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カノプスの壺  作者: 二上恵美
7/13

計画

「お前らは、あのまま俺が部屋に入らなかったらどうなってたかわかったもんじゃない 」

「そんなんじゃあないって、何回言えばいいんだよ 」


学会のために1泊の予定で屋敷を出たライオネルと秘書のグレイは馬車の中で向かい合って、親しげに話をしていた。


「だいたい、あの女は変だ。今までのお前に近づいてきたお嬢様たちとは、明らかに違うところがある。普通の令嬢は(こんなバカげた計画)を思いついたりしない 」


確かに、彼女は許可もなくライオネルの寝室に入ってきたりはしないし、飲み物に睡眠薬を入れたりもしなかった。仕事として命じたことには忠実にしたがってくれており、優秀だ。あまり外見には頓着しないようで、化粧もほとんどしていないし、髪も一つにまとめたり日によっては寝癖で少し跳ねている時もある。


夕方に別れたばかりのファーレンの姿をライオネルは脳裏に思い浮かべる。美しいブルネットに強い意志が宿る碧い瞳が印象的な少女。話してみると理知的で大人びている。外見は母であるアリスティアと近いものがあるが、芯の通った眼の光にはファーガソン伯爵と相通じるものがある。

あの日、腕の中で彼女を見た…ライオネルの胸の中に彼女がいた時、ファーレンの体温は低く、脈が驚くほどにゆっくりとしていた。それでも、意志の強い碧い瞳が強く光りライオネルの中に深く染みてくる。



緩やかに揺れる車中で、グレイが手元の書類をめくりながらライオネルに話しかける。


「ファーガソン伯爵令嬢は爪も短くそろえているし、服も村で買った簡素なものを好んで身につけたり、道端で買った果物を口にしたりしている。屋敷の食事にも文句は言わないし、腹の減った時には自分で厨房にも立つ。本人は気づかれていないとでも思っているのかもしれないが、深夜に起きてきて、たまにコソコソやっている 」


そこでグレイは可笑しそうに笑った。

ライオネルは手元の書類を素早くめくりながらグレイに答える。グレイのことをちらりとも見ない。


「うん…それは僕も知っているし、侍女のラミもわかっているみたいだけど 」

「普通のご令嬢っていうのはお茶とお菓子で生きているんだ。馬鹿みたいに夜食を食ったりはしない 」

「それはお前の偏見だろう。令嬢だって人間なんだから、腹ぐらい減るし料理くらい作る。今までに僕たちがそういう令嬢に出会ってなかっただけだ 」

「そうだ、今までに俺たちが出会った令嬢って生き物は偏見まみれかもしれないが、寝室に素っ裸で飛び込んできたり得意の房中術でお前をベットに引きずり込もうとしたり… 」

「彼女は、そういうことはしない 」


そういうことをしなくても、僕の心の中に、強く踏み込んできている。

ライオネルはそのことをグレイにも言わなかった。口に出すほどには、この想いに確信はもてなかった。若い時に、同じような年代の女の子に恋をして…一緒に出掛けて…そういうなんてことのない日常が自分にもあった。


ふいに、ライオネルが視線をグレイに向ける。グレイが手に持っている紙の束をライオネルに突き付けた。


「これ、見とけよ 」

「なんだい?これは 」

「報告書だ。ファーレン・ファーガソン伯爵令嬢の。俺の影をつかって調べさせた 」

「そんなことをしたのか? 」

「なんだ、余計なお世話って顔だな 」


ライオネルはグレイの差し出した報告書を受け取らない。


「必要ない。彼女のことなら、彼女自身から聞いた 」

「そうか…?だが、なかなか面白い報告書に仕上がっている。時間はあるんだ。見とけよ。彼女の力になりたいのなら、尚更だ 」


グレイはライオネルの隣の席に報告書を置く。それをちらりと見て、ライオネルはゆっくりと報告書を手に取った。



ファーレン・ファーガソン伯爵令嬢。


父親はイライアス・ファーガソン伯爵・母親はアリスティア伯爵夫人。400年以上は続く由緒ある伯爵家の一人娘。いずれ領地を父親から引き継ぐことが約束されており、婿をとることが確実視されている。

母親のアリスティアはアマンの民出身。アマンというのは古くは占星術や呪術に長けた流浪の民と言われていたがここ200年ほどで各地に定住が促された人々の総称だ。

アリスティアが取り立てて何かの術に長けていたという話は誰もしなかったが、曾祖母は一族の中でも有名な巫女であった。亡くなった人間の声を宿して語ることができたらしい。


ファーガソン伯爵とアリスティアの婚姻は当時のファーガソン伯爵の父親であるダドリー・ファーガソン伯爵が推し進めたものだった。当時、アリスティアは貴族ではないものの他国の貴族や大使たちをもてなすための迎賓館で女中をしており、何か国かの言語を操ることができ仕事ぶりは優秀であった。

まだ伯爵位を継いでいなかったファーガソンも、伯爵であるダドリーにくっついて宮中で仕事をする傍ら迎賓館に出入りしていた。

アリスティアの美貌や気立ての良さ、聡明さを見込んで、父が息子のためにこの縁談をまとめたというのが公に知られている話だ。


だが二人の結婚生活は決して順調だとは言えなかった。


イライアス・ファーガソンが伯爵位を継いですぐにダドリーが亡くなったために、イライアスは妻であるアリスティアを領地に置いて一人で宮廷に出入りするようになった。引き継いだ仕事をこなすために領地にはほとんど帰らなかったらしい。

最初は領地の屋敷の女主人として采配を振るっていたアリスティアは、ある時から精神に変調をきたし…妊娠・出産を経て異常な言動や振る舞いを見せるようになっていった。

事態を重く見た夫のファーガソン伯爵は旧知の仲であるランド伯爵に妻の治療を全面的に任せていたが、妻の容態はどんどんと悪化していくようであった。


それには、少なくとも伯爵とアリスティアの間に生まれたファーレンの状態も関係していたと言えるだろう。

ファーレンは声を出して他人と意思疎通することができず、その代わりに筆談で他人とコミュニケーションをとっており知能にも問題はなかった。ただ、ひどく不安げな顔で大人の顔色を窺って生活をしているような子どもだった。


父親とは滅多に会えないが、一緒に暮らす母親にも愛されているとは思えなかったのか…。一緒に出掛けたりすることもほぼなく、乳母と暮らす時間の方が長く成長してからは図書室や庭で一人で過ごしていた。

学校には通わず、寄宿舎にも入らず、家庭教師から勉学を教わっており、いつも何かを考えているようにぼんやりとしていた。


そんな彼女が16歳の時に、崖下に転落するという事故にあった。



「これは事故じゃない。アリスティアが娘のファーレンを崖下に突き落としたという証言が伯爵家の元侍女からとれた。元侍女は事故を目撃した直後に伯爵から暇を出されて実家に戻るようにと言われている。伯爵からは十分な口止め料も貰ったようだ 」


グレイはアリスティアが屋敷に到着する少し前から、ファーガソン伯爵家についての調べを開始していた。


「娘を殺そうとした、と? 」


「わからない。殺そうという意思があったのかは不明だ。ただ、アリスティアがファーレンを突き落として、何かをわめきながら逃げるところを元侍女は目撃している 」


報告書をめくりながら、素早くライオネルは文書を読み込んでいく。複雑な内容ではないがちらつくのはファーレンの姿だ。

グレイが低い声で囁く。


「俺は思うのだが…あのファーレン嬢は本物のファーレン伯爵令嬢の身代わりなんじゃないのか?報告書にある令嬢とあまりにも…別人のようだ。本物は崖から落ちて死んだか、命はとりとめたものの屋敷にいるのでは? 」


「なぜ、そのようなことをするんだ?伯爵家を絶やさないためか?それとも… 」


「イドラ伯爵に吹き込まれて、ファーガソン伯爵は妻の死の原因をお前だと思っているふしがある。娘だと偽って暗殺者を差し向けた疑いもある…と俺は思ったが…しかし、あれは人を殺せるようには訓練されていない 」


しばしの沈黙。


ファーレンの身体を抱いたときに、柔らかな女性の身体を意識した。鍛えられたものではなかった。チャンスはあったが、ライオネルの命を狙うそぶりも見せなかった。

彼女は自分でも告白したが、「父親からパターソン綱目を手に入れるように言われた」とそれだけが自分の役目であると告げた。

ただ、個人的に知りたいこともあるからライオネルに協力を仰ぎたい、と。

彼女は自分の役目として、今は亡き母と父の願いを叶えたいのだ、とライオネルに告げた。



長い夢はまだ覚めない。ここまで覚めないと、この人生が自分の本当の人生なのではないのかとさえ思えてくる。



ファーレンではない、絹田 花蓮。それが花蓮の名前。

特質するようなプロフィールなんてない。日本という国の、とある地方の大学を卒業した後に首都圏にある中規模の商社に就職して、営業事務の仕事に従事していた。職場の近くにワンルームのマンションを借りて平日は勤務にいそしみ、休日は映画を見たり家の雑事をこなしていた。

彼氏といえる存在の男もいて、このまま結婚するのかもしれないなんてぼんやりと思っていたのに、今では顔を思い出すことも困難になってきている。


ファーレンとして存在している自分に対して意識は希薄だったが、ライオネルの胸の中で彼の鼓動を聞いていると、ここでの自分の存在を感じることができた。


(私は、ここでも確かに生きているのかもしれない…)


花蓮はゆっくりと自分の生について自覚を深めていったのだ。



計画を実行に移すにあたり、花蓮は侍女のラミをマリィの元へと返そうと思った。しかし、ラミには拒否されてしまった。


「危険なことを考えていらっしゃいますよね? 」


花蓮からは何もラミには伝えていないのに、彼女は確信を持って花蓮を見て言った。


「私がお仕えする方というのは…不思議と勇気と自立心を持った女性ばかりです。ファーレン様が何かを背負っていることは承知しておりますし、マリィ様から誠心誠意尽くすようにとも言われました。決して、あなた様が命を粗末にしないように見ていて欲しいとも言われています 」


どこまでを彼女に話していいのかもわからない。


「命を粗末になんてしないわ。でも、あなたに危険が及ぶかもしれないの 」

「ファーレン様に及ぶ危険が侍女である私にも波及するかもしれない、ということですよね? でしたら、こちらから先に仕掛けてやりましょう 」


ラミはにこりともせずに花蓮に言い切った。その潔い物言いに、思わず花蓮は笑ってしまう。


「言われなくても、そうするつもりだけど…ラミ、あなたには… 」

「何回も言わせないでください。ここでマリィ様の元に戻されたとなれば、侍女失格です」

「ごめんなさい…ラミ。ありがとう 」


花蓮はぎゅっとラミの手を握った。

その手をラミが力強く握り返す。


「一気に片付けようと思っているの。協力をお願いします 」

「えぇ、もちろんですとも 」


ねえ、ファーレン。

あなたは、私の中にいるの?

あなたは今まで、どのように考えて生活していたの?

母親に崖から突き落とされた時に、何を思ったの?

恐怖?

疑問?

それとも諦観?


フラッシュバックで脳裏に焼き付いたアリスティアの引きつった表情。あの時のファーレンの表情はどんなものだったのだろう。

もしかして、(この件)がうまく片付けばファーレンはここに戻ってきて、花蓮は元の日本人の絹田花蓮に戻れるのだろうか。

そんな確信などは何もなかったが、彼女はもう腹を決めていた。


計画を実行する、と。




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