高校2年生夏
これは56年前、私が16歳で高校2年生だった時の話である。私の高校は普通科だったため、普通なら3年生の時に行う修学旅行を2年生の夏に行った。3年になると受験勉強で忙しくなるためだった。
私はその頃、ある忌まわしい病気に罹っていた。それは一言で言うと、おならの失禁症だった。私をそれを高校2年になったばかりの時に発症した。私はそのことを親にも言わず、修学旅行に参加した。そして悲惨な目に会った。
私はその旅行記をその直後に書き留めたと思っていた。そして高校時代に書いた日記ノートはほとんど全て紛失した。ところが大学時代に書いたノートはほとんど現在まで残っていた。そして最近になって調べてみると、紛失したと思っていたその旅行記があった。私の勘違いで、旅行直後に書いたのではなく、その3年後に書いたのだった。
ノートには恐ろしく汚い字で書かれていたが、私はなんとか解読することが出来た。文章は下手くそそのものであり、あまりにひどい所は修正したり、削除したりした。しかし、なるべく元のニュアンスを残すようにした。56年後の現在よりもわずか3年後に書いた時の方が実際に起きた状況、雰囲気を鮮明に覚えていると思ったからだ。説明不足の箇所には注をつけた。そしてなんとか読めるものにした。
人の幸福な状態は大体同じようなものだ。だが、不幸の種類は無数にある。私の不幸も稀なものだった。だから記録して公表する価値がある、と思った。
私の病気は惨めなものだった。それが如何に惨めなものであったか、この手記を見ればわかるだろう。その後私は病院に通うようになったが、症状は全く改善されなかった。そして大学受験にも失敗した。受験会場から逃げ出したのだ。そして1年浪人した後、なんとか地元の大学に入ることが出来た。しかし病気のため、ほとんど授業に出ず、結局3年留年した。
まともな学生生活が出来るようになるまで数年かかった。そしてほぼ完治するのに10年以上を要した。結局私はその後、這い上がることは出来ず、人生を棒に振ってしまった。
私は昨年、食べ物を喉に詰まられ、ほとんど死の一歩手前まで行った。意識を30分失っていた。かろうじてこの世に戻った。ずっと先だと思っていた死がすぐそこにあることに気づいた。だから私は昨年の夏から生涯の記録を書き留め始めた。これはその中の最も重要な部分である。
なお、人名は仮名である。もし似た名前があったとしてもそれは偶然によるものである。
以下がその記録である。
高校2年生夏 1970年7月21日〜26日
とうとう駅までやって来た。とうとう汽車に乗って、彼らと何日か一緒に旅をしなければならなくなった。汽車は動いたが、これでもはや、僕から逃げ道を奪い去り、一途に修学旅行の最後の道までやり抜いていかなければならない。そう思わせるのだ。
6人のグループは各コンパーメントに落ち着き、荷物を整理し、しばらくして汽車は橋の上を走っていた。街の名残はわずかな農家と共に消えていった。夕陽が床に落ち、ゆっくり進行方向に合わせて動いた。どのコンパートメントでも賑やかな声が飛び、華やかな騒ぎが起きた。人一人通れるだけの遊路を普段着に着替えた生徒達が次々と通って行った。
6人のコンパートメントは気心の知れた同士だった。だが僕はこう言っておかなければならない。僕だけある意味で重大な仲間外れになっていたのだ。僕は忌まわしい病気を持っていた。それがどんな病気かと言うと、ここにその名を書くことさえ躊躇せざるを得ない病気だった。だが、言わなければこれからの事がわからないし、言ったとしてもそれほど驚くことはないだろう。世の中にはもっと驚くべきことがある。さて、僕の病気というのは、屁が勝手に出る、ということなのだ。少し学術的に言うと屁の失禁症だ。お分かりになりましたか。中には笑う人もいるだろう。そう、それが普通だ。誰でも屁に対しては幾分神経質なのだ。それで、それが僕のような形で明示されると急におかしくなる。まあいい。僕としても笑われる方がどれだけいいか。ところが、僕の失禁症を浴びると、大抵の人が嫌な顔をして咳払いする。おかげでますます僕は神経質になり、病気がひどくなる・・・。その悪循環の最悪の時、僕はこの修学旅行に参加した。僕はまだ世間知らずだったから、自分の苦痛と喜びを比較推量することが出来なかったのだ。
僕の病気はクラスの者には公然のこととなっていて、初めのうち、当てつけや何かで僕はひどく苦しんだ。女生徒達が特にひどかった。僕はまだ顔が可愛かったから女生徒達に人気があったのだ。それで、あんなことになり、僕は臆病になった。それで女生徒達はその反動で、半ば恨みを込めて僕に辛く当たるようになった。前、僕に目配せをしていた女達が特に執念深かった。男子生徒達は初めの頃はどうであれ、やがて事の次第を認識すると、寛容な態度を取るようになった。しかし時にはそうはならなかった時もあった。でも、僕は彼らに今は感謝の念に似たものを感じる。僕は今でも女よりも男の方に好意を持っている。事のついでに何もかも洗いざらい言っておこう。僕はその頃、一人の少年が好きになっていた。僕は自分でも子供っぽい顔に自信を持っていて、少年らしい、受け身の喜びを味わっていたのだが、その少年はことの他可愛らしかった。僕はまだ同性愛と言う言葉を知らなかった。僕が同性愛者である、と認識したのは高校3年生になってからだった。だからその頃は無意識に嫉妬と混じり合った恋心を感じていた。その少年とは1年生の時に隣の教室にいた、と言うだけなので、僕は話かけることもしなかった。まだその頃、男のくせに少年に恋するなど、情けない気持ちの方が強かったこともあった。だが、同じ刺激を受けていると、受け方が少しづつ変わって来る。1年生の終わり頃にはついにその少年の可愛らしさを認めぬわけにはいかなくなった。言っておくが僕一人ではない。少年の取り巻き連中は次第に増え、少年の姿が見えなくなくなるほどになった。僕たちの年頃なのだろうか。誰もがその少年に夢中になるようになった。僕が少年に恋をしたのは、女性への嫌悪もまた預かっていたのだろう。中学3年生の時、性に唐突に目覚めた僕は女生徒を激しく意識し、ぎごちない態度をとったため、ことごとく誤解された。例えば、体育の後、教室で服を着替えていると、あまりにのんびり着替えたので、気がつくと周り中、女生徒達だった。僕はパニックになった。まるでわざと女の下着姿を見るためにやったのではないか、と疑われた。そんな失敗をしばしばやらかしてしまった。
さあ、何もかも白状した。僕にはこれ以上隠す物はない。後は気楽に書いていけると思う。
コンパートメントでは、まだ話だけでは不満足な年頃のため、トランプが取り出されたが、揺れるのと、場所がないので膝の上でしたのでやりにくく、すぐに辞めてしまった。6人のグループはさらに二人づつに別れていた。名前を挙げて言うなら、大男の北山と美男子の岡本、判事の息子の小林とその相棒の梅井、がそれぞれ組みになっていた。そしてデブの森本と僕がセットになっていた。大体僕はクラスの中でいつも一人なのだった。今、僕は二人組と言うと性的なものを思い浮かべてしまう。人はどうしてどうして一人で居れないのだろうか。不思議なことだ。また多人数の組より、どうして二人組を選ぶのか。男でも女でもそうだ。だから、性的なところがある、と言ったところでむきになることはない。人は大体いつもそうなのだ。ただ露骨でないだけである。僕らはいつもそう言った関係を願っている。だがこれ以上言うのはもうよそう。言うだけ僕の頭は不快になってしまう。何かそこには不純な醜いものがあるのだ。僕の偏見に違いないだろうけど。
(2026年注:北山の父は大学の数学の教授だった。彼はもちろん優秀で後に東大に入った。岡本も体格がよくスポーツマンだった。美男子であり、相撲の千代の富士によく似ていた。彼は東工大に入った。小林の父は判事だった。彼はそれほど良い出来ではなかったがある程度できた。皮肉屋で、かなりずけずけ言う男だった。梅井はごく普通の好感の持てる男だった。この二人は仲が良かった。森本は大柄であり、かなり肥満していた。一言で言うとデブだった。陽気であり、いつもみんなを笑わせた。興に乗ると深いバリトンでアリアを歌った。私達のいる高校は県下でもトップ3の1つの普通科高校だった。私がいた2年生のクラスには特に成績のいい生徒が集まっていた。もう一人の優秀な男は弓崎と言う男で、彼は文化系志望であり、やはり東大に入った。私の学年からは結局東大に入ったのは3人いた。もう一人の男は古関という男で、彼の父もやはり大学の数学科の教授だった。彼も後に数学教授になった。彼とは1年の時に同級だった。なお、私も成績がトップクラスにいた。特に数学が抜群に出来た。一度数学の偏差値が91だった。200点満点の試験で193点を取ったのだ。2番目の生徒の成績は130点だった。多分この記録はまだ破られてないと思う)
夕陽が差し込んで眠くなり、僕たちの話もつまらなくなりそうな気配が漂い始めた頃、運よく変な男が僕たちの車室に飛び込んで来た。大変な男だった。露骨極まりない猥談を彼は始めた。周りの者は面白そうに彼を煽り立てた。6人でも窮屈な所を、ぎゅっと割り込んできたのだから僕たちはぎゅう詰めになって彼の話を聞かなければならなかった。僕の病気は座っているとひどいので、今にも出るかと気が気でなく、その上、彼の話に唇を振るわさなければならない。僕は元来笑いに脆いから笑いを殺すのにかなりの努力を必要とし、いつも格好のつかないことになってしまうのだ。その時もなんとか一触即発の所で笑いを噛み殺していた。ふふふと低く笑っていれば大きな笑いは出ないのだ。しかし、僕の神経はカチカチになり今にもブチ切れそうになっていた。
ところが思いがけないことが起きた。彼は急に威勢良く立ち上がり、するりと抜け出して行ってしまった。後に妙な匂いが漂ってきた。それはガスの匂いだった。僕はこの世に僕の他に少なくとも一人の同病者がいることがわかった。みんなが、くせ〜、とかなんとか言ったが、小林が「まるで屁こき虫だ」と変な口調で言ったのが気になった。僕はその中に、僕自身への当て付けがあるのを感じた。僕は立ち去った男に対して、胸苦しいものを感じた。同病相憐む、という感情は沸かなかった。忌まわしい、と言う気持ちだけが残った。
その汽車は寝台車だったので、7時頃車掌が来て床を設えて行った。だがそれであっさり眠る僕達ではなく、ちょうど良い腰掛けになったので、車中の猥談が続けられた。やがて、僕のグループの者たちは他の場所へ散らばり、僕だけはどこへ行く気もなく、一人で残された。そのことで自虐的な悲しみを味わった。薄いカーテンを閉じ、一番下の席で横になっていたが、頭の上や横でどかどか足音や人声がひどく、とても寝れたものではなかった。従って起き上がって本でも読もうとしたが、いつカーテンを開けられるかわかったものではないので、気が散って仕方がなかった。よって、何もせず、暗闇の中で横になったまま何もしないことにした。そうしてると侘しさはますます真に迫ってきた。みんなは一緒になって楽しく騒ぎ、僕だけは一人、といった捻くれた感情が湧き起こり、目に涙が溜まってきた。
そのうちみんな水平状態に収まり、眠れるかな、と思った途端、僕は夢の中に引き摺り込まれていった。
夢の中に煙が入り込んで来た。それは本物の煙だと判明した。上も横も狭い中で嫌な眠りから覚め、真夜中だというのに何があったのかわからないが、どたどた走り回る音が聞こえた。誰かが、
「窓を閉めろ、トンネルだ!」
と喚いていた。その男はとうとうヅカヅカと車室に入ってきて窓を一生懸命ごとごとやっていたが、うまく閉まったようだった。それでも大量の刺激臭は消えなかった。そのため、みんな目を覚ましてしまった。
目が覚めた。もう眠れないので狭い中を起き上がり、窓の外を流れる薄明の景色に目を凝らした。時計を見ると5時半だった。冷たそうな露に濡れた家屋やしなだれた木や林が流れていった。僕の頭は山奥の氷で凍りつき、全く働こうとしなかった。僕は無心に見ているつもりだったが、いつまでもそのままでいることは出来なかった。上下左右が気になった。強いてそのままにしていると肩が凝ってきた。皆んなまだ寝ているのだろうか。起きているような気がした。そしてじっと聞き耳を立てている、いつもそんな気がした。
僕はまた横になった。汽車の振動が皆んなを揺すぶっていて、そのこととみんなが眠っていることと関係があるように思った。起きているのは僕だけではなかった。人の声が聞こえてくると嬉しい気がした。洗面所へ行って顔を洗う音が聞こえてきた。そのうち急に賑やかになってきた。どこから湧いたのかわからぬ人の声が聞こえた。僕はどうも納得がいかなかった。僕は人間よりもむしろ自然の方へ、物体の方に近いのだろうか。日が差し始める頃にはもう皆んな起きていた。どこからも叩き出されたように出て来た。僕はカーテンの中でみんなが上からどすんと落ち、パタパタ歩き回り、話し声が飛ぶのをあぐらをかいてぼんやり聞いていた。
汽車は高原に上がったらしかった。夏だったのに、薄寒い空と、肌を刺す空気、そして木材の香りがあちこちから漂ってきた。駅はまるで丸太小屋のようだった。いつでも組み立て分解が可能のように思えた。窓から首を伸ばして見ると車両が弧を描いて曲がっていた。先頭の車両が遥か彼方にあった。同じように首を出している生徒達が何人もいた。僕は寒さに震えながら首を引っ込めた。
汽車は町に着いた。僕達は塊になって駅を出て、見知らぬ所をとぼとぼと歩き、ヘルスセンターに到着した。食事の用意がされていた。大広間に何列もお膳が並べられていて、それぞれ適当な場所に座った。同級の者は一緒に座るのだと思っていたが、皆んなお構いなく席を取っていた。僕の隣には国語の国富先生が座った。僕は緊張していた。確かに出たと思った。隣の先生は顔をしかめることもなく、僕の方を向くと、何を思ったか、
「しっかりせえ」
と僕の背中を叩いた。僕のか弱い格好がそう言わせたのかもしれない。しかし、絶対にあの臭いを悟られたと確信していた。周りの生徒達が、同級の生徒達だったが、よく知っているにも関わらず、変な顔をしていた。僕は旅先においても、僕の病気が機嫌よくならないことを知った。
風呂に入れと言いながら世界史の先生が歩いて回った。連れ立って立ち上がる者達が何人もいた。僕は真平ごめんだった。その先生の態度が強制的に思えたので不安になり、食事を済ませるとそそくさと2階へ逃げて行った。もちろん一人だった。至る所に遊び道具が置いてあった。けばけばしい造りだった。僕は一足飛びに屋上に出た。少し広いコンクリートの広場があった。汚い椅子やテーブルがあり、コンクリートは茶色に変色していた。見晴らしは良かった。ヘルスセンター自体が高所にあるので、町全体を一望することが出来た。すでに午後だと思っていたが、時計を見るとまだ朝の7時だと気づいて驚いた。少し、憂鬱になった。
1時間後、僕達はバスに乗った。町を見物するのだ。僕はうっかり前の方に座ってしまった。それからが大変だった。腹が張っていたので、ガスがいくらでも出るのだ。惨憺たる有様だった。僕の隣は無論、空席だった。後の方から声が上がるのを僕は聞き逃さなかった。必死になって止めようとしても、却って逆効果だった。結局、その日バスに乗っている間中、僕は間欠的に出し続けた。後の方で女性生徒が言った言葉が印象的だった。
「ああ、これで何もかも滅茶苦茶だわ」
僕としてもなんとかして止めたかった。しかし、意識すればするほどひどくなった。そして、彼らのその言葉によってさらにひどくなった。彼らにはそれがわからなかった。僕はそれまで人間は心底ではいい人達だと思っていた。良いこころ、他人に対する同情、思いやりのある心、を信じていた。僕はその時、初めて人間の暗い部分を覗き込んでしまった。今まで信じていた物は全て嘘だった。人間とは本心では卑怯で醜いものだと知った。
僕は、半ば頭がぼうっとなっていたのだが、バスはまず最初に城に到着した。どこの町だったかさえ覚えていないのに、城の名前などさらさら覚えていない。とにかく到着した。やたら入り組んだ広場を通り抜け、城の中に入って行った。中は薄暗くて気持ちが悪かった。柱がいくつも突っ立っている部屋を通ったり、四畳半ほどの天守閣をに登ったり、絶えず後から小突かれながら危ない階段を渡り、いつの間にか外へ押し出されていた。
あまりにも僕一人だけ早く出てしまったのだが、バスは事務所に行ってしまったらしく、誰もいなかった。堀に鯉がいて、僕はその泳ぐ様子を一人で見ていた。
その次は養魚場だった。様々な生簀に大きいのや小さいのや、名前も知らぬ魚達がぎっしり泳いでいた。流れに沿って、頭を一列に並べているのは実に壮観だった。だが僕の精神状態は芳しくなかった。魚をじっと見ていても、目がなかなか座らなかった。どうして落ち着かないのだろう。昔はこんなじゃなかった。だから体裁上、自分はじっと見れるんだ、というふりをしなければならなかった。僕はとにかく他人の視線が気になった。まるで自分一人だけ皆んなから見られているように思っていた。
そんな状態はいつものことで、ほんのちょっとでも自分一人になれてる、という安心感は得られなかった。だからくだくだしくなるから省略する。以下全て同じ精神状態だったと考えて頂きたい。
昼食は黒部ダムに近い山腹のレストラン兼バス発車場みたいな所で取った。僕は拗ねて、それからは悉く一人で行動した。いうまでもないことだ。一番端っこの席で食べていても、その席の者達がどんな顔をしているか気になった。
「まだ食べてる」
そう言って、皆んな立って行った。その言葉はあるいは聞き違いだったかもしれない。でもいつまでも気になった。皆んな知らないやつばかりだった。バスが出るまで間があった。皆んなが広い待合室でうろうろしている時、僕はトイレに入った。何も出なかった。損したと思った。
バスは何台もやって来て、各自が勝手に選んだ。混んでいて立たなければならなかったが、不思議に安心感があった。僕のそばの席に座っているのは男の先生で、タバコを吸っているのでそうだったのかもしれない。両足を踏ん張って握りを掴んでいるといい気持ちだった。後の方から女生徒の声が聞こえてきた。
「あの人・・」
「へえ〜、あの顔でねえ」
僕は激しく腹が立った。自分に対する嘆きではなく、その女達への憎しみだった。なんというやつらだ、と思った。できれば地団駄を踏みたかった。
バスはトンネルの中を進んだ。ひんやり冷たい風が窓から吹き込み、風邪を引きそうだった。
ダムは遠くからでも大きく見えた。ダムの上の道になかなか行き着けなかった。階段が無限に続くように思えた。どうやってこんな上の方に来たのかわからなかった。とにかくいつまでも階段を降りていった。ダムの大きさは圧倒的だったから、言い表そうにも言葉がなかった。感情もなかった。そのうち僕はダムの上に立っていた。その道がまた遥か彼方まで続いていた。屯している連中を避けて、やっと真ん中と書いてある所まで来た。そこから下を覗くと、真下にトラックがあった。完全に僕の真下にあるのだが、あまりにも小さいのでまるでミニチュアの玩具のように見えた。よろめきながら別のミニチュアのトラックがやって来た。僕はいっそここから飛び降りることを想像した。それはいい気持ちに違いないと思った。特に今の僕のような状態の時にはそうに違いなかった。
小林と梅井がやって来た。嫌な所に来やがった、と思った。やあ、とか何か言ったが、通り過ぎながら梅井が、
「落ちるなよ」
と言った。小林が陰険な口調で、
「落ちやしないよ、へへへ」
と言った。言外の意味は赤子にもわかった。僕は不愉快になった。本当に飛び降りてやろうか、と思った。でも僕はまだ死ぬ気はなかった。
厳しいスケジュールを終えて、僕達はその夜、旅館に泊まった。僕達に割り当てられた部屋は、東西と北に向いている見晴らしがよく、風通しも良い部屋だった。ベランダもあり、籐の椅子が2つあった。テレビもあったが、他の部屋にはなかったそうだ。そのため、食事も終え、風呂にも入った後(僕はもちろん入らなかった)続々と他の部屋の生徒達が押しかけて来た。弓崎が籐椅子に座っている僕の所にやって来た。彼は級長であり、いつも顎が青く、髪がボサボサだった。彼は非常に優秀な男であり、後に東大に入った。
「なんだ。どくとるマンボウ航海記なんか読んでるのか」
彼はそう言ってもう1つの籐椅子に座り、難しい話を始めた。
彼は自分の家のこと、僕のこと、そんなことをまず聞いた。そもそも彼がここに来たのは、僕が夕食にも来ず(2026年注:よく覚えてないのだが、どうも私はその夜、何も食べなかったようだ)、一人で勝手に振る舞っている、と思ったからだろう。僕はそのことで、女のように、恥ずかしくて自堕落な快感を感じていた。取り止めのないことを話していると面白かった。ただしそれも自分に関したことだけで、関係ない話になると僕の興味は冷めてしまい、何も言えなくなった。
蛾が障子をバタバタやり始めた。僕は、
「毒蛾じゃないか?」
と恐る恐る言った。もちろんそうではないことはわかっていた。揶揄っただけだった。
「いや毒蛾ではない。毒蛾は羽根が黄色いのだ」
弓崎は生真面目に答えた。
彼はそれから文化とか運命とかそんな話を始めた。僕は密かに、これは大変だ、と思った。そして果たして自分にそんな会話が出来るのかと試みてみたが、やはり駄目だった。彼の話は非常に理路整然としていた。あるいは僕にはそう思えた。他の者も集まって来た。そして僕達は輪になって座り、弓崎が議論の音頭を取った。彼が話したのは大体次のような話だった。この世には文化、それも長い間に培われてきた文化、というものがあって、それは意識的に進歩発展させなければならない、それこそ僕らに必要なことであり、まず第一に考えなければならないものだ。文化というものは、今までに何度も更新され続けて来たし、常に新しくなければならないのだ。それを誰がやるか、僕らだ。そのような事を弓崎は言った。今から考えても、まともな考えだし、彼の高潔な人柄を伺うことが出来た。
円陣を組んでいた者達にはよくわからなかったようだった。僕もそうだった。それでも僕は、彼が僕にだけ話しかけている気がして、時々しどろもどろに変な格好の悪い質問をした。石原という男がいて、彼も弓崎の同類らしく、頭の回転が早かった。僕が引っ込んだ後、彼は明快ななるほどと思わせるようなことを言った。僕は恥ずかしくなった。彼とは顔つきがよく似ていたし、どちらも童顔だった。そのため、僕は彼にはライバル意識を持っていた。僕は「ある意味」で人に好かれる、ということに対しては嫌な感じがしていたのだが、内心楽しんでもいた。それで、彼の方が余計にその点で好かれそうだ、と思うとライバル意識が沸いて来たのだ。高校時代、というものは奇妙な年頃だった。
(2026年注:何を言っているかというと、性の問題だった。その頃の僕達の性的嗜好は微妙であり、性の対象が揺れ動いていた。だから、美しい少女が対象になる場合もあるし、可愛い男子生徒がその対象になる場合もあった。私の場合も揺れ動いていた。私は成長が遅く、中学3年でやっと思春期を迎えた。体もやっと大きくなり始め、高校1年と2年の時に7cmづつ伸びた。身も心も大激動の最中だった。そして高校1年性の終わり頃にある外国映画を見て、その主人公の少年に恋をしてしまった。私は次第に自分が同性愛者なのではないかと意識し始めた。そして高校3年の時にはっきり自覚した。しかし、私は愛する方であり、男に愛されるつもりはなかった。私は童顔であり、比較的可愛い顔をしていた。だから時々同じ男子生徒からそのような目で見られた。しかし、私は男に愛されるなんか真平ご免だった。男にそのような目で見られると鳥肌が立った。しかし、私が性的に複雑な悩みを抱えていることは確かだった。そして私の病気によってますます女性嫌いになっていったのも確かだ)
その夜、弓崎達が行ってしまった後、これは大変だ、僕は遅れている、うかうかしてはならぬ、と思った。どこかに行っていた北山達は9時頃戻って来た。
布団に潜り込むと、北山と岡本がふざけ合っていたが、北山は僕にこう言った。
「岡本が夜中に君に飛びかかっていくかもしれんから、注意しろよ」
彼は頭が良く、体もデカく、性格も僕が羨ましくなるほど良く、そのくせ大男の欠点の抜けた所を持っていた。そこがまた愛嬌があった。少しおっちょこちょいで、およそ完璧にはほど遠かったが、明らかに大きな器を持っていた。その北山はよくこういうどぎつい冗談を真面目に言うことがあった。僕はそれに受け応える余地はなかった。僕は黙ってしまった。
翌日、浅門温泉(それが、前日僕達が泊まった温泉宿の名前だ、今調べてわかった)を8時に出発し、10時50分に霧ヶ峰に到着、とガイドブックに書いてあった。僕は幾分悲しくなった。その頃はなんと楽しかっただろう。色々苦しいこともあったが、なんとまあ、沢山の幸せがあっただろう。今、僕の手元に修学旅行の前日に配られた小冊子があるが、その中に、日程、こもごました注意書き、そして20ページもの歌が載せられている。いつ、どこにいたかを見、歌をめくっているうちに僕の心は締め付けられてきた。今まで書いたことは全部本当にあったことではなかったのではないか。そう思えただけで、本当はもっと別なあり方だったのではないか、と思えて来た。例えばこの悲しい歌のように。
「若く明るい 歌声に雪崩は消える
花も咲く青い山脈 雪割桜
空のはて 今日もわれらの 夢を呼ぶ」
本来は明るい歌なのだろうが、僕にはとても悲しい歌に聞こえた。バスの中でみんなでこの歌を歌ったのだ。バスは僕らの歌声で進んで行った。あれは高原だったと思う。こんな歌も小冊子に載っていた。
「人は誰もただ一人旅に出て
人は誰もふるさとを振り返る
ちょっぴりさみしくて振り返っても
そこにはただ風が吹いているだけ
人は誰も人生につまずいて
人は誰も夢やぶれ振り返る」
これはその頃流行っていた流行歌だった。今初めて思い出した。その時だけに歌われた歌というものは、もしそれが少しでも胸に響くなら、なんと大切な宝になるのだろうか。この歌はバスの中でギターの伴奏と共に歌われた。ギターを弾いたのは、安部、藤田、永山だった。懐かしく思い出す。
ああ、僕には昔を語ることはできないのだ。はっきりわかった。僕には現在の自分しか語れないのだ。なんという悲しいことだ。今の僕は寂しすぎるのだ。なぜなら、彼らは今では皆んな僕の手の届かないところにいる。しかも、恐らく永遠に会うこともないのだ。もう一度、みんなが集まって、もう一度バスに乗って高原を走り回ることが出来るなら、どれほど幸せなことだろうか。
霧ヶ峰は湿原だった。昔は沼だった所が水草で覆われてしまい、今ではどこも湿った小高い土地だった。見渡す限り木が一本もなかった。丘がうねってどこまでも続いていた。その間に張られた細いロープで制限された道を伝い、僕達はゾロゾロと歩いて行った。なんでこんなに歩かされるのだろうと思った。目的は少し広い草原でおにぎりを食べることだった。僕は昨晩から絶食していて半死半生の状態だったので、皆んなが文句を言っているおにぎりを大変美味しく頂いた。僕達はそこで並んで写真を撮った。僕はなるべくゲンナリした顔をしようと試みた。後で出来上がった写真を見るとやっぱりそのように撮れていた。
風景なんか例えその時いくら見たとしても何も覚えていない。所々の茂みの中にベトコンみたいに監視員が隠れているとのことだった。絶対茂みの中に入れさせないのだ。僕達はまた長い道を引き返した。結局歩いてばかりだった。皆んなは残って何かやったかもしれないが、覚えていない。
それからまたバスの旅が始まった。僕はいつの間にか一番後ろの席を奪い取っていた。席を少しづつ後退していったのだ。もちろん皆んなもう文句を言わないから、僕も皆んなの楽しみを相伴することにした。案外楽しい、ということがわかった。人は悲しんでばかりはいられないのだ。その悲しみというのがどんなものか知れないが、案外そんなものかも知れない、と思った。
白樺湖、どんなものだったか忘れたが、を巡り、坪庭にやって来た。坪庭は小冊子にこう書かれていた。
「坪庭は、蓼科の東、横岳と縞枯山の間の溶岩台地で、広さ33万m2と言われ、標高2250mを示すため、高山特有のハイマツや高山植物のお花畑が溶岩の割れ目に点在し、夏は特に美しい眺めを呈する。ロープウェイで上がる途中には伊勢湾台風による山崩れの跡も間られる。」
小学校の校庭のような所を降りると、小さな白い建物に入り、そこからロープウェイで山の斜面を上がった。ロープウェイは狭いし、それにぎっしり人が乗るから僕は嫌な予感がしたに違いない。しかし、人が立て込んで詰まっていると誰だかわかるはずがない。そんな理由もあるが、それで少しでも救われえるかというと違う。だから僕はなるべく人とは背中合わせになるという術を使った。僕はそれに関しては様々な方法をマスターしたのだ。まず風の向きに極度に敏感になった。あっちから風が来るなと思うと、風下の方に行った。それにしても惨めな気持ちは変わらない。
坪庭に関しては上に述べたそのままである。僕は団子のような岩の上を歩いたのを覚えているだけだ。所々、茶色の岩に対比して、どぎついくらい綺麗な色の花がちょぼちょぼと生えていた。岩だから、先生に遅れまいと一生懸命に歩いていると、僕には安心感が戻って来た。後が遅れてしまい、先生と僕、それにあと5人ほどになった。サルゴン2世、それが先生のあだ名だが(2026年注:私の担任の先生だが、猿によく似ていた。いや、猿が先生に似ていた)、は首にカメラをぶら下げていて、しきりにシャッターを押していた。帰ったらそれを売るつもりかなと思った。
尖石で大昔の家を見た後、小さな石ころを拝んでから、蓼科の温泉宿に向かった。その旅館で6人グループの中で僕一人、他のグループと一緒の部屋にされた。そこには石原がいた。皆んなが風呂に行った後、例の若く僕一人後に残った。僕ほどじっくり骨の髄まで孤独を噛み締めることが出来る者はいない。窓の敷居で外の暗闇を覗きながら心悲しんだ。コーラを飲もうと思った。僕としては大胆な思いつきだった。それには玄関まで行かなければならなかった。曲くねった廊下と階段を、また戻れるように覚えながら歩いていると。通りがけにこんな光景を見た。K君(2026年注:私がその頃密かに恋心を抱いていた生徒)が、おそらく湯上がりのほやほやだったのだろう、やって来た。そばにいるお供(もちろん男)が、K君の体に馴れ馴れしくもたれかかっていた。この意味をじっくり味わいながら、僕はしっかりその光景を頭に焼き付けた。だから今でもはっきり目の前に見ることが出来る。
玄関のホールは思いのほか人が混んでいた。売店があり、そこに人が集まっていた。その横に自動販売機があったが、その方には人がいなかった。コインを入れると実に忠実にコーラの瓶が出て来た。ぐい飲みしていると、知った顔が通りかかった。他の者もいるのかも知れなかった。無念という気持ちと惨めさが戻ってきた。部屋に戻ってピンポン玉を見つけ、一人で興じていると何も知らぬ者達が戻って来た。
その夜2年3組は一家揃って外に出た。チームワークの点でいうと僕のクラスは優秀だった。他のクラスは思いもつかなかったのだから。僕は自分のクラスをおそらく誰よりも誇りに思っていた。街頭に人だかりがあり、中に二人の外人がいた。生徒達は英語の力を試して面白がっていた。僕は優しく応対していた外人達に好意を持った。
岡田という他のクラスの奴(髪を伸ばし、かなり不良がかった男)が、いつものように何人かの子分を引き連れて通りがかった。そして、
「なんや、毛唐か」
と言って通り過ぎた。その外人達は英語だけでなく、日本語も解するということが後でわかった。
旅館の前の広場に皆んな集まった。多過ぎると言うので、少人数に分かれ、別行動を取ることになった。グループは男と女が組み合わされた。僕達はいつもの6人グループと女生徒が4人、それに岸田先生が加わった(2026年注:サルゴン2世という渾名の担任の先生。この先生は漢文の先生であり、面白い先生だった。詩吟が得意でよく授業中にも関わらず聞かせてくれた。ただしその前に必ず窓を閉めさせた。ある時、先生がある生徒に中国の史実の名前を尋ねた。その生徒はわからないので立ったままだった。すると先生は「尻に手を当てて良く考えろ」と言った。その生徒は言われた通り尻に手を当てて考えた。そして正解を言った。「鴻門の会です」)。しばらくぶらぶら歩き、適当な喫茶店に入り、その奥の座敷間に上がった。太陽が一杯のメロディーが流れていた。ジュースを注文し、時間をかけて飲んだ。
「どうだ、皆んな、楽しゅうやっとるか?」
先生がそう言うと、みんなはエヘヘと笑った。小林が、ダメじゃありませんか、のメロディーをこっそり漏らした。その歌詞をあげておく。
「嫌じゃありませんか 花子さん
オナラばっかりしていては
花嫁修行をしていても
どこへ行こうと鼻つまみ
ほんとにほんとにほんとに
ほんとにご苦労さん」
その日はそんな歌をバスの中で歌ったのだった。気兼ねしている者もいて、やめようという小さな声もあったが、皆んなは景気良く歌った。それこそ羞恥心のカケラも見せず。しかし、時には義憤とでもいったものが沸き起こることがあるが、やはり、今ではこの歌も懐かしく感じるのだ。少し僕おかしいのかな?
映画音楽のメロディーが流れ、女生徒達は気に行った男達のそばに座った。低級な女達の目つきは嫌らしいものに感じた。落ちつきがなく、いかにも算盤を弾いてますという表情が読み取れた。人数の割合が悪かったので、岸田先生と僕と梅井のそばには女生徒は来なかった。梅井のそばに女が来なかったのは不思議に思えた。人好きのする、どちらかというと可愛い顔をしていた。多分、男らしい魅力というものが欠けていたのだろう。岸田先生のそばに寄りつかない、というのはこれは当然のように思えた。女生徒がストローの紙の鞘を細工していた。綺麗な花が紙から出来上がった。それをコップに刺しておくのが上品な作法なのだそうだ。僕は退屈なので丁寧に試みた。
先生「梅井、何をぼんやり考えとる」
梅井「え、僕、〇〇君(僕のこと)が花を作ってるのを見てます」
僕は丁寧に丁寧に暇に任せて作ったので、それは皆んなの中で一番綺麗な出来だった。皆んなの褒め言葉が飛んだ。
「さすが、K中学」
と森本が言った。僕はK中学の出だったのだが、クラスの評ではK中学出の者は変なのが多い、とのことだった。森本もそうだし、藤田も僕もそうだった。確かに奇妙な連中ばかりだった。デヴで賑やかな森本、音楽気狂いの藤田、そして最も奇妙なのは僕自身かも知れなかった。でも僕は皆んな陽気でおめでたいだけだと思っていた。正直言ってそういう範疇に入れられ、評価されるのはいい気持ちだった。僕にも何か価値があるように思えた。
ところで、僕は褒められて嬉しくなって堪らなくなり、涙さえ滲み出た。僕はしばしば涙を滲ませることがあった。しかし、なんと彼らは僕を褒めたり貶したり、いろんなことを言われたものか。一時は「天才」だと見做したり、また「あいつはばかだ」と言ってみたり、「くだらねえやつ」とか、最後に「変なやつ」と言われた。
僕の童顔についても揶揄われたことが何度もあった。「才色兼備」だと言われたし、ある授業中に僕はある女子大学が出した問題を答えたところ、その先生はニヤニヤ笑いながら「君もこの大学に入れるな」と言った。皆んなはくすくす笑ったが、僕は赤くなった。
その夜は眠くてぼ〜とした頭でお開きになった。
翌朝、7時半に蓼科を後にした。その後、鬼押し出しで釜飯を食べたこと、火山に登ったこと、小諸に上がったらしいが、何をしたのか全然記憶にない。鬼押し出しと言うのは変な名前だった。ガイドさんに尋ねたらいろんな事を言った。本来は火山岩の間に立った円塔でしかなかった。その円塔の中に釜飯があった(2026年注:意味不明)。僕の精神状態は日を追うごとに憔悴していったので、そう思わざるを得ない。テーブルの向こう側に人が座ったのでびっくりした。それは弓崎だった。彼はわざと僕を選んでいるのだろうかと思った。そんな状況下だったからそのようなことを考えた。彼は落ちついて悠々と食べた。僕はさっさと、そのゴボウや人参や、その他わけのわからぬ根っこのごった煮を食べ、一番先にテーブルを立って外へ出た。その釜は持ち帰っていいのだけれど、荷物になるし、それと名誉のために置いて帰った。
バスのドアが開かなかった。がっかりした。しかし、元の所に戻る気は全くないので、近くのコンクリートの階段に腰掛けた。ガイドさんがやって来て、僕が待っているのを見つけると、急いでドアを開けてくれた。
我ながらたった一人でバスの中で何もせず、ぼんやりとしているのは情けなくもあり、辛かったが仕方がなかった。しかし少なくとも誰にも文句を言われることもなかった。バスの中で僕は手帳を取り出して何か書いた。その日の出来事を書いたのだと思う。僕は後々のため、ガスが出そうになったので少し出しておこうと試みた。ところが自分一人だとなかなか出ないのだった。運よく、少しだけ出た。するとドアが開いて女子生徒が二人入って来た。僕はもうお手上げだと観念した。観念する、と言うのはなかなか便利な言葉であるが、余程に聖人でない限り、実際にはありっこない。俗人が使う時は、本当は困りもしないことを、困ったふうに装う時に使うのだ。女生徒達は僕のそばに来ると、思った通り、思ったことがあったらしく、一人が扇風機を掛けた。そして言った。
「どう?もう薄まった?」
女達はえらくどぎつい言葉を平気で言うのだ。僕は赤くなったまま、動けなくなった。
15時に白根山に到着した。山とも思えない小さな丘に人々がゾロゾロ登っていた。火山であるらしいのは、あたりに木も草も一本もなく、白い黄色い硫黄の混じった土がついていたのでわかった。登るのが遅れて写真を撮るのにかろうじて間に合った。最後は滑り降りて岩にぶつかりそうになった。出口に驚くほど青い水が溜まっていた。どうやらただの水ではないらしかった。硫酸銅の水のようだった。
僕はその後、11月頃、この修学旅行を題材にした小説を書いた。これはその一説だ。
(2026年注:私はこの修学旅行記を旅行の直後に書いたもの、とずっと思っていた。私は高校時代に毎日日記や雑文を書いていた。しかしそのノートは高校生最後の半冊分を残して全て失ってしまった。そしてつい最近になって大学時代に書いたものの中にこの旅行記を見つけた。私が旅行の直後に書いたと思ったものはこの小説の方だったのかもしれない。なお、妹尾君のモデルはK君である。)
「これが妹尾君だ」
以前に私に先生めいた口調で言った男が一人の少年を紹介した。私の前には幾分か弱く見える少年が立っていた。顔立ちは全くの子供と言える清い感じを与え、体中から新鮮な香りが溢れていた。三村ほど美しくはないにしても。私達はまた荒れ果てた草木一つない火口を登り始めた。私は妹尾君と1つ2つ話を交わした。そしてその純真さに驚いた。私達に共通のあの少年時代の純真さだった。私は懐かしさをその少年に覚えた。故郷に思いを寄せるあの甘い感情に似ていた。なるほど、これで君は思いを遂げたわけだ。私はなぜか私達二人を残してさっさと前を歩いている彼に腹の底でそう思った。
これはかなりエロチックな所だ(2026年注:今読んだら全くそうは思えない。これを書いた頃は私はまだ心は清く、純真だったのでそう思ったのだろう)。文章の野暮ったさは至る所で目につくし、一体この男は何を言おうとしてるのだと思わす節もある。とにかく、これは自分の同性愛を意識してない同性愛者の手記なのだった。ところで、白根山を登っていると、いつまでもダラダラ眠い感覚が快感を伴ってやって来た。その雰囲気がこの文章の中に現れている。それにしてもなんたる甘ったるさ。
もう一つ火山があったらしく、僕がいち早くバスに戻ってくると、ガイドさんが、
「あら、もうお帰り?」
と言った。やはり仲間は必要なのだ、妹尾君。
バスは志賀高原を巡り、家路、つまり旅館へと戻って行った。
志賀高原のその夜は、ホテルニュー志賀に泊まった。実に煌びやかなホテルだった。前日、前々日に泊まった旅館より遥にモダンだった。玄関から部屋の入り口まで、ツルツルに磨かれた石の床で、スリッパを履いて歩かなければならなかった。玄関の広場をロビーと言うのだろうが、ロビーにはソファがいくつもあり、カラーテレビが前面に据え付けられてあった。売店がやはりあった。ロビーの反対側、つまり玄関の右手に豪華な食堂があった。給仕さん達が黒い蝶ネクタイを締めて傍に控えていた。
どの部屋にも玄関とトイレとテレビとベランダが付いていた。荷物をあちこちの壁のそばに置き、みんなが風呂に行った後、僕はテーブルに残した漫画本を一人で読んだ。食事の後、ブラブラと歩き、売店で土産をいくつか買った。部屋に戻るとクラスのもの達が10人ほど集まっていた。後からもっと集まってきた。全員が集まったと思う。僕は知らなかったが、その夜、8時から食堂でクラスごとに寸劇をやる、とのことだった。各クラスがやるのだから、僕のクラスもやらなければならなかった。それを1時間前に今になって、
「皆んな、何をする?」
と級長である弓崎が聞くのである。でっかい紙提灯のぼんやりした灯りの下で、皆んなだらけて壁に背をもたせかけて聞いていた。でも目だけは爛々と輝かせていたのはやはり真剣に考えているのだった。何しろもし失敗すれば、みんなの前で大恥をかくことが目に見えていたのだ。やりとりがいくつかあって、結局3つのグループに分かれて、各グループ毎に歴史物をやり、それで全体的に統一したものにしよう、ということになった。
僕は弓崎のグループに入った。というより、強引に入れられた。僕たちは別の部屋に行き、それで打ち合わせをした。何をするかというとソクラテスの弁明だった。その本を昨年倫理の先生に読まされた事があったため思いついたのだ。ソクラテスは顔が半ば破壊されているから常広がやることになった。
「僕がやるとどういうことになるかわからんよ」
「いいよ、わかってるよ」
審問官は弓崎がやり、その他の僕たちがやることは評決の時に立ち上がることだけだった。セリフは一切必要なかった。
ソクラテスが弁明の席につこうとすると、審問官が言う。
「ソクラテス様、そこらです」
ソクラテスがそこらに座る。審問官が尋ねる。
「あなたはどうして、赤マムシのドリンクを飲んだのですか?」
ソクラテスは驚き、慄き、思わず椅子から立ち上がる。
「違う、私にはどうしても必要だったんだ」
「なぜ?」
「女房がしつこく私を口説いたからだ」
なるほど、それにしてはこのソクラテスは少しまん丸く精力的な顔立ちをしていた。劇はこういった問答の後、採決が取られ、ソクラテスは有罪となった。僕たちはその際、立ち上がって賛成の意を表すだけで良かった。劇はまことに「寸」がいくつも付きそうな様相を呈していた。僕たちはギリシャ人だから、服を脱ぎ、シーツを体になんとか巻きつけなければならなかった。弓崎がなんとかそれをやってみせたが、本物とはかなりの差があることは間違いなかった。僕は貧弱な左肩と胸と腕を見せなければならなかったので恥ずかしかった。
さてこれから、あの長い夜の饗宴を述べなければならない。もう今ではいくつも覚えていない。このホテルに泊まったのは1組から5組だったから、劇が5つあった。はて、どれだけ覚えているか。8時にみんなが食堂に集まり、がら空きになったロビーでシーツに着替え、僕たちは後のテーブルに陣取った。食堂の中央ではテーブルが片付けられ、劇が出来るだけの空間が広がっていた。赤い弱々しい照明が照らし出していた。司会者は唇の分厚い生徒で、厚かましそうな顔をして劇を進めていった。
1組の出し物はコーラスだった。担任の先生は国富悦治先生だった。
「えっちゃんはね、悦治というんだよ、本当はね」
というコーラスを堂々とやり、最後にさっと左右に分かれ、その間からベレー帽を被り、タバコを片手にした格好いい先生が現れた。
4組の出し物は最後にやったのだが、これは場にそぐわない真面目すぎるものだった。何週間も前から練習して来たものだったようだ。見ているうちに身体中に虫唾が走ってきた。壮大な劇なのだが、男と女の恋愛物だった。見ていて全く面白いとも思わず、むしろ気分が悪くなってきた。一言で言うと、白けた。
僕たち3組の出し物はあっというまに終わった。どこから持って来たのかと思うような黒メガネをかけてるやつもいた。簡単にいうとギリシャからパリそれからロンドンへと目まぐるしく、パノラマのように展開されるのだが、テンポが早すぎて何がどうなっているのか誰にもわからなかった。僕にもわからなかった。北山のグループは途中で彼一人でイカリヤ長助みたいな踊りをやっていたのだが、いきなり、「もう、やめた」と放り出し、さっさと辞めてしまった。
飛び入りにこんなのがあった。例の岡田という、毛唐を貶した長髪のむさ苦しい男がちょこちょことステージに出て来てマイクを取った。
「皆さん、まず次の言葉を覚えて繰り返して下さい。へい!ヘイラーリ ライリ・ラーリー ヘイラーリ ライリラー・・・・」
僕たちは訳がわからなかったが、とにかく覚えた。彼は歌い始めた。
「電車の車掌さんには、女はいない。それもそのはず、ちんちん電車 へい!」
そこからみんなが歌に合わせて合唱を始めた。「ヘイラーリ ライリ・ラーリー ヘイラーリ ライリラー・・・」
「天皇陛下がおならをしたよ。見ていたお供が、ヘイカ? へい!」
「ヘイラーリ ライリ・ラーリー ヘイラーリ ライリラー・・・」
「皇太子殿下がトイレに行ったら、外で皇太妃殿下が、 コウタイシテンカ へい!」
「ヘイラーリ ライリ・ラーリー ヘイラーリ ライリラー・・・」
「アメリカ大統領は損してばかり、それもそのはず、ジョンソンにニクソン へい!」
「ヘイラーリ ライリ・ラーリー ヘイラーリ ライリラー・・・」
もっと沢山あったがこれくらいしか覚えていない。
2組に僕の唯一の親友がいた。家が近くなので毎日のように遊びに行っていたのだが、彼がマイクで何かボソボソと言った。僕と同じくみんなにも彼が何を言ったのかわからなかった。彼は後ろを向き、マイクを放り出した。
(2026年注:彼とは中学2年生の時に友人になった。彼と私は正反対の人間だった。性格も体格も全く違っていた。私はひ弱で、彼は頑丈な体を持っていた。おそらく肉体的には北山に次ぐ体力を持っていた。あの不良の岡田さえ、彼にはニコニコしながら揉み手をし、愛想良くしていた。なぜお互いに惹かれたのかわからない。多分互いに自分にないものを相手に見出したのだろう。彼は私の病気についても見て見ぬふりをした。普段と同じ付き合いをしてくれた。大学受験に失敗し、一緒に浪人生活を送った。大学入学後も文通した。しかし、ある事情により彼は去って行った。)
先生の飛び入りも多かった。例えば、幕間で、池本先生がこんなことをやった。
「ここから、あのテーブルの上のコップを、自分の手を使わずに動かしてみます。」
みんなの視線はそのコップに集まった。
「あんた」
先生はテーブルのそばにいる生徒を指差した。
「そのコップを取って動かして下さい」
がっかりしたような吐息が一斉に漏れた。
もっと真面目な出し物もあった。虫明先生は国語の先生だが、歌を実にうまく歌った。
「酒が入るともっとよく声が出たのじゃが」
テーブルが秩序なく散らかり、椅子はあちこちに乱れ、即席の舞台では人が入れ替わり立ち替わり、現れては消え、踊り、歌い、走り回り、はてもなく続いた。天井からはぼんやりした赤い照明が投げかけられていた。夜を無視した饗宴はいつ果てることもなく続いた。ロビーはひっそりと静まり返っていた。
僕は床に入って目を閉じても、様々な場面が目の前を横切った。
耳元でこんな会話が始まっていた。北山と岡本と小林だった。
北山「人の考えはまあ、梯子段みたいに積み重なっているのだ。どこからか人と人とでは別れることがあって、そこがどこかということを知る必要がある。」
岡本「ふ〜ん」
岡本と小林は北村の話にしきりに感心していて、話をするのは北山だけだった。岡本は北山を尊敬していた。
岡本「だから俺北山が好きなんだ」
それは長い会話だった。今でも覚えているのはこんな会話だ。
「人間には不思議な所がある。例えば、肉が腐ると臭いを出すが、それを調べる機械がある。ところが人間の舌は機械よりいち早く臭いを嗅ぎつける。」
「高校生なのにまだ子供っぽいのがいる」(2026年注:多分私のことだ)
それには小林が、
「僕は今まで程度の低いのとばかり友達になっていた。やっぱりそれじゃいかんのかな」
と言った。
北山「勉強せにゃいかん。僕たちはまだまだだ」
北山「尊敬する人が、いつかは頼りないものに見えてくる。そういう時、軽蔑してしまうこともあるんだが、そういうこともあるんだよ」
「そうだな、そうなんだろうな」
会話はいつか眠りに取って代わっていた。目の前をぼんぼりが淡く光っていた。
翌日の午前は池巡りに費やされた。ここでも山道を歩かされただけだった。池はすごく綺麗だった。地下水が沸き立っている所もあった。ただし、人が多すぎて肝心の景色を粉々にしていた。ちょうど中学生の団体とぶつかったのだ。あちこちで弁当の包み紙が舞い飛んでいた。
15時30分にバスでホテルを出発した。17時20分に善光寺に到着。夕食をお寺で取り、20時30分まで2時間、善光寺のお店で土産を買った。長い道中の疲れが一気に出た。時間を持て余し、店を覗いて暇を潰した。何を買うかなかなか決心がつかなかった。20時40分、長野駅に到着。バスのガイドさんと熱烈な別れをした。安倍が彼女の手にキスをした。その後、蚊に食われながら1時間待った。22時13分車中の人となり、長野駅を出発した。翌7月26日日曜16時19分、僕たちの町の駅に到着した。
(終)
前書きで私は、名前は仮名だ、と書いた。あれは嘘だ。全て実名である。まあ、いい気味、と言うしかない。




