口付けの相手
あるところに、さえない一人の男がいた。
見た目も性格もぱっとしないものだから、今まで女性と付き合ったことはおろか手を繋いだことすらない。
その上ものぐさで出不精な性格である。休みの日だというのに、することといえば家の中でごろごろ。今日もテレビをつけながらソファーに寝転がっていた。
画面の向こうでは、近くの動物園に遊びに来ている家族連れやカップルがインタビューを受けている。
「ふん、こんな天気のいい休日に出かける奴の気が知れないな」
いつもようにテレビに向かってぼやく男。すると突然、男の前に一人の天使が現れた。
「うわ、なんだお前は。どこから入ってきた」
「私は天使です。あなたの恋愛のお手伝いをしに参りました」
天使は男に微笑みかける。
「なんだって天使が俺のところに来るんだよ」
「あなたは女性に好意を持たれるような男性ではないので、お手伝いが必要かと」
「ずいぶんはっきり言う天使じゃないか。じゃあなんだい、俺を女と付き合わせてくれるって言うのかい?」
男は怪訝な眼差しで天使を見た。
「それは無理です。私がするのはあくまでお手伝いですので」
「具体的にどうしてくれるんだ」
「そうですね。きっかけづくりとして、女性とキスなんていかがでしょうか」
「付き合うのが駄目で、キスがありなのか。よくわからない基準だな」
「ものは試しです、好きなかたをお選びください。私が魔法をかけましょう。女性でしたらテレビに映っているかたでもいいですよ」
テレビではインタビューが続いていた。動物の檻の前で、五人の女性が楽しそうにはしゃいでいる。
「じゃあこいつらとキスさせてくれって言ったら、本当にキスが出来るってのか」
「それでも構いませんが、効果が出るのは一人だけです。複数お選びになられますと、無作為に一人が選び出されますがよろしいですか?」
男は考えた。というのも、五人の中に一人とても好みの女性がいる。彼女を選んでもいいのだが、天使相手とはいえ、いざ好みの女性を名指しするのはどうも気恥ずかしい。
「いや、誰でもいいさ。早くやってくれ」
男は強がって天使を促した。
「それではテレビに映っているかた全員が対象でよろしいですね?」
「いいって言ってるだろ。早くしてくれよ」
「わかりました」
えいっ、という掛け声とともに、天使は人差し指をテレビに向けた
「これで魔法がかかりました。早ければ今日にでも効果が表れるでしょう。それではお楽しみに」
そう言い残すと、天使は消えてしまった。再び一人になった男は妄想にふける。
(いったい誰とキスできるのだろうか。あの女の子だったら最高なんだが、期待しすぎてもかえってそうじゃなかったときに残念かもしれない。いや、しかし他の女の子も案外可愛いじゃないか。こうなると本当に誰でもいいぞ。待てよ、あの天使はテレビに映っている全員と言っていたな。それじゃああのインタビュアーのお姉さんの可能性もあるのか? だとしたら俺も芸能人とお付き合いできるかもしれないってことか。いや、だが――)
そんなことを考えているうちに、うとうとしてきた男はそのまま眠りについてしまった。
数時間後、眠り続ける男の横で夕方のニュースが流れ出す。
『ニュースをお伝えします。先ほど、動物園からゴリラが脱走するという事件が発生しました。警察は近隣の住民に警戒を呼び掛けるとともに、ゴリラの捕獲に尽力しているとのことです。付近にお住まいの方は、くれぐれもお気を付け下さい。なお、脱走したゴリラは若いメスのゴリラだということです』