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カノプスの壺  作者: 二上恵美
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復活

久しぶりに花蓮はイドラとともにファーガソン家の屋敷へと足を踏み入れた。以前よりも使用人の数が減っており、活気もないように思われる。青海からはライオネルとロボが花蓮について来てくれ、近くのホテルで待機している。


ファーガソン伯爵とバルジー伯爵は離れの地下に籠っているらしく、花蓮もイドラの手によってそこに案内された。地下室だということもあり、一歩足を踏み入れた時から室温がぐっと下がったような気がする。一瞬足を止めた花蓮を促すようにイドラが振り返った。

再び花蓮は地下への階段を下り、やがて突き当りの部屋へつづく大きなドアを両手で力いっぱい押し開いた。



室内は乾燥しており、冷気が漂っているようだった。思わず身震いした花蓮の肩に、イドラがショールを取り出し掛ける。どこから取り出したのか、花蓮は不思議に思ってイドラの横顔を見やる。

室内は決して明るくはなく、ほのかな灯りが灯されていた。そこに大きな土色の棺のようなものが大小の壺に囲まれて安置されていた。壺には特徴的な記号が記されており、スケッチで見たカノプスと言われる壺だと見て取れる。

そして、棺の蓋は開けられており男性二人…ファーガソン伯爵とバルジー伯爵がその中を覗き込んでいた。


「お父様… 」


声を掛けて花蓮は二人の元へと近づいていく。気のせいかぐっと冷気の気配が強まったような気がする。

ファーガソン伯爵とバルジー伯爵は魅入られたように棺の中から目を離さない。

自然と花蓮も誘われるように棺の中を覗き込むような体制になった。そこで、信じられないようなものを彼女は目にした。


なんと、瑞々しい。


そこに横たわっていたのは花蓮が知識として知っている木乃伊などではなかった。美しく、真珠のような肌を持つ美しい黒髪の少女。年はファーレンの外見と近いだろうか。夢の中で見た若かりし頃のアリスティアの外見と驚くほど酷似している。これは、アリスティアなの?

吸いつけられるようにファーレンは棺の横に身を寄せていた。

そして、そんな花蓮に今気が付いたのかバルジー伯爵が棺から顔をあげた。


「やあ…君のお手柄だ…。見なさい。彼女はようやくこの世に生まれ変わるのだよ 」

「あなた方は、一体なにをしているの? 」


花蓮は驚きのまま棺の中のアリスティアだと思われる少女に手を近づける。


「アリスティア…お母様なの? 」


震えているのは恐怖のため?それとも畏怖?驚き?

喜びのためか声を震わせているバルジー伯爵が大きな声を出す。


「君が手に入れたパターソン綱目の『復活』の章は我々の欠けていた情報や知識を補う最後のパーツとなった。イライアスは最後まで迷っていたようだが…結果はこうだ! 」


イライアス・ファーガソン伯爵。アリスティアの夫でありファーレンの父でもある男。

その男は相変わらず眉間に深いしわを刻んだままだ。そうしてアリスティアから目を離さない。ファーレンに声すらかけなかった。


「それにしても、髪を黒く染めたのか。アリスティアとよく似ているじゃないか。なあ、イライアス 」


バルジー伯爵が軽くファーガソン伯爵の肩を叩いたので、一瞬だけ花蓮とファーガソンの視線が交差したが、ファーガソン伯爵は興味などないといった風にすぐに視線を逸らしアリスティアの棺に視線を落とす。そして彼女の重ねられている手の甲に己の手を重ねる。


「アリスティア…どうか… 」


ファーガソン伯爵がその手を持ち上げアリスティアの指に口づけたその時、花蓮はアリスティアの瞼がピクリと震えたような気がして思わず息を止めた。

空気が振動してアリスティアの睫毛が震えている。いや、起き上がる?

まさかと思い、息を詰めてどれくらいの間そうしていたのだろう。やがてゆっくりとアリスティアの瞳が鈍く光り、まぶしそうに瞬きを数回繰り返した。



アリスティアは復活した。しかも、亡くなったころよりも若々しい肉体を手に入れて。

彼女は棺から移され今はアリスティアが昔から使用していたベットに横たわっている。少しの水だけを口に含むとまた眠りについてしまったが、息をしているし心臓もうごいていることが確認できている。ありえないことだが、実際にこの目で見てしまったので否定もできず花蓮はずっと蘇ったアリスティアのベットサイドに控えていた。

バルジー伯爵はというと、この『世紀の復活』を広く喧伝したいという野望をもとから持ち合わせていたのか、喜び勇んで屋敷を飛び出して行った。


(とんだクソ野郎ね…)


花蓮はため息をついて天井を見上げる。これからどうなるのだろう。


ファーガソン伯爵はアリスティアをこの部屋に移すと、職務のために一度出かけてくると言い残し屋敷を出た。その際に、絶対にアリスティアから目を離すなと花蓮は厳命されたのでこうしてここにいる。

しかし、見れば見るほど不思議である。

本当に、このアリスティアが命を失ってから数か月も経った遺体(もとい木乃伊)から蘇った少女なのだろうか。


顔を近づけてまじまじと見ていると、急に目の前のアリスティアがパチリと目を開けた。


「わっ! 」


アリスティアが花蓮の方にゆっくりと顔を向ける。そしてパクパクと口を動かして声を出そうとしている。花蓮は水差しからコップに水をつぐとアリスティアに少しずつ飲ませてやった。


「大丈夫?ゆっくり飲んで… 」

「はい…、ありがとうございます 」


ゆっくりと水を飲んだアリスティアの目の焦点が花蓮に合わさって、そうしてにこりと微笑んだ。


「ありがとう、絹田花蓮さん 」


え?


なんて?

アリスティアは私のことを何と呼んだ?


「私のせいで、大変なご迷惑をかけてしまいました 」


そうしてアリスティアはぺこりと頭を下げる。


「私は、ファーレン・ファーガソンです。はじめまして 」



驚いて、開いた口が塞がらないというのはこのことかもしれない。

花蓮はまじまじとファーレン・ファーガソンと名乗った少女を見る。


「ほ、ほんとにファーレンなの?ア、アリスティアは? 」

「お母様の魂は召され、もうこの世界に戻ることはありません。私は…あの日崖から落ちた日に何の因果か、花蓮さんの魂を引き寄せてしまいました。あなたが私の肉体に入ってしまったのは私のせいなのです 」

「それは、アマンの民の能力の一つなの? 」

「アマン?それはお母様の一族のことですよね?私は詳しくは知らされていませんが…多分そうだと思います。お母様は人の死を夢の中で先回りして見てしまう能力を持っていましたし、私は昔から様々な異世界の人たちの暮らしを夢で覗く界渡りの術を身につけていました。その能力のおかげで、私はあなたのことを知ったのですよ 」

「私のこと? 」


嬉しそうにアリスティア、ではなくファーレンが笑う。


「ええ、あなたのことずっと見てました。毎日お仕事に行かれたりお友達と、温泉?という大きなお湯の池に行かれたり…。女性なのにお酒も嗜まれるし、ズボンもはかれていて外にも自由に行かれていて、あの車という乗り物もご自分で運転されているし…本当に素敵ですわ! 」


こ、この子こんな感じの女の子だったんだ…。呆気に取られて元気に話しているファーレンを見ていると彼女がぎゅっと花蓮の手を握りしめた。


「本当に、花蓮さんには申し訳ないことをしたと思っています…。あなたを巻き込んでしまったのは私です。私の話を…聞いていただけますか? 」


「そうね、私も色々と教えて欲しいことがあるの。あなたが知っていることを全部教えてくれないかな? 」



その話はストンと花蓮の胸に収まった。信じられないような話ではあったが、納得できない話ではない。一人になりたくて、花蓮はファーレンの寝室を出てドアの外に立った。

鼻の奥がつんとして視界が滲む。


そっか、私…泣いてるんだ。


そりゃあそうだ。


ファーレンから聞いた話だが結論から言うと、すでに花蓮はあちらの世界、そう日本では死んでしまって遺体は焼却されてしまったということだった。


アリスティアが自死する少し前に、屋敷の崖からファーレンは転落した。転落の真相だが、アリスティアは何年も前から「自分が娘を己の手で殺してしまう」ということをファーガソン伯爵や娘のアリスティアに何度も打ち明けていたらしい。ファーガソン伯爵はなるべく母と娘が接触しないように、と二人を引き離した。

アリスティアは幼少の頃から界渡りの能力を身につけ、こちらの世界と異世界を夢の中で行き来することで沢山の言語を知った。しかし、それを口に出しても憚られはしないかということが気にかかり話をすることを止めてしまったらしい。


でも、あの日。アリスティアは娘にも自分たちの一族の能力が引き継がれているということに気が付いた。娘も自分のように狂ってしまう…。絶望した彼女は錯乱してファーレンに取りすがりながらも、口では逃げて欲しいと絶叫していた。そうして、ファーレンは自ら崖の下へと落ちて行った。


「自分で落ちたの? 」

「そうです 」

「怖くなかった? 」

「怖くはありません。それよりも、私の存在がお母様を苦しめているということが私には耐えられなかった 」


そうしてファーレンは死ぬつもりだった。それなのに、無意識のうちにいつも見ていた絹田花蓮を自分の肉体に引っ張り込み、自分は空になった花蓮の肉体に入れ替わるように入り込んだのだ。


絹田花蓮は32歳6か月を迎えた際に、自動車事故に巻き込まれて植物状態になっていた。魂はかろうじて肉体にとどまっていたが崖から落ちたファーレンの肉体に呼ばれ、代わりに寝たきりの花蓮の肉体にファーレンが吸い込まれた。


肉親や友人、少し気になっていた同僚の男性が見舞いに訪れ、先日息を引き取ったらしい。そして、花蓮の肉体から抜け出した行き場のないファーレンの魂はアリスティアの肉体を器と見定めて戻ってきた。


「そんなのって…ないよ… 」


花蓮の声が静かに吸い込まれていった。



イドラが屋敷の主から与えられている部屋は決して広いとは言えないが快適に過ごせる場所である。あまり、その部屋で過ごすことはなく、寝に帰るだけの場所ではあるが。

そんな部屋のドアをノックする人間はあまりいないので、彼はその部屋に現れたのが花蓮だったことに多少は驚いている様子であった。

そんな様子のイドラに、今まで見たことのないような砕けた様子の花蓮が話しかける。


「部屋にいれてくんない? 」

「ここで、構わないのですか? 」

「いいわよ 」


花蓮はイドラを押しのけるように室内に入り、イドラのベットに腰かけた。


「何かありましたか? 」

「あったわよ、大有り。あなたも知ってるでしょ。死んだはずの人間が生き返っちゃったじゃないの。驚いたわ 」


だが花蓮の顔はそんなに驚いている表情でもなく声も低く落ち着いている。


「何か…ありましたか? 」

「そうね、あなたに…報酬を支払いにきたんだけど 」

「報酬ですか 」

「そうよ。前に言っていたでしょ。私のことが知りたいって… 」

「えぇ…。言いました。教えていただけるのですか? 」


花蓮の口角が皮肉に引きあがる。


「なーんでも、全部教えてあげる。その代り、もうちょっとだけ、私の計画に加担してくれないかな? 」


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