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プロローグ「ザイスブルク帝國皇妃」

ザイスブルク帝國。

フェミリンス大陸における近年、発展が著しい大国の一つだ。


リグリス語を話すリグリス人を纏め上げ、セイルーン王国崩壊以来リグリス人の悲願であったリグリス系国家の統一を成し遂げたザイスブルク帝國。

新興国家にありがちな覇権主義を押し出さず、周辺国とも絶妙な外交バランスで持って平和を謳歌し保っているこの国はフェミリンス大陸における、国際情勢を決定する重要なプレイヤーとなっていた。


飛ぶ鳥を落とすような勢いで国力を伸ばすザイスブルク帝國。

そんな帝國において、蛇蝎の如く嫌われている一人の女性がいる。

彼女こそが、ザイスブルク帝国皇妃ユーリヤ・ザイスブルク。


皇帝の即位と同時にいきなり皇妃として現われた彼女。

没落した貴族の末娘であった彼女の皇妃就任には家臣の地位となった諸侯からは大きな反対があったが、皇帝と大臣達の根回しと強い懇願によってなんとか決まった話だった。

そんな最初から人気は皆無だった皇妃の人気は結婚式以降の彼女の態度によって、さらにどん底まで急落していった。

後宮に入った彼女は礼儀を一切知らず、親しいメイドを一人だけ付けて自室に閉じこもっているだけ。

皇妃としての公務もこなさず、一人部屋に引きこもり続けるそんな皇妃に善意から注意した心ある家臣を鼻で笑って「時間の無駄」とだけ呟くような極悪な皇妃だったのだ。

そんな皇妃の姿に数多くの家臣が皇帝に廃妃を訴えたが、皇帝は無言で首を振り続けていた。

頑なにユーリアを皇妃に留めようとする皇帝と高官達の姿に噂が帝國中に広がっていく、皇妃ユーリアは「悪女」で「魔女」であるという噂が。

彼女が持つと噂される魔道の力で皇帝達を縛っているや、弱みを握っている等、様々な噂が帝國はおろか周辺国家まで広がっていった。

そして皇妃ユーリヤ暗殺未遂事件が起きてしまう程に。

犯人は皇帝の側妃の一人、深夜に隠れて後宮を散歩していた皇妃をナイフで刺したのだ。

その後自室にて自殺、見つかった遺書には魔女を討たなければ帝國は滅びてしまう、と書かれていた。

だが、刺された筈の皇妃は刺さった場所が致命傷にはならない場所だった事や、発見が早かった事から傷跡は残ったが一週間で全快してしまったのだ。

しかし、皇妃が刺された事件により皇帝はある決断を下した。

皇妃ユーリヤを後宮から帝都から遠く離れた皇帝私有地にある離宮へと流す事に。

この決定に家臣の多くは喜び、英断だと皇帝を称えた。

反対すると思われた皇妃ユーリヤも、離宮行きに対して文句一つ言わずにその地へと流されたのだ。

かくして、一人の勇気ある少女によって「魔女」に犯されていた建国の皇帝は解放され、再び帝國には繁栄の光が戻って来る物だと数多くの人が信じていた。



――だが、愚かな国民、愚かな家臣、愚かな側妃達は知らない。

皇妃が倒れた日から目覚めるまで、帝國中の政務が完全に止まった事を。

皇妃の目の下にはいつも黒く深い隈がなぜ出来ていたのかを。

皇妃が建国期の動乱を関わった高官達、そして夫である皇帝から「宰相」と呼ばれていた事を。


帝國の知恵の泉の賢者。

ザイスブルク帝國宰相ユーリヤ・フォン・フィルディナント。

それが彼女の本当の名前であった。





宰相な皇妃様  プロローグ  「ザイスブルク帝國皇妃」




帝都ベルゲンから最高速の飛竜便を使っても丸三日かかる辺境の地。

霊峰ホルンシュタイン山の海抜一千二百メートルにある皇帝私有地にベルンホルン離宮と呼ばれるこじんまりとした山荘がある。

地元の人からはベルンホルン離宮という言葉は使われず、「魔女の館」と呼ばれるその山荘にはかの有名な「魔女」、皇妃ユーリヤが皇妃になる前から連れているメイド一人と共に住んでいた。



「魔女の従者」と呼ばれるそのメイド、クレア・セレスティンは焦っていた。

足早に山荘を歩き、彼女の敬愛し愛する主人がいるであろう部屋に向かう。

主でいるであろう部屋の扉の前に行くと、走る事で乱れた服装を見苦しくない程度までに急いで整え、一度だけノックをし返事を待たずに入る。


「執務中に申し訳ございません、ユーリヤ様。急用です!」

「……ふむ、まずは落ちつきたまえ、クレア。

ほら、ゆっくりと深呼吸を」


急いで入ってきたメイドに一人の少女が訝しげながらも返答を返した。

いや、少女と言うのは厳密には正しくない。

似合わない軍服を着たヘンテコな少女だ。

小柄なその少女にとってはダボダボの使い込まれた黒の帝國軍服を身に纏い、額を完全に隠す程に大きい軍帽を被り、彼女の身長程の長さがある傷がついた帝國儀式用元帥杖を腰に差して持っている少女。

彼女こそが、帝國を騒がした魔女こと皇妃ユーリヤ・ザイスブルク。

フェミリンス大陸において不吉とされる漆黒の艶やかな黒髪を長く伸ばし、首の辺りで血を思わせる赤い薄汚れたリボンで纏めている。


メイド、クレアはユーリヤの言葉を聞くとすぐさまに姿勢を正し、二度程深呼吸をすると彼女に向かって言う。


「はい。

落ち着きました、ユーリヤ様」

「では、何が急用なのかね?」


皇妃は手元に書いていた書類を片付けながら、そう言う。

彼女がいう急用というのは頼んでもいないのに、勝手に来る来客でしかありえないと分かっている故の行動だった。

自分が知る政府高官達であれば問題は無いが、それ以外ならば今彼女が書いている書類は絶対に見せる事が出来ない。

彼女が書く書類は全てが帝國の未来を決める重要な書類、見られて情報が漏れれば帝國の政策は他国に筒ぬけになってしまう。


「先ほど、魔法通信にてハーペン首相がこちらに来ると連絡があったのです」


その言葉を聞いたユーリヤは自分が座っている机から、一つの紙を取り出すと見る。

紙を一瞥した後にすぐさまに再び、それを机に仕舞い納得したような声でクレアに言う。


「…………ふむ、ハーペンでこの時期だとノーサンブル王国と貿易会議についてではないかね?

大方、オルレアン王国に石炭が売れなくなってわが帝國にふっかけてきたのであろうよ」

「おそらくですが、おっしゃる通りだと思います。

向こうは移動中であるらしく音声が擦れていましたが、そのような単語がありました」


そういうクレアの返答にユーリヤはため息をつく。

彼女の溜め込まれた知恵は言っている、これだけであのハーペンが来る筈が無いと。

先ほどに彼女が見たスケジュール帳には彼女の夫である皇帝の誕生日が丁度一ヵ月後に行われると書いてあった。

会議での訪問は名目、おそらく本音は……。

またため息をつきたくなる気持ちを抑えて、彼女は軍帽を被りなおした。


「そうでしたら、私が秘密通信でユーリヤ様のご意見を伝えましょうか?

もうそろそろ、中近距離魔法通信で会話が出来る範囲に入る筈ですから」

「無駄だと思うから止めておきたまえ。

クレア、貿易問題は名目なのだ。

彼の真の目的は一ヵ月後にある皇帝の誕生祭にある。

それを機会にして私を帝都に戻したいのだろう。

解決策を与えても、挨拶やらなんやらと理由をつけて帰りはせんよ」


背もたれにもたれかかりながら、諦めきったように言うユーリヤ。

その姿は老人のような雰囲気が漂う。


「ならば、ユーリヤ様は体調不良という事で来訪拒否にしましょうか?」

「止めておいた方がいい。

そう言えば、奴は最高級の治療を与えなければと言って私の身を帝都へと搬送するに決まっている」


ユーリヤは軍服の上から幻痛がした自分の胸を少し撫でた。

そこには未だに消える事が無いナイフで刺された跡が残っている。


「クレア、五人分の昼食の準備を。

私は奴を出迎えに行く」

「……分かりました」


よく見ればクレアの手は固く握り締められて血が溢れ出ていた。

クレアとユーリヤにとってハーペンという男への感情は複雑なのだ。

一人は憎悪の対象であり、もう一人にとっては盟友であるが、仇でもあるという関係。

ユーリヤは腰に掛かっているリボルバーを一度触り外すと、コートを着て外に出て行った。


外にあるこの山荘で唯一新しく設置された飛竜発着場に着くと、彼女は空を眺める。

冬らしくカラッと乾燥した空気が山を覆い、雲一つ無い青い一面の空が見える快晴。

手を軍服のポケットに入れて暖めながら白い息を吐き出して彼女は待っていると、そんな青い絵の具だけを使った空のキャンパスに一つだけ小さい黒い点が出来ていた。

その黒い点はゆっくりと大きくなっていき、遂には竜の形と籠の形になって彼女の前に現われた、

竜が待機状態になると籠の扉がゆっくりと開いて、中から一人のスーツを着た初老の朗らかで人の良さそうな顔をした男性が出てきた。


「やぁ、ハーペン首相。元気にしていたかね?」

「宰相閣下のお陰でとても元気に過ごせていましたよ」


そう言うと彼女と彼は顔に笑顔を作り、握手をする。

しかし、それは手を触れ合わせているだけであり握っていないという、彼らの関係が良く分かる挨拶の仕方。

それをハーペン首相の護衛として付いてきた騎士は複雑そうな顔で見ていた。

この騎士が見てきた彼女達の黄金時代は苗字や役職名で言わず、下の名前で呼び合っていた仲だったのだ、それも本当の笑顔で。

思い返す度に騎士には少女宰相への同情と尊敬、そしてこの目の前にいる護衛対象への殺意が湧いてくる。

ハーペン首相の後から、無表情で帯刀したまま出てきた騎士をユーリヤは見ると、ハーペンに浮かべていた笑顔とは違う表情を浮かべて言う。


「ふむ、そちらの騎士はリオン戦で見かけた事があるな。

息災のようで安心したよ……戦友」


騎士は「あの元帥杖」を握り、戦場を駆け抜けた時と変わらない「あの軍服」を着ている宰相閣下が言うその言葉に思わず目頭が熱くなりかけたが必死に抑え、最敬礼して言う。

理想に燃えて作ったこの国は歪みつつあるが、我らの「元帥」であるこの方は変わらずにいたという安堵感で胸に熱い物で満たされていく。

四軍長官達がこの方の帰還なくて軍は完全ではないと呟いている気持ちが彼にもよく分かった、この方こそが真のヴァルキュリヤ。

我らをあの懐かしい戦場に導き、命令とあれば命を喜んで捧げる事が出来る「元帥」であり、背中を安心して預けられる戦友なのだ。


「はっ!これも全て元帥閣下のお陰でありますッ!」


ユーリヤは騎士がした最敬礼に一瞬だけ驚き背筋が寒くなったが、今の自分の立場に納得し騎士に対して、敬礼をし返すと言う。


「そう、畏まらなくて良い。

今の私は追放された役立たずの皇妃であり、君達の上官では無いのだ。

……退役した一人の戦友だと思ってくれ」

「……あ、ゆ、ユーリヤ皇妃。

積もるお話はあるようですがそれは後にして頂き、片付けて貰いたい案件のあるのですが!」


ハーペンは後ろで感激する騎士たちに驚き、騎士達がこれ以上に余計な何かを皇妃に吹き込む前にユーリヤに話しかけた。

意図的に皇妃と強く言って。


「あぁ、分かった、分かった。

そう大きな声で言うな、耳が痛くなる。

貿易の件であろう?執務室にそれ用の資料を用意してあるから来い」


ユーリヤはそう言うと、騎士達に何も言わずに歩いていく。

急いで付いていくハーペン。

騎士達は剣を捧げ、最敬礼をして、彼らの上官を見送っていた。





執務室に戻り、席についたユーリヤは資料を探す為に机の中を漁りながら言う。


「魔法通信が不安定ではっきりと聞き取れなかったのだが、案件とはノーサンブルとの石炭貿易問題についてであっているかね?」


それにハーペンは先ほどに騎士達に温和な表情を浮かべていた人物とは思えない憮然とした顔で言う。


「そうですが。その前に宰相閣下、一つ帝國首相からの忠告を聞いて頂けますか?」

「予測は出来ているが、聞いてやろう。何だ?」


書類の準備をしながら、ユーリヤは言う。


「貴女はもう帝國軍総司令官では無くザイスブルク帝國の皇妃なのです。

出来ればあのような態度は止めて頂きたい。

ただでさえ、軍上層部には貴女のシンパが多くて手を焼いているんですよ。

統一帝國を今度は貴女自らの手で割るおつもりですか!?」

「死線を共に掻い潜った友と挨拶しただけなのだが?

相変わらず肝が小さい男だな、君は」


ユーリヤは資料を引っ張り出すと、苦笑を浮かべ言う。

何時も戦闘が起こった時は最後尾で逃げる準備をしていた彼。

最前線で守られていたとはいえ、戦っていたユーリヤとは考えが相容れなくて当然なのだろう。


「肝が小さいのではなく、慎重なのですよ。

私は宰相閣下のように若くは無いですからね

失敗ができないのです」


そういうハーペンにユーリヤは嘲笑を浮かべた。


「慎重とは君にとって本当に都合が良い、素晴らしい言葉だな、ハーペン首相」

「えぇ、私もそう思っています。

だからこそ、貴女の夫である陛下は私を首相に選んだのだと思っていますから」


ユーリヤは内心、驚いた。

石橋を叩くどころか、落とさないと気が済まないこの男が言うようになった物だ、と。

首相という職務と、国の未来を憂いて盟友を一人裏切った男は自分の想像以上の成長を遂げたらしい。


「なら、その首相の悩みを解決してやる。

石炭の関税問題についてはノーサンブルに可能な限り譲ってやりたまえ。

あの国は君たちが考えているより追い詰められている、これを断ると形振り構わずにルシアにいくだろう。

そうなると聊かやっかいな事になる。

かの国々が手を組み一時的でのイニシアチブを握ると、戦争が予定より早く起きるのだよ。

ルシアは国内不満で民衆革命が起きかねん状態なのだ、特に凶作だった今年の冬の状況は知っているかね?

人肉市場が盛況になっているらしい。

過去に戦場で無理矢理食べさせられた事はあるが、あれは到底食えた物では無い。

そんな物を国民が挙って欲しがっている程に、あの国の現状は危うい。

そして国境を接している我が国には溜め込んだ食料が巨万ごまんとある、これがどういう事だか、君、もう理解できるだろう?

だから交渉打ち切り寸前までゴネた後に譲歩して、代わりにこれを飲ませるのだ。

この案件を飲ませれば、時間経過と共にノーサンブル、ルシアの経済依存はこっちにかなり偏る。

一年後ぐらいには自らオルレアン王国包囲網に参加したいと言うようになるだろう。

予想される質問も書いておいた、これで満足かね?」


彼女はそう言うと、宰相の指輪で封をした白い封筒を彼に渡した。

ハーペンはそれを恭しく預かり、スーツの中に仕舞うと一礼をする。


「これで君の用件は終わったのであろう?

なら、とっとと帝都に帰りたまえ」


ユーリヤは内心、帰る筈が無いと分かっていながらもそう言う。


「宰相閣下。いえ、皇妃様にはもう一つお願いのあるのです。

皇帝陛下の」

「言わなくとも分かる。

君が望むのは奴の誕生会の出席であろう?

私は行く気は無い、行った所で無意味だ」

「いえいえ、無意味では無いですよ。

皇帝陛下は皇妃様の事を心配して、夜もあまり寝られていないのですから」


そのハーペンの言葉にユーリヤはその年相応に見える、きょとんとした表情を一瞬浮かべたが、すぐさまに肩をプルプルと震えさせると、嗤い始めた。


「くっ…くっ…わはははは!

奴が、あやつが、この「帝國宰相」ユーリヤの事を心配して寝られないだと!?

いつの間にか、冗談のセンスも一流になっていたのか、ハーペン。

良いぞ、気に入った。

実に面白い冗談だ。本当に最高に胸糞が悪くなる素晴らしい冗談じゃないか!」


そう嗤った彼女は引き出しから古い傷が沢山付いたパイプを取り出すと、火を付けて吸う。

薬草吸い、戦争に参加した時に戦友に吸わされて以来、彼女の癖となった行為だ。

彼女が使っているパイプも今はヴァルハラにいるその戦友の形見として譲り受けた物。

嗤い続ける彼女が暗に言わんとしている事を知っているハーペンには何も言えず黙りこくるしかなかった。

一服を吸い終わった彼女は引き出しからもう一枚の白い封筒を取り出すと彼に渡す。

その白い封筒に蝋によって押された印は「帝國宰相」の物ではなく、「帝國皇妃」としての物だ。

それと同じ紋章が描かれた白銀の指輪を「自分の左手薬指」から外して手紙と共に差し出して言う。


「陛下にこれを渡して言え、帝國首相クルト・ハーペン。

お前の不肖の妻は喜んでいると。

待望の世継ぎである男子、皇太子の誕生に、おめでとう、とな」

「……手紙は陛下にお渡ししましょう。

しかし、その指輪は私にはお渡しする事が出来ません。

その為にも今度の誕生祭にいらっしゃって、皇妃様自ら陛下にお渡し下さい」


器用に手紙だけ受け取ったハーペンは深く一礼して、そう言った。

その姿を見るとユーリヤは一度深くため息をつき、片手を机の上に乗せてその手に頬を当てると二回目の一服をしながら言う。


「……はぁ、君の立場も色々と大変だな」


彼女はそう言って、口から煙をハーペンに向けて吐き出した。


「ゴホッ、察して下さっているのなら、少しはこっちに配慮して下さっても宜しいのでは無いですか?」


吐きかけられた煙を手で払いのけながら彼は懇談するように言う。


「嫌だね、大嫌いな君になぜ私が配慮をしなくてはいけない?」


馬鹿にしたような視線でそう問うユーリヤ。


「貴女様は帝國宰相にして、この国の皇妃なのですから」


その言葉に今度こそ、ユーリヤは心の底から嗤った。


「なら首相である君、君が大嫌いな私、皇妃にして影の宰相たるユーリヤ・フォン・フィルディナントに配慮をした事があるかね、無いだろう?

あったとは絶対に言わせんよ。

むしろ君は保身の為に積極的に私の名誉を貶め、遂にはそっちの事情で私に作らせた子を殺したのだ。

それが配慮だと言うのなら、帝國中の辞書を書き換えねばならないと思うのだが?

君はそれでも私に配慮を求めるかね?クルト・ハーペン」


傷ついた元帥杖を触りながらハーペンを見るユーリヤ。

ユーリヤの言葉でハーペンの顔は真っ青になり、立ち上がり声を荒げた


「ち、違う!あれは断じて保身なんかでは無いッ!

私は帝國を、陛下の為と思って!!

誰も貴様の危険性を理解しようとしなかったのだ!」


激昂するハーペンの姿に、彼女は目を細め懐かしがる。

さっきまで胸を占めていた苛立ちは遠のいていき、彼との思い出が脳裏を過ぎった。

あの温厚そうで寛大な心底殺したくなる首相面をしているより、こうやって激情を表出している彼の方が彼女にとってはいい。

その姿に彼女の牙を抜き、心を壊そうとした帝國首相クルト・ハーペンの姿は見えないのだから。


「そういう所は相変わらずだな、君は。

ふむ、君が喋る戯言を聞くのも良いかと思ったが、気が変わった。

帝都に早々に帰りたまえ。

正常者である君では私と一緒にいるだけで辛いのであろう?

もう君はここに来ない方が良い、クルト。

……やはり君は私に関わるべきでは無かった人だと思うよ」


ユーリヤの浮かべた表情にハーペンは絶句した。

それは彼が「本当のユーリヤ」と出会う前に見ていた寂しげな「子供らしい」笑顔。

今まで封じ込めてきた罪悪感が彼の胸を襲う。

盟友であり、そして一度は認めた筈の彼女に自分が行った様々な行為。

異常性に、危険性にばかり目についていてしまっていた。

帝國内では自分だけが彼女の危険性に気がついていると思い、行動してきたのだ彼は。

それは間違ってはいなかった、確かに間違ってはいなかった。

だが、今でも行った行為は小心者である彼の精神を蝕んでいる。

ハーペンは思う。あぁ、確かにそうだ、私は彼女と出会うべきでは無かった人だと。

彼女に会ってさえいなければ、自分はあの頃のままで綺麗な姿でいられて、彼女にこんな複雑な思いを抱かなくてすむのだから。

しかし、遅かった、止まれないのだ彼は、もう。

歩みを止まれば、ハーペンはその瞬間に自殺してしまうのだから。

今までに自分が行ってきた罪の重さに、自国民の繁栄の為に目を逸らし万の人間を彼女と共に殺してきた自分の罪の重さに耐えられないのだ。


ハーペンは自分を再構成させると、ユーリヤに喋りかける。


「君に……失礼、宰相閣下に「私もそう思います」 と言えたら楽だと思うのですけどね。

……今日は閣下のご助言通りにこれで失礼させて頂きます。

それと、気が変わりましたら是非とも誕生祭に出席して下さい、皇妃として。

私共はいつでも貴女様の連絡を待っていますから」


そう言った彼は立ち上がり、退室の為の準備を始めるとその姿をじっと見ていたユーリヤは言う。

ハーペンは後ろを向いていた為に気がつかなかったが、彼女の顔はかすかに寂しそうにそして悔しそうに顔を曇らせて。


「あぁ、気が変わったならな。

……それと帝都はここより空気が悪い、特に西の工業地帯のは。

健康には気をつけたまえ、ハーペン首相」

「西の工業、健康?……ッッ! 

 ご忠告に感謝致します。

 そうですね、確かにあそこの空気は悪い。

 大切な国民にも風邪を移しかねないです。

 今度徹底的に消毒、入り込んだ菌の撲滅をしたいと思います、ユーリヤ閣下」


宰相とも言わず、皇妃とも言わずにユーリヤ閣下と呼ぶ。

小心者の彼が許す事が出来る精一杯の感謝の気持ちだった。


「気にするな、私は君の、いわば帝國の健康を心配しただけなのだから。

 ……では、向こうでも頑張りたまえよ」


そう言われたハーペンは執務室から出て、ユーリヤに宰相に対する態度で完璧な礼をすると立ち去っていった。

それを見届けたユーリヤは窓際に立ち、自分に敬礼する戦友達と「帝國宰相」に敬礼する首相の姿を見送る。

彼らが竜籠に乗り込み、視界から消えていくと彼女は冷える窓ガラスに映る自分の姿を見る。

目の前に映る少女は軍帽を外し、額にある不可思議な紋様に触った。

そして傷がついた元帥杖に付いた染み、彼女の戦友達の血を撫でて確かめながら呟く。


「なぁ、君達は答えを見つけられたか?」


零れ落ちる水滴が窓ガラスに映る少女の頬を流れ、涙を流しているように見えていた。


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