あれから3年
女性の一人暮らしの部屋を深夜に訪ねていくことに抵抗はなかった。もし、そこで(翌朝にしておこう)だなんて思ったら最後、彼女はするりと彼の手の中からまたもや抜け出していってしまうかもしれないのだから。
それに、明日の昼からは学会に講師として呼ばれており宿に缶詰めにされてしまう。そうなる前に、彼女を確保しなければいけなかった。
ライオネル・パターソンがあの日…ファーガソン伯爵からパターソン綱目を渡された日から今日まで、およそ3年の月日が経っていた。すぐにライオネルはファーガソン伯爵の後を追いかけて屋敷まで出向いたのだが、忙しくしていて会えないという伝言を屋敷の侍従から冷たく伝えられた。それだけでは納得できず数刻ロボと粘っていると困惑している様子の侍女が1通の手紙をもって門扉から出てきてライオネルにそれを渡した。
手紙は間違いなく、ファーレンの文字であった。
心配しないで欲しい。
この手紙は、脅されて書いているのではない。
秘書としての仕事を途中で投げ出すことになるが、父親からこれからは一緒に暮らしたいと頼まれたので娘としては父の願いを叶えたいのだ、ということであった。
最後に「あなたのおかげで助かった。絶対にあなたのことは忘れません」とも記してあり、ライオネルはこの手紙を今でも鞄の中にいれたままにしてある。
手紙の中では母親であるアリスティアのことや、バルジー伯爵については一言も触れられていなかった。
その後納得はできないものの、一度青海に戻ったライオネルの耳に王都からのゴシップだということで、ある噂が飛び込んできた。その噂は「木乃伊復活の軌跡 蘇ったアマンの美女!」という見出しで安っぽい雑誌の見出しも飾った。
記事によると、バルジー・ランド伯爵(優秀な薬師!←原文ママ)は数十年来の付き合いであるイライアス・ファーガソン伯爵の屋敷に日々出入りしておりイライアス・ファーガソン伯爵夫人のアリスティアの治療にいそしんでいたのだが、ある時に彼女がアマンの民の末裔であるということに気が付いた。
それは、彼女が夢の中で未来のことを予知する能力を身につけていたことから、バルジー伯爵が推察したことに過ぎなかったが(アリスティアの両親はもう何年も前に亡くなっていた)アリスティア自身が「祖母が昔集落で巫女をしていた」と話したことがあったらしい。
アマンの民が木乃伊を作りだし、ある『復活』の儀式を行うことで失くしてしまった命を再生させることができるということは民俗学者のなかでも数人が唱えている説であり、かつて存在していたアマンの末裔の少女も「見たことがある」と語っている。
このことから、バルジー伯爵は深い友情で結ばれているイライアス・ファーガソン伯爵から「妻の命を蘇らせて欲しい」との依頼を受け今日まで尽力してきた!
そのバルジー伯爵の苦労がここに実り、命を失い枯れていたアリスティア伯爵夫人の木乃伊は瑞々しい肉体と元の魂を取り戻したのだ。
記事にはアリスティアが入っていた棺とカノプスの壺の写真まで添えられており、このことは退屈していた人間たちをちょっとしたオカルトブームへと導くことになった。
記事が本当かどうか、確かめようする人間たちがファーガソン伯爵家に侵入しようとした
り出入りする使用人たちを捕まえて勝手に話を聞き出そうとする。
それに対して、矢面に立ったのはファーガソン家の一人娘であるファーレン・ファーガソン伯爵令嬢だった。彼女は以前は病弱で口もきけないと言われていたが、この騒ぎが起きてからというもの逆に積極的に社交界へと顔を出し、いろいろな人間と交流を始めた。
溌剌とした様子で父親との健全な仲をアピールし、病気で亡くなってしまった母親への愛を語るファーレン。彼女は美しいブルネットの持ち主で瞳は美しく輝いている。美しい令嬢の周囲には信奉者たちがどんどんと集まり始めた。
かたや、医者としての名声欲しさにファーガソン家の内情を暴露するバルジー伯爵であったが、どんどんと彼は劣勢になり始める。
庶民向けの新聞や雑誌で美しいファーレンの記事が特集として組まれ、ファッション冊子にも顔を出し始めたころから、怪しい噂はすっかりただの噂として風化してしまったのであった。
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あれから、何度もファーレンと接触しようとしてライオネルは顔を出したことがない大型の舞踏会や社交場にまで何回も足を運ぶようになった。他の独身の男たちがやっているのを真似してファーレンへの言付けを頼み、どうしても話がしたいと手紙を渡す。
運のいい男であればバルコニーで数分だけ話ができる、ということであった。
同じ屋敷で生活していた時には見たことがないくらいに、ファーレンは遠目から見ても伯爵令嬢らしい振る舞いをしていた。まるでライオネルが知っているファーレンなど、もういないのだという事実を彼は突き付けられているようだ。
そんな彼女の姿を見て、ライオネルはなぜ自分がここまでして彼女にこだわっているのかがわからなくなってしまった。自分のことを求めてもいない女を追いかけて何をしているのだろう。こんなことをしている時間があるのであれば、研究に時間を割いた方が有意義なのでは?何度も自問自答する日々。
それでも忙しい日々をぬって、彼は繰り返し社交場へと出かけて行った。
そうしていて約1年が経った頃、懐かしい顔と再会を果たしたのだ。ファーレンの侍女のラミである。
彼女はライオネルの顔を見てたいそう喜び、そしてたいそうがっかりした顔をした。
ファーレンに会わせたくないのであろうか?と思い「彼女が嫌がるのであれば帰る」と告げると、「そうではないのだが…」と首を振り、その後ファーレンが待機している個室へとライオネルを連れて行く。
そこで彼は、衝撃の事実を告げられてしまったのである。
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久しぶりに再会したファーレンから、ライオネルは「はじめまして。ファーレン・ファーガソンです 」と淑女の礼を受けた。何を言っているのだ…と思い、彼がファーレンの顔をじっと見ていると、ファーレンはそわそわとした様子でライオネルの近くにまで寄ってきてペコリと頭を下げる。
「あの、びっくりされると思うのですが…私がファーレンなのです 」
「いや、それは…そのわかるよ。君の顔を見れば 」
「本当にそう思いますか? 」
彼女にそう言われて、ライオネルは再度じっとファーレンの顔を見つめる。
なんというか、雰囲気は違うような気はする。背格好もどちらかというと今自分と話しているファーレンの方が少し小さいような気がする。だが、なんとなく(気がする)という程度のものだ。
「なんとなく雰囲気が違うかも、とは思いますが… 」
「雰囲気!そう、雰囲気!それ! 」
ライオネルの腕をファーレンが気やすく掴む。
「私は(アリスティア・ファーガソン)の肉体に復活してきた(ファーレン・ファーガソン)なのです!あなたが探しているファーレンとは別人ですのよ! 」
なんだって…?
「じゃあ、僕があの時一緒にいたファーレンはどこに…どこにいるんだ。彼女は誰なんだ? 」
「彼女のこと、知りたい? 」
試すような瞳でファーレンがライオネルを覗き込む。
「知りたい…教えてくれないか? 」
ロボにふくらはぎをかまれなくても、ここまで来れた。
ここで、このファーレンから話を聞けば…自分はすぐにでも彼女の元に駆け出していけるだろう。
少なくとも、あの時の僕はそう思っていた。
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あれから3年。
ファーレンから真相を聞かされてからは、2年もかかった。真相を教えられて、絹田花蓮という女の人となりを聞いた。
色んな人間にけしかけられて、彼女の潜伏先に何度も急襲したのに…。彼女はするりと身をかわしてどこかへ逃げてしまうのだ。
絹田花蓮は、ファーガソン家が完全にゴシップから解放されるまで人の多い都会で身を隠す、といってファーガソンの屋敷を出て行ったらしい。ファーガソン家は援助はしているものの詳しい潜伏先までは知らされておらず、ボディガードとしてイドラが花蓮の身を守っているのだと聞かされた。
あの男が、彼女の近くにいる。安心していいのか、悪いのか。いや、ここまで来て悪い想像をしても始まらない。
ライオネルは暗い道を速足で進みながら、彼女と会えたら何を話せばいいのか考えていた。




