阿芙蓉
「君のことを教えて欲しい 」
そんな風にライオネルから彼の私室で告げられて、花蓮は思わず「は?」と声を上げてしまった。すぐに、失礼な態度であったと思い「申し訳ありません」と謝る。
昨晩、イドラとあのような話をして翌日の夕方のことであった。
「謝らなくていいよ。なんていうか、君はとても真剣にこの作業に取り組んでくれているようだし、秘書として僕ももう少しいろいろな仕事を任せてもいいかと思っている。ただ…ここにいても君の婚期は遅れていくだけだから…ここにどれくらいの間滞在するつもりなのかも教えて欲しいんだ 」
「父から、秘書として働くようにと言われました…。結婚のことなどは何も言われてはいません 」
「本当に? 」
「はい。父は…私のことを必要とはしていないのかもしれません 」
そう伝えると、ライオネルは決して片付いているとは言えない部屋のソファに、自分と並んで腰かけるように、と花蓮に告げた。
「君に伝えていないことがある。アリスティア様のことだ。ここで君が長く働くというのであれば、僕も隠し事はしたくない。今から僕の知っていることを話そうと思う。
彼女が自死する数日前に、僕は彼女に会った 」
花蓮は、はっとしてライオネルの顔を凝視する。彼の手が…思ったよりも武骨な掌であったが、花蓮の手を不意に掴む。
「ファーガソン伯爵から、容体は伝え聞いていて…どうしてもアリスティア様のことを見て欲しいと言われて屋敷に招かれたんだ。バルジー伯爵にも診てもらっているが…最近調子がよくないから、僕一人で来て欲しいということだった。
そう言われて、秘書のグレイも連れて行かなった。
その時に、娘である君とは…顔はあわせなかった。病弱で人見知りだからと言われていた…。まさか、君のような人だなんて思わなかった。侯爵も人が悪いな… 」
「私、ちょっとした出来事が屋敷であって…そのことがあってから自分を変えようと思って…変わったのです。昔は、病弱で…人と会うことも苦手でした 」
少し苦しいが、このように言うしかないだろう。そう伝えると、ライオネルは苦しそうな顔をした。
「屋敷で事故にあったと聞いている。屋敷の崖から転落して…命を失いかけたと、噂を聞いたが本当だろうか 」
そんな噂が流れているのか。
「本当です。でも、その時のことはあまり覚えていないのです。目が覚めたのも、それから随分と経ってからでしたから 」
「そのようだね…。でも、生きていてよかった。君はとても、健康に見えるよ」
「ありがとうございます… 」
「アリスティア様のことはなんて聞いているのかな? 」
彼の瞳が真剣味を帯びた。
「自死したと…聞いています。もともと、精神に異常をきたしており…錯乱したと 」
「そうか…。それは、間違いではないだろうが… 」
どこか含みのあるような言葉。思わず花蓮はライオネルの掌を握り返していた。そして、彼の耳元で囁く。
「隠さずに教えて。何も隠さないで 」
★
「アリスティア様は、ケシという植物からとれる阿芙蓉という薬物の中毒症状で精神を崩壊させていた」
花蓮は思わずライオネルの手を強く掴み返していた。思わず爪を立ててしまうほどに。
(それは…阿片中毒というものではないの?なぜ?)
「僕が容態を確認した時には、すでに末期の症状だった。とてもではないが、治せるような状態ではなかった。症状をやわらげる方法がないわけではなかった。しかし、君のお父さんには拒否された 」
「なぜ…でしょうか? 」
「阿芙蓉は、君もこの周囲の村でも見たと思うがケシの実から採取することができる。
ここ青海では、村に研究施設を作って医者が外科手術の際に患者に投与するための鎮痛剤を精製している。阿芙蓉を身体から抜くためには、同じケシの実から採取したヘロンという薬物を少しずつ投与していき長い時間をかけて治療していくことが求められる。
アリスティア様の体力・精神力では…それには耐えられないかもしれないと僕は伝えたんだ。そうしたら、ファーガソン伯爵からは簡単な鎮痛剤だけを処方して欲しいと求められた 」
「お母様が自死したと聞いて…、ライオネル様は何が起きたのだと思いましたか? 」
冷静になろうとして、花蓮は唇を無意識にかみしめていた。
「痛みに耐えかねて、死を選んだのかとも思ったが…よくわからない。
不可解なことも多いし…。なぜアリスティア様が阿芙蓉の中毒になったのかもそうだし…。快楽を得るために吸引する人間がいないわけではないが…彼女がそのために阿芙蓉に手を出したのかというと、そうではないと思う 」
言い淀むライオネルに対して花蓮は彼の瞳をのぞき込んだ。
「娘の私が秘書として送り込まれたことには、どのような意味があるのだと思いますか? 」
(意味?)
そう言われて、ライオネルの瞳が虚空を見るようなそれになった。そして焦点がだんだんと合わさっていく。
「そういうことなのか…しかし… 」
(一人で納得してる…)
一人でぶつぶつと呟きだしたライオネルを横目に、花蓮も頭を巡らす。
アリスティアが心身共に健康を害していたのは、おもに阿芙蓉という薬物の副作用なのだろう。医者が適切に使用するのであれば医療用の薬物として認められており、中毒性もないのだろうが、常用することによって身体を蝕んでいく。
だとすれば、アリスティアの容態を確認していた医師のバルジー伯爵がこのことを知らないわけはない。もしかすると…阿芙蓉を彼女に与えていた人物はバルジー伯爵その人ということはないのか?
ファーガソン伯爵はこのことをわかっているのだろうか。
(本人に確認してみないと、どうしようもないわね)
花蓮は頭の中である計画を組み立てるとライオネルの手を包み込むようにそっと握った。驚いてライオネルが思わず花蓮の手を凝視する。
「ライオネル様、私が知っていることをすべて貴方にお話しします。ですので、これからのこと、どうか私に協力をしていただけないでしょうか?
貴方がご存知のことを、すべて私に教えてください 」
濡れるように光る花蓮の瞳にライオネルは自分の姿が映っていることを不思議な気持ちで見つめた。まるで、吸い込まれるように頷いていた。