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カノプスの壺  作者: 二上恵美
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道中

ぼんやりと馬車の車窓から外を眺める。

ここ数日、ずっと同じ景色。緑の山々とそこに点々とする白や黒の模様。よく見ると家畜が放牧されているのだということがわかった。


花蓮が荷物をまとめて屋敷を出てからすでに5日が経っているが、目的地であるライオネル・パターソンの屋敷にはまだ辿り着かない。

叔母であるマリィから、ぜひ連れて行くように!と厳命され連れて来た侍女のラミに聞いたところによると、あと15日はかかるとのことである。狭い馬車の中で花蓮はラミと二人きりであった。ラミは余計なことは何も話さないので、花蓮も自分の考えに集中することができる。


それは、出発前にマリィから聞かされたファーレンの転落事故の真相について。


出発に向けて慌ただしく荷をまとめていたマリィに「二人きりで話がしたい」と言われて、花蓮は屋敷のバルコニーに呼び出された。そこからは、ファーレンが転落したという崖がよく見渡せた。


「私ね、あの日…ここにいたの。ここでお茶を飲んでいたのよ 」

「あの日、ですか? 」

「そう、ファーレン。あなた、もうあの日のことを思い出しているのではないの? 」


花蓮はどう答えていいものか迷った。崖から転落した時の記憶なんて、勿論ない。黙りこくっているファーレンの顔を見て、マリィが言葉を綴る。


「あなたが、こんなにも心を強く持って生きているだなんて、信じられない。きっと、それはあんな経験をしたからなのよね。実の…母親に殺されそうになるなんて…本来なら、母親から愛されなければいけない存在だというのに… 」


マリィの声が空に吸い込まれていくように小さく震えている。


なんですって?

母に殺されそうになった?だれが?


恐る恐るマリィの顔を見ると彼女の顔はこわばっている。これは、嘘をついている顔ではない。花蓮は確信を持った。


「あの日、あなたちは久しぶりに散歩を楽しんでいた…。私は珍しいこともあるものだと思って、なんとなく見ていたの。そうしたら、急にあなたたちの身体が重なって、二人がもみあいだした。何かを奪い合うような…いいえ、よくわからない。遠かったから。

でも、アリスティアが貴方を突き飛ばしたのよ!

あなたは崖から落ちて、アリスティアは錯乱した様子で走り去った…その後、私は急いで崖下に駆けつけてあなたを発見したの 」


「その後、お母様は? 」


「寝室で亡くなっているのをバルジー伯爵が発見したわ…。私は恐ろしくて、自分が見たことを誰にも打ち明けられなかった 」


花蓮はマリィの震える手を握りしめる。


「叔母様。怖かったですよね。ごめんなさい、私たち親子のことにこんなにも巻き込んでしまって 」

「何を言うのよ…巻き込まれただなんて思いません…。

アリスティアの神経が衰弱していることは、前々から私たち屋敷の者にとっては周知の事実だったのよ。ぼーっと放心していることもあれば、急に奇声をあげて暴れたり、だんだんと正気を失くしているようだった。それを、あなたと二人きりにしてしまったのは私の落ち度だわ…。それに、こんな状態になるまでに、本当は何かできることがあったのかもしれない 」

「叔母様、自分を責めないでください。

幸いなことに、私はあの日のことをはっきりとは思い出せないの。あの日のことを考えると頭が割れるように痛くて。そのうち思い出せるといいのだけれど… 」

「あぁ!ごめんなさい…。こんなこと、誰にも言うつもりはなかったのよ。自分だけの胸の内に収めていようと思ったのに… 」


それは無理であったのだろう。あまりにも衝撃的なシーン。彼女は一人で抱えることができなかった。


「叔母様がいてくれてよかった。実の母親から愛されなかったということは不幸かもしれないけれど、事実として受け入れたいと思います。それに、もし母の死に本当にそのライオネル・パターソンという者が関わっているのであれば、真実を知りたいと思っています 」

「本気なの? 」

「えぇ… 」


マリィが強く花蓮の手を握りしめる。


「あなた、別人みたいだわ。今までとは 」

「変わったのです。もう今までのようにはいられないのですから 」


花蓮の額にマリィが口づけた。


「あなたに信頼できる侍女を一人つけましょう。とても賢い娘です。そして、ねえファーレン 」

「なんです? 」

「決して、命を無駄にしないで。危ないと思ったら逃げなさい。私のことは気にしなくていい。自分の身を守るのです 」


マリィの瞳には強い光が宿っていた。美しく、強い女性。

花蓮は無言で頷いていた。


途中の村々で休憩して、芥子畑の見える広場で水分補給として西瓜を頬張っていると侍女のラミが「ファーレン様… 」と話しかけてきた。


マリィから連れて行くようにと言われた侍女のラミは、年は21歳。暗い茶色の髪に赤みがかった茶色の瞳をもっており、背はファーレンと変わらない。マリィの、元嫁ぎ先である家から彼女についてきた侍女であり乗馬もできるし数か国語を操ることもできるという才女である。


「あら、悪いわね。あなたも西瓜食べなさいよ 」


花蓮が食べかけの西瓜を差し出すと、ラミが戸惑いを見せながらも受け取った。


「ここでは水の補給もできないみたいだから、これを食べておいた方が良さそうよ 」

「そのようですね…。ファーレン様は今から向かうパターソン家のことをどのくらいご存知ですか? 」

「そうねえ…。皇帝からの信用の篤い薬師の一族で、たった一人の跡継ぎ。領地である青海せいかいは高地にあって、そこに引き籠るように暮らしている。結婚もせず、愛人もおらず子もいない。俗人にはわからないような気味の悪い研究ばかりしている…、とか。それぐらいよ 」

「そうですね、民草の噂といえば、そのような内容でしょう。そこに追加させていただきたいことがあります 」

「ええ、どうぞ。助かるわ 」


ラミが語ったことは非常に興味深い話であった。

青海というところは、はるか昔に隕石が落下してしてできた窪みにできた土地だと言われており、非常に珍しい鉱物がとれるのだそうだ。そして、その土地は非常に肥沃な大地であり、様々な作物を育てることができる。パターソン家は、そもそもそこで野菜や果物を育てている農民だった。


「農民が、わけあって貴族になったというのね? 」

「そうですね…。400年ほど昔のことですが、とても珍しい作物を時の皇帝に献上し、その際に皇帝から『薬師を名乗るように』と言われ伯爵家として認められたのです 」

「その珍しい作物って何なのかしら 」


ラミが首をふった。


「わかりません。皇室図書館にある正史の記録でも見ることができれば確認できるのでしょうが…それは我々には見ることがかなわないものですから 」

「ふーん…おもしそうな話なんだけどなー 」

「おもしろい、ですか? 」


きょとんとしたラミに花蓮が問いかける。


「面白いでしょ?ラミはどう思う? 」

「そうですね…。話に箔をつけるために後世になってパターソン家のものが尾ひれをつけて、謎めいた話としてばらまいたのかと思ったのですが… 」

「なるほど、そういう風にも考えられるわけだ。

で、他には何かあるの? 」

「そうですね。実は今回ファーレン様はライオネル様の秘書として赴くということになっているのですが…そのことはご存知ですよね? 」

「そのことはお父様に聞いたわよ。料理人として派遣されても私は無理だし。秘書ぐらいなら、なんとかね… 」


何といっても花蓮は30歳の事務職OLなのだから、それが本職である。しかし、不安があるとすれば薬の知識など何もないということだろう。付け焼刃で屋敷の図書館でその類の文献を漁ってみたが素人には難しすぎるしぶ厚すぎるしで、とてもじゃないが理解はできなかった。

仕事をするにあたっては教えを乞うしかないだろう。


「その秘書の仕事ですが、いままで数多の貴族の娘たちが送り込まれたようなのですが、ことごとく脱落して逃げ帰っております 」

「なんですって? 」


どういうこと?

もしかして、ライオネル・パターソンという奴はとんでもないブラック上司なのであろうか。

まあ、しかし花蓮の役目は秘書として働くことではなく、パターソン綱目というものを探し出して焼却することである。このことは侍女のラミには秘密である。父親であるファーガソン伯爵からは、綱目は燃やせと言われたが花蓮としては内容が気になっていた。

手に入れたからと言って自分で読めるものなのかは不明だが…。

だから、秘書として務まらない場合でも、掃除婦でも小間使いでも代書係でも、なんでもいいから屋敷に居座れるようにすればいいのだ。


「まあ、その心配は屋敷についてからにしましょう 」

「ファーレン様は、以前とは変わられましたね… 」

「ふふ、人間生きているといろいろとあるものよ 」

「それは、そうでしょう… 」


ラミがそっと瞼を閉じる。

花蓮は張りのある声でラミに話しかけた。


「言っとくけど、私に気を遣う必要なんてないわよ!あなたたちが思うほど、私は自分のことを不幸だとは思っていないんだから 」


まあ、ファーレンとしての記憶がないから、こんなこと言えちゃうわけなんだけど…。


ラミは花蓮を見ると、小さく頷いた。


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