第4話 国王
暖炉の火は着きっぱなしになっているわけではなかったからか、部屋にもひんやりとした空気が流れてきた。目を覚ました私は軽く身震いをして、手元に置いてあった時計を見た。
時計の針は午前4時ちょうどを示している。まだ日は昇っておらず、窓の外は薄暗い。
今日の出発は8時頃だとグラニスに言われていた。まだ時間がある。私は理由もなくベッドを抜け、すーすーと寝息をたてる優希の隣を通り過ぎた。
優希を起こしてしまわないように静かに部屋の扉を開けた私は、ゆっくりと宿の入り口まで歩きその扉を開けた。
何故こんな事をしているのかは自分にも分からない。けれども、何かに引き寄せられるように私はただ歩いていた。
外に出ると、ひんやりとした空気で町は静まりかえっていた。うっすらとかかる朝霧が、薄暗さと相まって現実味を薄めていた。
「...?」
ふと、10メートル程先の路地にキラリと光る物を見たような気がした。私はゆっくりとその場所に近づいていく。
やがて路地に入った私の目に映ったのは、見覚えのあるものだった。
「こ、これって...」
木製の、楽器ケースだった。この世界にくる直前に吹いたあの楽器が入っていたケース。
私はそれを目の前に置き、金具に手をかける。カチャリと音がしてロックは外れた。
恐る恐る蓋を開けると、中に入っていたのはやはりあの木製の管楽器だった。
「どうして、こんな所に...」
しばらくは私の頭の中を色々な考えが駆け巡っていた。我に返ったのは私を呼ぶ声が聞こえたときだった。
「凛?」
振り向くと優希がいた。その後ろにはグラニスも立っている。
「何してんだ?」
「えっと、今何時?」
「5時過ぎだ。凛がいないから心配になって探しに来たんだよ」
「ごめんね…それで、これを見つけたんだけど」
私は優希に楽器ケースとそれに納められたら楽器を見せた。
「凛、これって...!」
「うん、あの時の楽器だと思う...」
「あのー...」
私と優希が二人で盛り上がっていると、グラニスの申し訳なさそうな声が聞こえてきた。
「どういうこと?俺だけ話についていけないんだけど...」
とりあえず宿に戻った私たちは、部屋でグラニスに私達がこの世界に来た経緯を詳しく説明した。
「...そうか。もしかすると...」
「どうしたんですか?グラニスさん」
私達の話を聴き終わったグラニスが考え込んでいるようだったので私は声をかけた。
「あ、いや。何でもない。それよりも早く首都に行こう」
そうして私達は準備を始めた。朝食を軽くすませると、私達は出発した。
本当は歩いて行くつもりだったらしいが、グラニスは馬車をとってくれた。あの楽器はグラニスが持って行った方がいいと言っていたので、私が膝で抱える形で持っていた。やがて、私達は出発してから20分程で首都に辿り着いた。
アグレナード王国の首都であるランダルクは、活気のある町だった。城下町でもあるらしく、町は城壁に囲まれている。そしてその中心には小高い緑の丘があり、頂上に城らしき建物がそびえ立っていた。
「ドイツっぽいな…」
馬車の中から町を眺めていた優希が言った。
「ドイツ?」
「ああ。昨日の晩飯もライ麦パンだったし...建物がいちいちドイツっぽいんだよな」
そう言われても私にはピンと来ない。優希の秀才としての感性があっての言葉なのだろう。
それにしても広い町だった。端から端まで歩くとすれば1時間以上かかるだろう。まだ城に着くには時間がありそうだ。
「...ん、おい凛、もう着くぞ」
「あ、優希..」
どうやら眠ってしまったらしい。馬車の外を眺めるとランダルクの町並みは少し遠くなってきている。城のある丘に登っているのだろう。
「見えた!凛、優希、あれが城だ!」
前の方を向くとそれこそ子供の頃憧れたような姿の城が佇んでいた。
「でかいな…」
優希が感心したような声を出した。
城の門の前で馬車が止まり、私達は地面に降り立った。グラニスは門番の鎧を着た兵士と話している。
「城下防衛兵団副団長、グラニス・ゼルシェルトだ。例の客人も連れてきている」
「はい、分かりました。お通り下さい」
門番が門を開け、私達は城へと足を踏み入れた。
城の中は豪華で想像通りといえば想像通りだ。しかし、普段滅多に見ることができない光景はやはり新鮮だ。そんな城の中を、グラニスと見張りの兵士に連れられ私たちは歩いていた。
城にはやはり独特の空気が流れていて、私と優希は口を開くことは出来ない。ただ足音と私が持っている楽器ケースの軋む音だけが通路に響いていた。
やがて、グラニスが一際大きな扉の前で立ち止まった。
「ここだ。この扉に入る前に一応二人に言っておくんだけど...今からアグレナードの王に会ってもらう事になった」
「はぁ?」
流石の優希も驚いていた。
「おいおい...首都には学者さんに会いに来たんじゃなかったのかよ」
「そうですよ?私もてっきりこのお城に学者さんがいると思ってたのに」
「いや、言わなくて悪かったな。一応二人の事は国の問題というか機密にしておきたいから王に会ってもらいたかったんだよ」
意外と私達がこの世界にきたというのは大きい問題のようだ。
「...分かったよ。じゃああれだな、失礼のねーようにしてくれって事か?」
「まあ、そういうことかな。優しいお方だから大丈夫だとは思うけどね。それじゃあ行こうか」
そうしてグラニスは扉を開けた。
中は少し広めのホール程の広さで、奧には少し豪華な椅子と机が置いてある。部屋だけ見れば豪華で洋風な社長室校長室のようにも見えた。そこに一人の中年男性が座っており、その両隣には鎧を着た兵士が二人とその後ろには眼鏡の老人がたっていた。
「エナド陛下。グラニス・ゼルシェルト、只今戻りました」
エナドというのが国王の名前らしい。失礼かもしれないが軽く顎髭を生やし、金髪を短く切ったその姿はただの優しいおじさんにしか見えない。
しかし、それは彼が口を開くまでのことだった。
「グラニス、ご苦労だったな」
低めのその声は威厳があり、安心感があった。
「それで陛下、こちらの二人が今回連絡させていただいた方なんですが...」
エナドが私と優希の二人を交互に見ながら言った
。
「なるほど、本当に二人なんだな。すまない、紹介が遅れたね。私はこのアグレナードで王をしているエナド・アグレナードだ。名前で呼んでくれて構わないよ」
私達も軽く名前を名乗ると、エナドが私の持っている楽器ケースを見て言った。
「それは何だい?」
「あ、これはあの、私達がこの世界に来た理由に関係があるかもしれないんですけど...」
「そうか。それで、中身は何なんだい?」
「私もよくわからなくて...たぶん楽器だと思うんですけど...」
「楽器!?」
私の声にエナドとその後ろにいた老人が声を上げた。
「エナド陛下、これはもしかして...」
「...ああ、ちょっとえー...リンさん、だったかな?その楽器を見せてくれないか?私の後ろにいるこの男は学者だから別に怪しい男ではないよ」
エナドに言われると先程まで後ろにいた老人が前に出てきた。白髪に白髭と、赤い帽子を被せたらサンタクロースに見えそうな老人だ。
「えー…私はこの国の術学者のベリッツ・オルタルだ。ちょっとそのケースを開けてみてくれないか?」
術学者、というのは恐らく魔法などの研究をする学者なのだろう。私は絨毯の床に楽器ケースを置き、中身をエナドのいる方に向けて開けた。するとベリッツと名乗った老人は楽器の目の前に座り、それを凝視し始めた。横では優希とグラニスがじっとその様子を見ている。
やがて、ベリッツが驚いたように口を開いた。
「こ、これは...二つ目の神奏器が...!」
「やはりか!」
シンソウキとは何なのか、全く意味が分からない。しかし、ベリッツとエナドに加え、グラニスまでもが驚いた顔をしていた。
「おい...シンソウキって何だ?ちゃんと説明してくれよ」
話についていけなくてイライラしているのか、優希が不機嫌そうに言った。
しかし彼等はそんな優希の言葉が聞こえないほど興奮しているように見えた。そして、エナドが私達二人の方を向いて言った。
「この楽器の所有者...というか最初に吹いたのはどっちだい?」
「え?私ですけど...」
「吹けたのか?」
「ま、まあ...」
すると突然、エナドが深々と頭を下げた。突然の事に私と優希は呆然としてしまった。
「お待ちしておりました。神奏器の『演奏者』様。歓迎いたします」
ようやく楽器を出せたのでそろそろストーリーが動いてくると思います。なんか『神奏器』とか『演奏者』とかかっこいい読み方させたかったけど思いつかなかった...