One
続きです
――――――――とある戦場にて。
雪のように白い白馬が赤く濁った大地を駆ける。
横に隊列を組む騎士達の前を駆け抜ければ、騎士達からは雄叫びが上がり、手にしている槍を高々と掲げた。
彼らが乗る馬はこれから起きる事を理解しているのか、興奮気味に首を振り、嘶く。
隊列の中央に白馬が歩み寄る。
その背に座る騎士はまだ若く、二十にも満たないであろう風貌をしていた。
冷たい風が騎士の髪を揺らし、額に浮き出た汗を冷やす。
しばらく黙って地平線を睨み、騎士は脇に抱えた兜を被った
そして面頬を下ろし、腰の両側面に帯剣している双剣を抜いた。
双剣の片方を前目掛けて突く様に突き出す。
「全軍、―――――――突撃」
その言葉に、一斉に騎士達は槍の先端を水平に前へと向ける。
中央に立つ騎士を先頭に緩やかに彼らは軍馬の足を動かした。
それを次第に早くなり、扇状に広がって行く。
「―――――――――――――――ッ!!!」
言葉にならない咆哮が地平線から轟いた。そしてそれを合図にするかのように騎士達が一斉に目指す彼方に蠢く無数の影が現れる。
登り始めた太陽に照らされる異形の怪物達。
馬と獅子が混じった獣、背に黒い翼を持った人間、それらの後ろに控えるのは大地を影で覆うほどの無数の巨人。
圧倒的な光景を見せつけられても騎士の軍勢は少しも揺らがない。
逆に軍馬の足が速まり、扇状に広がった軍勢はますます左右に広がり、馬上で彼らは身構える。
「――――――――――オオォ!!!」
荒々しい雄叫びが騎士の軍勢の先頭を直走る白馬の騎士から放たれた。
それに気付いた魔物の一匹が爪と牙を剥いた。
無数の巨人が腕を振り上げ、異形の獣達は吼える。翼を持つ人間は手にしている弓を構え、敵目掛けて矢を離した。
朝を迎えつつある空を埋め尽くすほどの矢が宙を舞った。それはすぐさま急降下し、騎士の軍勢へ降り注ぎ、軍勢の中へと吸い込まれる。
直後、僅かな呻き声が上がった。
鎧の隙間や繋ぎ目を射抜かれた数人の騎士が痛みに呻くが、槍を落とす事も落馬する事もしなかった。
彼らは一層清々しいほどまでに、馬鹿正直に一直線に走り続ける。
そして遂に、先頭を走る白馬の騎士の持つ槍の先端が、獣の頭を打ち砕いた。続いて彼のすぐ後ろを疾走していた騎士達の刃が魔物達の群れに斬り込む。
魔物達からはおぞましい絶叫が上がり、巨人は騎士達の一撃によって片足を砕かれバランスを崩す。
片膝を突いた巨人の頭目掛けて騎士の一人が力任せに投擲し、放たれた矢の如く風を切り裂き、槍は巨人の眉間を貫いた。
巨人の口から怒りと苦痛の声が轟き、どうっと地響きを立てて倒れ伏す。
他にも片足を砕かれ蹲る巨人の身体の上を走り、肩を足場に騎士を乗せたまま軍馬が後ろ脚を使って立ち上がり、空を旋回する人間を蹄で蹴り飛ばした。
地面に叩き落とされた人間はたちまち仲間や軍馬の蹄によってグチャグチャに踏み潰され、原形も留めないまま絶息する。
異形の獣が一匹の軍馬の横腹に垂れている騎士の足に喰らい付き、騎士を鞍から引き摺り降ろした。
引き摺り降ろした騎士が立ち上がろうとするのを、前足を使って地面に縫い止め、もがく騎士の首を噛み千切った。
口元を血で染めた獣が顔を上げた瞬間、他の騎士の槍によって顔を斜めに削がれる。
血飛沫を上げて倒れる獣の身体に乗り上げ、返り血を浴びた騎士は馬上で槍を左右に振るう。
その鎧の隙間を空から飛来してきた矢が貫き、騎士は馬上で仰け反った後、鞍から仰向けに転がり落ちた。
巨人が大声を上げて振り上げた腕を地面に叩き付ける。ブチュッという音と共に軍馬諸共、数人の騎士が潰された。
文字通りペチャンコに潰された騎士は鎧の隙間隙間から中身を飛び出させ、血塗れの金属の塊と化す。
死屍累々の戦場の中、返り血で真っ赤に染まった白馬とそれに跨る騎士が手にしている双剣を掲げる。
真っ赤に染まった双剣からは赤黒い鮮血が滴り、兜の側面に生える角からも返り血が動く度に飛び散った。
敵が、仲間が周りで倒れて行く中を騎士は疾走し、双剣を振るう度に巨人の足が斬り飛ばされ、獣の頭は両断された。
空から翼を持つ人間が矢を射ろうと、矢は彼に突き刺さる前に双剣で叩き割られる。
血の海に染まった大地を、遥か向うに悠然と聳える山々の隙間から登り始めた太陽が照らした。
血によってぬかるんだ大地の上で、騎士の軍勢と異形の魔物達は互いが持つ刃を交え続ける。
光は徐々に大地を照らし、遂には阿鼻叫喚の戦場と化した場所も照らした。
振り上げた双剣が日の光を反射し、そして双剣を持つ騎士の背を照らす。
「―――――――――――団長ッ!!」
迫る獣達を剣で応戦しながら騎士の一人が叫ぶ。同時に双剣の騎士のその背を一本の太い矢が貫いた。
「ごふっ」
籠った声と共に面頬の隙間から大量の血が漏れる。
それは騎士の鎧を伝い、鞍と白馬の背を濡らした。
「団長!?」
たまたま近くで戦っていた騎士が、鞍から崩れ落ちようとした双剣の騎士の身体を片手で支える。
もう片方の手は飛んでくる矢を剣で叩き落としたり、獣の頭を切り落としたりと忙しなく動いている。
飛来してきた矢が双剣の騎士を守る彼の兜を弾き飛ばした。そして振り回される巨人の腕が肩を掠り、ゴキュッという音と共に関節が外れ、突然の痛みに思わず握っていた剣を取りこぼした。
「…………ッ退却だ!! 全軍、退却せよ!!!」
騎士は主を守りながら叫ぶ。その応えは姿は見えないが、確かに上がった。
生き残っている騎士の軍勢はすぐさま陣形を整える。背負っている盾で矢を防ぎ、獣達の牙と刃を弾き飛ばした。
しかし巨人はそれを阻むように立ち塞がり、足や腕を使って叩き潰そうと手足を振り上げた。
それを槍を手にしている騎士達が防ぎ、斬り飛ばす。
絶叫を上げる巨人の横を、双剣の騎士を抱えた騎士の軍勢が走り抜け、彼らが追って来れないほどの遠くの果てを目指す。
前を見続ける騎士の軍勢の前、沈みかけた太陽の光を受けて、複数の黒点が現れた。
「あれは…………」
目を眇める騎士。その目は次の瞬間驚愕に開かれる。
「翼竜だ………。―――――――イズモの空軍だ!!」
左右に大きく開かれた翼、後方に長く伸びる尾、ズラリと並んだ牙鋭く、黄色く濁った瞳はギョロリと動いて眼下の軍勢を見下ろし、そして濁った鳴き声を上げ、彼らに襲いかかった。
最初の犠牲者はが軍の殿を務めていた騎士で、巨大な口に胴体を掬い上げられ、騎士は声を上げる暇も無く空中で胴体を両断される。
無残な二つの肉の塊を捨て、粘つく鮮血を牙から滴らせながら翼竜は獲物を黄色く濁った瞳で睨んだ。
「ちくしょう!! イズモの野郎、俺達を裏切りやがった!!!」
怒り喚いた騎士が次の瞬間、鎧ごと上半身を炭と化す。
翼竜の口から吐き出された炎息が、残った下半身と軍馬ごと炭に変えた。
「いや……こいつぁイズモの空軍じゃねぇ!! イズモ皇室直属の近衛空軍だ!!」
翼竜の一匹を開かれた口腔から尾まで一刀両断しながら、別の騎士が叫んだ。
「皇室の軍が何でこんな辺境まで来てんだよ!? 王家はどうした!!」
双剣の騎士を抱えた騎士が怒鳴る様に返事を返す。
「知らねぇよんなもん!! それよりもまずはここから逃げるのが先決だ!!」
「そういったってよ…………」
側に居た騎士が言葉を続けようとした瞬間、後ろから飛んできた矢に項を貫かれ、落馬した。
「追い付いてきやがったか……………!!」
忌々しげに騎士が唸り、背後を見た。
そこには最初ほどの数は無いが、それでも選は超えるであろう巨人と異形の獣と翼を持つ人間で構成された魔軍。
対してこちらは先の戦いで疲弊しきっている上、翼竜とも現在進行形で戦っている為、ますます死傷者が増えていた。
六千程居た軍勢は今は二千にも満たなく、生きている騎士も既に槍や剣を失い、死んだ同僚の剣や弓を拾って応戦している。
「…………今更、ここで全滅とはねぇ…………」
騎士の一人が苦笑した。すると騎乗している軍馬がうるせぇ!! と言わんばかりに嘶き、足元に居た獣の頭を蹄で蹴り砕く。
騎士はそれに微笑し、馬具の兜に包まれた頭を撫でた。
「そうだねぇ……、こんな所で死ぬのは、俺には相応しくないねぇ」
そう言って背中に背負った大剣を引き抜く。次の瞬間、騎士目掛けて炎息を吐こうと口を開けた翼竜の身体が両断された。
血の雨が降り、大剣を持つ騎士の身体に降り注ぐ。
「俺は――――――いや、俺〝達〟はこんな所で死ぬべきじゃないんだよねぇ」
音の外れた哄笑が兜の奥から響き渡るように戦場に轟いた。
突然の笑い声に魔軍達がビクリと身体を揺らし、翼竜達は炎息を吐こうとした口を閉ざす。
「そうだよねぇそうだよねぇ………。俺〝達〟はここで死ぬべきじゃぁ――――――ねぇんだよ!!!」
吼えると同時に大剣を持つ腕が動いた。
大剣の一太刀で巨人の振り下ろされた腕が半ばまで切り裂かれ、翼竜は剣先が腹を掠めただけで中身が宙にぶちまけられる。
「は、ははっ………ハハハハハハハハハハハハハッ!!!!!」
狂った笑い声で大剣を振るい続ける騎士の脇腹を、獣の一匹が下半身を斬り飛ばされながらも喰らい付いた。
「おおっ?」
鋭く太い牙が脇腹を抉り、引き千切られた鎧と肉を銜えたまま獣は転がり落ち、絶息する。
「ウッドストック!!」
騎士の一人が彼に近寄り、肩を揺すった。
ウッドストックと呼ばれた騎士は、おもむろに顔を上げ、口を開こうとした騎士を手で制した。
「ウッドストック………………」
「パーシヴァル、お前、団長と仲間を連れてここから逃げろ」
「なっ―――」
反論しかけた騎士の頭をウッドストックは空いた手で掴んだ。
「反論は許さん。俺はここに残る。お前達は公国に戻り、生き残れ」
「―――――――――――、」
「行け!!」
ウッドストックはパーシヴァルの乗る軍馬の胴を蹴った。
まかせろと言わんばかりに蹴られた軍馬は身を翻し、周りで戦い続ける騎士の軍馬達に力強く嘶いた。
すると不思議な事に騎士の跨る軍馬達が騎乗者の命令を聞かず、統制の取れた動きで外を目指して一斉に走り出した。
「ウッドストック…………!!!」
パーシヴァルは叫び振り向くが、軍馬はそれを無視して彼の元から走り去る。
魔軍達や翼竜がそれを追おうとすれば、満身創痍の騎士がそれを邪魔する。
吐き出された炎息を大剣で斬り裂き、巨人の頭を半ばから斬り飛ばし、騎士は脇腹から中身と血を撒き散らしながら戦った。
後方に目をやれば既に仲間達の姿は無く、彼は満足そうに息を吐く。
「来いよ雑魚共。―――――殺してやるぜ」
中指を敵に向けてビッと立てれば、それを合図に魔軍は一斉に牙を剥いた。
翼竜ががら空きになっているウッドストックの肩に喰らい付き、直接炎息を吐き出す。
「ぬおっ」
炭化した肩に喰らい付いている翼竜の眉間を、鎧に包まれた肘で砕き、外す。
炭化した肩がボロッと崩れ、生身の腕ごと地面に落ちた。
「んー」
表情を変えないまま彼は握っている大剣を振るい、巨人の足を切断した後翼竜の翼の根元を剣先で抉り出した。
絶叫を上げる翼竜を蹴り飛ばし、続いて飛びかかった獣の口の中に大剣を突っ込んだ。
「うん?」
大剣を引き抜こうと腕を引いたが、奇跡的にも息のまだあった獣が牙を剥き出しにして己の口にある剣に噛みついた為に僅かに引き抜くのが遅れる。
それを見た巨人が足の爪先で騎士の剥き出しの傷口を抉った。
「…………っ」
歯を食いしばって絶叫を堪え、ウッドストックはやっと抜けた大剣で血に濡れた巨人の爪先を膝ごと切断した。
しかし魔軍達の猛攻は続く。
騎士が剣を振り上げた瞬間、軍馬に翼竜がブレスを吐きかけ、それを軍馬が避ける為に動いたせいで騎乗者はバランスを崩し、振り下ろした切っ先は紙一重で獣の頭の横の空を虚しく切った。
彼の真正面に立っていた獣が隙を見逃すはずも無く、大口を開けて騎士の胸元に無数に生えた太い牙を立てた。
面頬の隙間から大量の血が溢れ、身体が揺れた。
それでも騎士は大剣の柄で獣の目を打ち潰し、胸元から剥がす。
ズリュッと湿った音を立てて牙が抜かれ、噛み傷からは鮮血がゴポリと溢れだした。
「ここ………までか」
彼が上を見上げれば、複数の翼竜が一斉に口を開き、炎息を吐こうと口腔で炎をチラつかせていた。
そしてそれが巨大な炎の塊となり、翼竜から一斉に放たれる。
軍馬が避けようと動くが、軍馬もまた傷だらけで体力も限界に達していた為に反応に遅れた。
ウッドストックも大剣でそれをいなそうとしたが、身体が言う事を聞かず、手から大剣が滑り落ちる。
「まったくもって……………」
騎士は悔しげに眼を細めた。
「死にたくないねぇ……………」
そう呟けば、
「―――――なら生きろよ」
火球を一瞬にして大地から湧き出た水が呑み込んだ。
巨人を超える程、巨大な蛇の形をした水の塊が今度は魔軍目掛けて透明な牙を剥き、巨大な顎を開けた。
そして瞬く間に翼竜や巨人、翼を持つ人間や獣を呑み込んだ水蛇は自身の身体を圧縮させ、その強大な圧力で身体でもがく魔軍達を押し潰す。
音も立てずに潰された魔軍の大量の血と中身が水の身体を染め、水蛇の身体は真っ赤に染まった。
一分も経たない内に全滅した魔軍とそれをやってのけた水蛇とを傷だらけの騎士は交互に見、そして兜の奥から笑い声を響かせた。
「いやはや、まさかこんな事を見れるなんてねぇ………。長生きしてみるもんだねぇ」
彼が見上げる先に、一人の少年が赤く染まった水蛇の頭に腰掛けていた。
「なんだ、ウチの事、知ってんの?」
キョトンとする少年が、不思議そうに騎士を見た。
「うーん、知ってるとまではいかないねぇ。俺の場合は書物とか伝記とか、後は伝説やお伽噺の類では知ってたかねぇ」
「なーんだ。でもオッサンはウチの存在を理解している点では人間にしちゃぁスゲェよ」
「そうかい? 俺は君が何なのかも知らないんだけど」
ウッドストックの言葉に少年が水蛇の頭に腰掛けたまま手を左右に振った。
「違う違う、俺達はオッサンみたいな類は直感で分かんだよ。…………何て言うかな、うーん…………」
腕を組んで悩む少年から一旦目を離し、騎士は軍馬からぎこちない動きで鞍から降りた。
軍馬は騎乗者が居なくなった途端、その場に寝転がった。ウッドストックもその場に胡座を掻き、兜を脱ぐ。
少年は腕を組んだまま、露わになった騎士の顔を驚愕の目で見た。
それに気付いた彼はそんなに自分の顔はブサイクかな? と首を傾げる。
「お、おまっ! アインホルン!!?」
「俺はアインホルンていう名前じゃないよー。ちゃぁんとエドワード・オブ・ウッドストックって言う名前があるんだよねぇ」
「……………マジでアインホルンじゃねぇんだな?」
「うん」
少年が彼の返答に頭を掻いた。
「いや、ごめん。昔の知り合いに似てたもんだからつい……………」
「いいよぅ、別に。そんなのしょっちゅうだからねぇ」
騎士の言葉に少年の手がピタリと止まった。
「………………しょっちゅう?」
「うん。三日前ぐらいかな? カッコいい兄ちゃんがねぇ、〝お前、まさかモルスか!?〟なぁんていきなり叫ぶもんだから俺ビックリしちゃったよ」
「……………他には」
「んー? 俺が小さい頃は男女問わず何故か色んなイケメンさんに囲まれては口々に〝お前は――――か!?〟って訊いてくるもんだからねぇ、俺キレちゃってねぇ、それ以降はあんまりなくなった」
「…………………」
押し黙った少年を不思議そうに見て、彼は自分の視界が霞んでいる事に今初めて気付いた。
「あーっと、君」
「あ?」
「ごめん、俺今から寝るねぇ」
「はい?」
「じゃっ」
ウッドストックはその場にうつ伏せに倒れた。
それを見て、少年は初めて彼から大量の血が流れていることに気付いた。
「おぉい!!! 怪我してるならしてるって言えよ!!!」
少年が焦って立ち上がった姿を最後に、騎士は目を閉じた。
この物語の終わりが見えない…………。