お話の前に
「死」は生の営みの中にある。
人生という連続したものの最終地点として、人がこの世に生まれ落ちた時から定められている。
赤ん坊が泣くのは、生まれるというその行為自体が、死への第一歩であるという事実を恐るから。
最期があっけないのは、死は呼吸と同義であるから。
生きるためにする呼吸は、死ぬための呼吸でもある。
僕たちは日々、奈落の底へと階段を下っていっている。
人の人生は一本のレールで、不特定多数の干渉があっても、結局はスタートからゴールまで一直線。
自分が今、どれくらいのスピードでそのレールを走っているのか、それは自分自身でさえ不明瞭だ。
そして、暗闇に放り出されてから気づく。人生を振り返り、別れを惜しむ暇もなく。
ピリオドはただの点で、だからいつだって自分で置くことが出来るし、いつの間にか置かれていることもあるから。
畢竟、「死」とは誰の何の介入も受けない、先の見えない独立したレールを終わらせるために設置された、終点。
なら、僕は----
誰かの人生というレールにおける、「駅」なのかもしれない。
だけど、同時にそれは無人駅。
己の非力さは、いつだって自分の首を締め付ける。
これは、僕が大切な何かを守るお話。
生死をテーマにしてるので中二病感全開です。
「ああ、やってんなぁ」とか「イタタタww」みたいな風に思いながら見てください(苦笑)