転換
花蓮たちが滞在しているのは、青海にあるパターソン伯爵家の本館。そしてパターソン家には西館と東館がある。東館は倉庫。西館は研究施設であるとのことだった。花蓮とラミはディレイに案内されて西館に足を踏み入れた。
三人の後からは狼犬のロボが大人しくついてくる。花蓮はときおり興味深そうにロボの動きを目で追っている。
「ディレイは今いくつなの? 」
「俺ですか?今年12歳になります。ファーレン…様は? 」
「私?私は…えーっと、一応18歳、かな? 」
どこか他人事の様子で答えるファーレンにディレイは首をかしげる。やっぱり、ちょっと変わっている。変わっているけど、嫌な人ではなさそうだ…。
西館はあまり手入れされていないようで埃っぽく、ディレイはそこの通路をずんずんと進むと突き当りの大きな部屋へと入っていく。
「ここは資料室。隣が図書室だよ。そこの机に置いてあるルーペとかペンとか好きに使ってもいいと言われているから。あと、ここは地下にも部屋があるんだけど、そこは立ち入り禁止になっているから 」
地下室…。何か大事なものが置いてあるのかしら?
花蓮は考えを巡らす。この屋敷は人も少ないし、入ろうと思えばいつでも地下室くらい侵入できそうだ。急ぐ必要はないだろう。作業と称してここに出入りを繰り返せばチャンスは訪れるはずだ。
それに、倉庫にしている西館にも何かあるのかもしれない。
彼女は図書室と資料室を見て回ると、何冊かの本とここ最近のファイリングされた新聞を手に取り、部屋に持ち帰ってもいいかディレイに確認する。そんなに貴重な本でもないので持ち出しても構わない、とのことだった。
どうしても、花蓮には確認しておきたいことがあった。
「他にも、本物の薬草なんかを見たり触ったりできるのかしら? 」
「裏の畑や村で育てているから、それを見に行くのは簡単だよ。薬として仕上がったものであれば本館のライオネル様の部屋とかお隣の研究室に色々とあると思う。でも、危ない薬もあるからって、あんまり触らせてはもらえないよ 」
「危ない薬…?例えば毒のようなものとか…? 」
そう問いかけると、ディレイは(それは違う)と首を振る。
「薬というのは、陰と陽の気を持っているんだよ。だから、同じ薬でも毒になる人もいれば薬になる人もいるんだ。だから、ライオネル様は患者さんの容態を確認してから一人一人に合った薬を調合して渡している。同じ風邪薬でも、まったく違う薬を処方することもあるよ 」
(なるほど…)
つまり、漢方のようなものなのだろうか。あまり、突っ込んだ質問をしてディレイに警戒心を与えてもいけないので、ここらへんにしておこう。
そして、お目当ての『パターソン綱目』を探し出すことが必要になる…のだが、ここで花蓮は自分の目を疑ってしまった。あまりにも無造作に本棚の目のつきやすい場所に、他の蔵書とともに並んでおり、彼女の目に飛び込んできたのだ。見間違いかと思って、何度か背表紙を確認してはみたが間違いではなさそうだ。
持ち帰るために手に取った資料の中に『パターソン綱目』を潜り込ませて花蓮はディレイに声を掛けた。
「今日はこれくらいにしておくわ。案内ありがとう 」
★
与えられた部屋に花蓮が資料を持って帰ると、ベットの上に先約が陣取っていた。
「あなたは… 」
狼犬のロボだ。西館でうろついていたロボだったがいつの間にか姿を消していた。いなくなったと思ったら、ここに先回りしていたようだ。花蓮は資料を机の上に置くと、ベットの上に飛び乗った。ラミが見たら『はしたない!』と驚きそうな行為である。
「あなた、可愛いわねー。ねえ、触らせてよ! 」
花蓮は思い切りロボの首に抱き着くと、そこの毛をすくように撫でる。ロボが気持ち良さそうな声を上げて腹を見せて転がったのをいいことに、さらにおなかの毛をわしゃわしゃと撫でてやった。
「あ~、もふもふしていて気持ちいいわ~ 」
そして、そんなロボの腹を枕にして寝転ぶと、逆にロボが花蓮の身体の下から抜け出して彼女の太ももを枕にして寝転がる。ふわふわの毛が暖かく眠気を誘う。
花蓮は寝転がりながらロボの頭をなで、そのまま夢の中へと堕ちていった。
★
翌日から、早速花蓮は仕事に取り掛かった。朝、決まった時間に起きて庭や畑に散歩に行き、朝食をいただくと西館にこもって日が暮れるまで作業に没頭した。その後、本館に戻り、ライオネルに一日の報告をする。その日の疑問点を改善したり、間違いを指摘してもらうのだ。その際、ライオネルの私室で彼自身が調合した薬を見せてもらったり、面白い図鑑を解説してもらう。毎晩報告に現れる花蓮に対して、初めは片手間に応対していたライオネルも、1週間ほどたつと作業の手を止めてくれるようになった。
それと並行して、『パターソン綱目』にも目を通すことにしたのだが、こちらには眉唾なのではないか、というようなおとぎ話のような内容が後半に記されており花蓮としては(なぜこのようなものを伯爵たちが欲しがるのか意味がわからない)とさえ思ってしまった。
前半は彼女の現実世界(と呼んでいいのかわからないが)での知識と照らし合わせて、納得のいく資料だと思えるのだが、後半はとある一族に伝わる特殊な能力について記されている。
あまり手元に留めておくのもどうかと思い、花蓮はそれを元あった場所に戻しておいた。
そして、花蓮が地道にライオネルに頼まれた仕事をこなしている中で、最初に希望していたものを軽く渡されたのだ。
「これ、あったら便利って言っていた資料だよ。皇室図書館から持ってきてもらった。植物と薬品の図録と系譜をまとめたものだ。全部で20巻もあるんだが、何回読んでも面白い。僕も7歳のころ読んで、夢中になったよ 」
ライオネルの机の横にずっしりと積まれている、その図鑑。一冊一冊がずっしりと重たそうで、しかも(持出厳禁)の印字がなされていた。
「こ、これは…私が見てもよろしいのですか…? 」
「うーん、構わないよ。皇室図書館にあっても誰も読まないと思うし。薬師の卵にとっては必須の図鑑だけど、そういう人たちは薬学院で読めるしね 」
「そうなのですか…?ですが、これは、こんな短時間で帝都からここに届いたのでしょうか? 」
花蓮はここに来るまでの道のりを想った。
「それぐらいの本なら、短時間で届けてもらえるよ。手紙とか軽いものなら1日かからないかも 」
「は? 」
ライオネルは冗談を言うような男ではない、というのが少し付き合ってみた花蓮の感想なので、これも嘘ではないのだろう。何か、特別な輸送手段をこの男は持っているのだ。だから、こんな辺境に引っ込んでいても薬師として様々なところに薬を届けることができる。花蓮としてはパターソン綱目を手に入れるということが、この屋敷に滞在している目的ではあるのだが他にも興味深い事柄が沢山あった。
例えば西館の地下室。
朝早い時間に一人で入ってみると、そこは空っぽで何も置かれていなかった。しかし、床には土汚れの跡や、割れた陶器が散乱していた。何かを運び出した跡であろう。
そこから、花蓮が注目したのは東館。
倉庫に使っているとのことだったが、ここ数日深夜に灯りがともっているのを寝室から確認することができた。こっそりと見張っていると、ライオネルが一人で出たり入ったりしている。手には何か、小さな包みを持っていることもあれば、手ぶらのこともあった。
遠目にはわからないが、中に入ってみれば何をしているのかわかるのではないか?
だが、気がかりはライオネルの秘書のグレイである。彼は花蓮に対してある種の疑惑を持っているようで、花蓮の行動を監視するかのように鋭い視線を送ることがある。
正面きって「何か企んでいるのなら吐けよ」とも言われた。
勿論、にっこりと無言で微笑みを返しておいたが。
図書室や庭や畑を見て周っている時に、後ろから視線を感じることも多い。
行動しようにも、どうにもできない。
しかし、図書室で目当てのものはすでに見つけている。
「パターソン綱目 」
とても無造作に、ほかの蔵書とまとめて古びたその冊子は置いてあった。
一度は部屋に持ち帰り、それから毎日図書室で一人になったタイミングで目を通している。
前半部分には「枯骸」というタイトルがつけられており、後半部分には「復活」というタイトルがつけられている。
枯れた、骸…。これは、木乃伊の書だ…。
★
ファーガソン伯爵の使いだという男が青海のパターソン伯爵家に訪ねて来た。
花蓮が屋敷を出てから3か月が経過するころであった。
男はイドラと名乗った。褐色の肌に深い黒の瞳を持っていて、動きはしなやかな獣のようだった。身体を黒いマントで覆っており、不吉な予感を感じさせる。
そして、既視感を感じた。花蓮は、この男を知っている…。いや、知っているのはファーレン?ファーレンはこの男のことを知っている?
花蓮は「この男から、逆に私の知らないことを聞き出してやろうか」と考えを巡らせた。
客室で二人きりになると、イドラは伝言だと言ってファーガソン伯爵の言葉を簡潔に伝えた。
『早くことをなせ』
花蓮は息を深く吐く。
「パターソン綱目?それなら、もう見つけたわよ 」
「見つけた?どこにあるのです? 」
「西館の資料室にそういう名前の古い冊子があったわ。でも…何も変わったことは載っていないわよ。お父様たちが言っていたものなのかわからないわ。
これが、本当に…お母様を殺した証拠になるの? 」
「それを…判断するのは我々ではない。他に、この屋敷に変わったものはないのか?
お父上の命令を遂行する気がないのであれば、マリィ様と侍女の命がどうなるかは保障できないが 」
こいつ、ラミの命まで盾に取りやがった…。こうなるのではないか、という予感はあった。やはりマリィのところにラミを送り返しておくべきであった。
だけど、動揺するような顔をこいつに見せてはいけない。
睨み合って対峙していると、するりと音もなく(何者か)が室内へと入り込んできた。一陣の風が吹いたような気がして、花蓮が足元を見ると、そこには狼犬のロボがまるでイドラから花蓮を守るように鎮座していた。
「ロボ…?なぜ…ここへ 」
ロボは鼻を鳴らすと自分の身体を花蓮の足にこすりつけるようにして甘える。イドラは不可解な顔をしてロボを眺めていた。
「その犬は?ここの番犬か何かですか?騒がれると困ります 」
「賢い子よ。むやみに騒いだりしないわ。それに… 」
ロボの瞳を見つめていると、花蓮は自分の心臓の音が徐々に落ち着いてくるのが感じられた。大丈夫。焦ってはだめ。こいつに負けてはだめ!
(ありがとう。ロボ)
花蓮はイドラの目を正面から見つめて話す。
「三日後に、近くの省で学会が開かれるらしいの。ライオネルは秘書のグレイと二人でそこに出かけて行って1泊するそうだから、その時に部屋を探りましょう。あなたも手伝って。それと…私からも質問があるのだけれど、少しいいかしら? 」
この男は、ファーガソン伯爵に仕えている男で、今回のような後ろ暗い計画にも加担している。
だとしたら…。
「あなた、お母様の死の原因をどのように考えているの? 」
「アリスティア様の、死の原因?おかしなことを聞きますね。自ら命を絶たれたのですよ 」
「遺書はなかったのかしら? 」
「そのような話は何も聞いていません 」
「お母様は、なぜ自殺なんてしたのかしら? 」
イドラは、なぜそのようなことを聞くのかというように首をかしげて笑った。
「昔から心のお優しい方だった。ですが、あなたのことで色々と悩んでいたようだし…神経が衰弱していた。段々とお食事も取られなくなり、日の当たるところにもお出かけにならなくなって… 」
「お医者様に…バルジー伯爵にお薬を処方していただいていたでしょ? 」
「そうですね…。よく効くお薬のようでしたが…、薬が切れると急に暴れたり、逆に無気力になってベットから起き上がれなくなったり…とても、よくなる兆しは見えなかった。昔は正気でいる時間の方が長かったが、最近では異常な精神状態でいる時間の方が長かったですね…。
あなたも、そんなアリスティア様と接触することを恐れていたのではないのですか? 」
恐れていた…。娘のファーレンは母親を恐れていたのか。
そして、そんな母親から崖下に突き落とされた。母親はその後、娘を殺したことを後悔して自死した?
何か頭の中がモヤモヤとして、思い出せそうなことが思い出せなくて…。花蓮は頭を抱えたくなった。これはファーレンの記憶なのだろうか。ファーレンとして、何かを思い出そうとしているのだろうか。
花蓮は話を変えることにした。
「そういえば、この前帝都の新聞を見たわ。叔母様、無事に嫁がれたみたいね 」
新聞の結婚・離婚・人探しの欄をここに来てから毎日確認していたかいがあった。ファーガソン伯爵は約束を守ってくれたようだ。ピクリとイドラが反応する。
「お相手は貴族ではないけれど、成功している商人。お金には困らないでしょうし、写真で見た限り年も近くて…いいお相手でしょうね 」
「ご存知でしたか…。マリィ様からはお手紙を預かってきました。これをどうぞ 」
手渡された手紙をその場で開封して読むと、短いながらもそこからはマリィの人柄がにじみ出ていた。
『元気にしていますか?』
『絶対に危ないことはしないで欲しい』
『私なら大丈夫』
『侍女のラミはどうしていますか?』
『いつでも私を頼って欲しい』
最後に「婚約がなされました。結婚します 」と、素っ気なく手紙は結ばれていた。
(自分のことは後回しで、ファーレンとラミの心配か…)
「安心しました。お父様も…私との約束は守ってくださった、ということですね 」
ほっとして花蓮が呟くと、
「お相手の方は一代で富を築き、隣国ともつながりが深いようですから。縁戚となることを望まれたのでしょう 」
というのがイドラの答えであった。
それであっても構わない。貴族の結婚なのだから、なにかしら思惑はあるものだ。
万が一、花蓮がこの任務に失敗したとしてもマリィの身は安全だと思われた。
あとは侍女のラミだ。彼女のことを、花蓮から遠ざける必要がある。でも、どうやって?
イドラが探るようにこちらを見ている。まるで「お前は誰だ」と探るかのような眼差しで。
花蓮は自分を落ち着けるために、足元のロボの毛を強く撫でた。