやディレイも驚いていた。自然体で溌剌と美しかった令嬢が、不思議と神秘的で何か秘密を醸し出す令嬢へとまるで繭から出て来たかのように変化してしまったのだから。
花蓮としても、段々とアリスティアに容姿を寄せていき、行動を真似していくうちに不思議な夢を見るようになっていった。
夢の中で、花蓮は楽しそうに馬に乗り歌を歌い、若い男とダンスする少女を何回も見ている。そうだ。
この少女はアリスティアだ。花蓮は確信を持って少女を見つめていた。
夢の中のアリスティアは溌剌とした利発な少女だが、ふいにふと黙り込みこちらを黙って見つめている。こちら側…アリスティアのことを見ている花蓮のことを見ているのだ。
最初は気のせいかと思ったのだが、気のせいではなかった。アリスティアのことを見つめ返す花蓮に、彼女はにこりと笑いかけ手を振ったのだ。
(私のことが…見えている…)
アリスティアは屈託のない少女時代を過ごすと、大人の女性への道を上り始め家を出て迎賓館と呼ばれる外国からの使節団を迎えるための施設で働き始めた。先輩たちに厳しく鍛えられながらも、彼女は笑みを絶やさず楽しそうに働いていた。
そして、そばで見ている花蓮にそっと笑いかけるのだ。花蓮もそうされると、自然にアリスティアに笑い返すようになっていた。
夢の中でのアリスティアはこの時期からベットの中でよくうなされるようになった。悪い夢を見るのか就寝することを嫌がっているようにも見えた。花蓮はそんな彼女を励ましたくて、そっとアリスティアに近づくと彼女の背を優しく撫ぜた。そうするとアリスティアはほっとして眠りにつくのだ。
アリスティアの寝顔を見ながら、花蓮はまどろみから引きはがされ現実へと戻っていくのだった。
夢から覚めると、花蓮はよりアリスティアのように振舞えるようになっていた。彼女が生き生きと美しく活動していた様子をまるでトレースするように動いた。ラミが舌を巻くようなスピードでそれは行われ、ディレイは何回か花蓮に確認をするようになった。
「本当にファーレン様? 」
そう問われて、花蓮はにっこりと微笑む。「さあ、どうかしら? 」と。
そんな花蓮の様子を危惧するようにライオネルが見ていることに花蓮自身は気が付いていなかった。
★
アリスティアがイライアス・ファーガソンと初めて出会ったのは迎賓館の中庭だった。イライアスの父親であるダドリー・ファーガソン伯爵の仲介で引き合わされたのだ。
若かりし頃のダドリーは…眉間の皺もなく、若々しかった。アリスティアを初めて見た時から心惹かれているようであったが、アリスティアはそうでもないようでダドリーから交際を進めるように提案されても最初は断っていた。
「私と伯爵様のご子息がお付き合いをさせていただくだなんて…勿体ない話です 」
「君が娘になってくれるのなら、私もありがたいんだがね…。それに、アマンの民の能力が発芽した暁には、君を守れる力が必要になる。私と息子なら力になれると思うんだが… 」
そう言われたアリスティアは俯く。
(アマンの民の能力?)
それは、どんな能力なの?
★
夢の中にもぐる行為はひどく疲れる。三半規管がひどく狂うようで、ベットの上でぐったりとしたまま花蓮は起き上がれなくなった。15分ほどゆっくりと筋肉をほぐして水を飲み呼吸を深く繰り返すことで徐々に身を起こし、周りの人間に気取られないようにする必要があった。というのも、これは夢の中にもぐるという行為なのではなく、いわゆる(過去に戻っている)という行為なのではないかと思われるからだ。
そんなことを誰に打ち明ければいいのか、打ち明けたとしても信じてもらえるとは思えないし、この不思議な体験自体が(アマンの民の能力)の一部なのだとしたら…軽々しく打ち明けてもいいものだとは思えなかった。
★
もう何度潜っただろうか。夢の中で、ついにアリスティアはイライアスから求婚されるにいたった。彼女は最初は拒んだのだが、イライアスが周りから話を固めてしまいアリスティアは身動きができなくなってしまった。迎賓館で働く女性は未婚で、相手のいない女性であることが求められていたこともあり仕事も続けられないと上司に告げられアリスティアは求婚の話を受けざるを得ないという感じであった。
「君の能力のことは父から聞いている。全力で君を守るよ 」
イライアスが差し出した手を、アリスティアはおずおずと取った。
「本当に…? 」
そっとイライアスがアリスティアの額に口づける。
その瞬間の心から安堵するアリスティアの顔を見て、花蓮は思わず唇をかんでいた。
こんなにも、幸福にあふれている未来を予感させる若々しい二人を何が襲ったというのだろう。
何が二人を…変えてしまったのだろう…。
★
アリスティアが嗚咽している。夫であるイライアスと眠るベットの上で激しく。
イライアスは彼女を励ますように声を掛けた。でもアリスティアは泣き続けている。
「本当になってしまった…やっぱり…夢が本当になってしまった…お義父様が、お義父様があんなことになるなんて… 」
夫に縋り付いて泣き叫ぶアリスティアの背中を、励ますようにイライアスが必死に撫でた。
「落ち着くんだ。よくない夢をたまたま見ただけだよ。君のせいじゃないさ。あそこはもともと土砂崩れの起きやすい土地だし、長く続いた雨で地盤が緩んでいた。慣れない御者だったこともあって馬車を制御できなかったんだ。天候や運は君のせいなわけじゃない! 」
「でも、私、そうなるってわかってた…わかっていたのよ!怖くて、怖くて、出かけないで欲しいとお願いしたのよ!それなのにお義父様は『人の死は天命なのだから、変えることはできないし、変えてはいけないのだ』とおっしゃって…
でも、変えることができないというのなら、私は何のためにこんな夢を見なければいけないの?どうして?イライアス!私…どうしたらいいの… 」
声が枯れるまでアリスティアは泣き続けた。辛くて、辛くて、眠りたくないと呻きながら、それでもベットの上に沈んでいった。その彼女の力なく下がった腕をイライアス・ファーガソンは力強く握りしめる。
「君を守る…約束したじゃないか…! 」
イライアス・ファーガソンの眉間には、いつの間にか深いしわが刻まれていた。
★
目覚めると全身がひどく重たかった。汗をかいており、寝具が気持ち悪いほどに湿っている。起き上がるのがひどく億劫で、花蓮はしばらくの間天井を見ていた。考えが、整理できない。
トントン、と控えめなノックの音が聞こえた。
ラミであろうか?
「ごめんなさい。もう少し休みたいの… 」
平静を装って声を張るが掠れてしまう。
だが、返ってきた返事はラミのものではなかった。
「ファーレン? 僕だ。ライオネルだよ。少し、いいかな? 」
ライオネル?
なぜ、男性が朝からここへやってくるのだろう?何か、あったのであろうか?もしかして、計画に支障でも起こったのであろうか。花蓮は急いで起き上がろうとしたがめまいがして突っ伏してしまう。
すると返事もまだだというのに、ライオネルは部屋のカギを開けて勝手に入ってきてしまった。そうして、驚いた様子で走り寄ってきた。
「大丈夫かい!? ファーレン! 」
ぐっと腰をライオネルが支えるように持って、花蓮の顔を覗き込む。そして、眉をひそめた。
「顔色が悪い…動悸も…早いし。体調が悪いのか? 」
「少し貧血気味なだけですから、心配は… 」
「僕は薬師だ。嘘はつくな。ここ数日君は変だ。日中ぼんやりとしている時間が増えている。顔色が悪いのを化粧で隠そうとしているし…仕事の能率も落ちている 」
そう言われて思わず花蓮は答えていた。
「ごめんなさい…。ご迷惑をかけてしまって… 」
「そういうことを言っているんじゃないんだよ 」
優しく諭すような、だが強い口調だった。
彼の手が優しく花蓮の額に触れて前髪を払った。
「熱はないようだけど、汗をかいている。何か身体を拭くものをラミに持ってこさせる 」
そうして出て行こうとする彼の腕を、思わず花蓮は握っていた。
「待って…行かないで。もう少しここにいて…ください 」
「え? 」
「何か、話があってここに来られたのでは? 」
「それは、そうなのだが… 」
困ったようにライオネルが視線をさ迷わせる。その様子を見て、花蓮ははっと気が付いた。薄いネグリジェからは彼女の肢体の線が丸わかりである。急いでサイドに置いていた上着を手に取り身にまとった。
「ごめんなさい。淑女らしくない振る舞いでした… 」
「いや、そんなことは…僕が、勝手に入ってきてしまったのが悪いのだから…君が謝ることは… 」
もぞもぞとライオネルが身体を動かす。その不器用な動きに思わず花蓮は笑ってしまった。
「ごめんなさい…。立ちっぱなしもなんですから、ここに腰かけてください 」
自分の寝ているベットにかけるように促すとライオネルは躊躇している。
「いや、女性のベットに腰かけるだなんてそんな真似はできない… 」
「部屋に入ってしまっているのに今更そんなことを言うのですか? それに、私はあなたの秘書の役目を担っているんですよ。女性として、どうこうということで見られても…困ります 」
「そ、そうなのかな?それなら…、まあ遠慮なく 」
ほっとしたようにライオネルがベットに腰かけた。
そして、そっと花蓮の頬を触り「いつから体調がすぐれないんだ? 」と静かに問うた。
「ここ2週間ほど、よく眠れなくて。睡眠不足かと思います 」
ライオネルがじっと花蓮を見つめる。
「嘘だね。僕を誰だと思ってるんだ? 」
ライオネルの手がそっと花蓮の胸に置かれた。
「薬師にそんな嘘をつくもんじゃない。君は睡眠はとっているのかもしれないが眠りが浅いんじゃないのか? 」
そんなことまで、わかるんだ。
「ラミにも自分の調子が悪いことを隠しているようだったから、今日は朝から一人で来たんだけど、僕にまで嘘をついて欲しくない。本当のことを話してくれ。でないと、心配になる 」
「ごめんなさい。その、あの、嘘というか…そういうつもりはなかったんです。ただ、最近よくない夢を見てしまって 」
「夢? 」
ライオネルに夢のことを話してもいいのかわからない。どうしたらいい?花蓮は躊躇して、結局は本当のことは告げられなくて、はぐらかすように答えた。
「起きると忘れてしまうのです…。でも、とてもよくない夢です」
「そうか…。じゃあ、深く眠れる薬を出すよ。冬虫根という植物の根をすりおろしたものなんだが、よく効く薬だ。皇后様にも処方したことのあるものだけど、君にあわせて調合するよ 」
「ありがとう…ございます 」
暖かい。ライオネルの掌から熱が伝わってきて、思わず花蓮は涙を流していた。そんな花蓮を見てライオネルは狼狽する。立ち上がろうとしたライオネルの腕を軽くひっぱり、花蓮はそのままライオネルの胸の中に収まっていた。彼の胸の中は2回目だ。でも、今回は自分から人のぬくもりを求めて彼の胸の中に飛び込んでいた。
イライアスの胸で泣いていたアリスティアの姿が瞼の裏に浮かんでくる。
「ファ、ファーレン? どうしたの? 」
花蓮は答えなかった。なんと言えばいいのかわからなかったのだ。
ここ最近見ている夢をこのまま見続けると、自分の意識がどうなってしまうのか不安だったし、どんどんと(こちらの世界)に取り込まれてやがて日本人の絹田花蓮には戻れなくなるのではないかという不安が日に日に大きくなっていた。
最初に考えていた、長い夢のなかで楽しもうだなんて軽い気持ちが抜けていき、自分が本当は『ファーレン・ファーガソン伯爵令嬢』だったのではないか、とさえ思い始めて自分の頭がおかしくなってしまったのではないかと自問自答を繰り返す。
私は絹田花蓮。ファーレンではない。私は絹田花蓮。絹田花蓮なのよ。
そんな花蓮のつむじを見下ろしながら、ライオネルもまた深刻な表情で息をひそめていた。
胸の中のぬくもりが、すごく儚く感じられる。
(この娘がやろうとしている計画を、僕は止めるべきなんじゃないのか?)
だが、同時にもう止められないであろうともライオネルは思っていた。もう計画は動き出している。今更、彼女を計画から外してしまうことなど不可能だった。
★
ファーレンの部屋を出てまっすぐ廊下を歩き出したライオネルがぎょっとして立ち止まった。そこには秘書のグレイ・侍女のラミ・ロボがそろって立っていたのだ。
「ライオネル、こんな時間に女性の部屋に自分から入っていくだなんて、精力的な男だな。お前ってやつは 」
おもしろがるように話すグレイを汚らしいものでも見るかのようにラミが一瞥する。
「ご自分の主に向かってその口の利き方はなんですか?ファーレン様に対しても失礼です。ファーレン様は男性に対して軽々しく接するような女性ではありません 」
「おっかないなー…。冗談じゃないか。ライオネルに限って、女の部屋に忍んで行ってことをなすなんて、ありえない! 」
「ですから!そういう次元の話ではありません! 」
グレイとラミが言い合うのをロボが真ん中で大人しく聞いている。
「ちょっと僕はやらなければいけないことがあるから部屋に戻るよ 」
ライオネルは足早に二人と一匹を振り切って歩き出す。
「あ、ライオネル。逃げるな!お前、なんで伯爵令嬢の部屋になんて行ったんだ? 」
「ライオネル様っ!今度から、このようなことは慎んでくださいね! 」
ラミの足音がパタパタと遠ざかっていく。それとは逆に小走りでグレイとロボがライオネルを追いかける。
「おい、お前本当にあの女にやられちまったか? 」
「なんだ、その言い方は。失礼だ。ファーレンに向かって。ちょっと体調の確認をしただけだよ 」
グレイは明らかに訝し気である。
「お前がそう言うのなら、そういうことにしておくけどな 」
軽くグレイを睨むと、ライオネルは足早に自室へと戻り、薬を調合した。そして、花蓮が話した(夢を見た)という話に自分が引っ掛かりを覚えていることに気が付く。
夢を見た…悪い夢なのか?内容は覚えていないと言っていた。だが…。
彼女はアマンの民の血を引いている。そして、彼の父親が燃やすようにと告げたパターソン家に伝わるパターソン綱目。その綱目の後半部分。
そう、後半部分だ。
あの、眉唾だらけのまるでおとぎ話のような後半の『復活』という部分。
あそこにこそ、何か秘密があるのではないのか?
『復活』は、当時宮廷で流行っていた単純な不老不死への憧れを「ある特殊な条件下によって可能にすることができる」と述べている。
前半の『故骸』の部分が木乃伊における万病のもとを断ち切るという話だとすれば、後半の『復活』はその木乃伊を生身の人間として転生させたり、死んだ人間の意識を木乃伊の中に入れてしまうという呪術の類が述べられている。
復活した木乃伊は水分を取り戻し、やがて生前の姿で歩き回り始める。木乃伊の質によっては、若返ってしまうことも可能。
目は通したが、こんなことはありえないだろうということでライオネルは真剣にこの部分について考察をしたことはなかった。
しかし、ファーレン・ファーガソン伯爵令嬢の母であるアリスティア・ファーガソンがアマンの民の生まれであるという報告書が引っかかっていた。
アマンの民の伝承には何かなかったか?
何か、昔にある民俗学者から言い伝えを聞いたような気がする。学者たちに手紙を出して確認するか?いや、時間がない。それよりも、皇室図書館から書物を取り寄せた方が速いかもな…。
何より、何かを隠している様子のファーレンが気になる。健康的で溌剌としていた彼女が、自分の母親と同じ黒髪に髪の色を染めた時から、急に儚げに見えるようになった。
最初は演技かと思っていたが、どうも違うようだ。何かを、早く動かなければ、彼女が目の前から消えてしまいそうな、そんな不安をライオネルは感じていた。