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敵に名前を与えた、その日

作者: たくわん。
掲載日:2026/04/10

その日、俺は「敵」に名前を与えてしまった。

 それが、どれほど残酷なことか——気づいたのは、ずっとあとだった。


         ◆


 砲撃が止んだのは、いつのことだったか。


 俺——帝国陸軍第三師団歩兵第十二連隊・渡辺誠一等兵——は、崩れた土砂の中に腰まで埋まったまま、ゆっくりと意識を取り戻した。頭の上で何かが轟音を立てて過ぎ去り、土煙と火薬の臭いが鼻を焼いた。右の耳が聞こえない。左腕に鈍い痛みが走っている。指は動く。骨は折れていないだろう。


 そこまで確認して、ようやく前方に目を向けた。


 距離にして三メートルほど。塹壕の縁が崩れてできた窪みの向こう側に、そいつは立っていた。


 背が低い。俺より頭一つ分は小さい。軍服は東方連合のものだ——くすんだ土色の上着に、赤い肩章。泥と血と煤で原形をとどめていないが、その配色だけははっきりとわかった。ライフルを両手で構えて、銃口をまっすぐ俺の額に向けている。


 顔を見た。


 十六か、十七か。まだ子供だ。


 頬に泥が張りついていて、目が真っ赤に充血していて、荒れた唇が小刻みに震えていた。銃を握る手が白くなるほど力んでいるのに、どうしても引けないでいる。引きたくないんじゃない。引けないんだ。そういう顔だった。


 俺は動かなかった。


 動けなかったんじゃない。動かなかった。


 埋まった足を引き抜こうと思えばできた。腰のホルスターに手を伸ばすこともできた。だが、しなかった。なぜかは自分でもよくわからない。ただ、そいつの目を見ていたら、できなかった。


「……お前、名前は」


 気づいたら口が動いていた。我ながら間抜けだと思った。死ぬかもしれない状況で、聞くことがそれか。


 少年は目を見開いた。銃口が数センチ、揺れた。


「……ミハイル」


 答えやがった。


 俺は思わず笑いそうになって、それを堪えた。


「渡辺だ。ワタナベ」


 少年——ミハイルは、眉間に深い皺を寄せた。発音が難しかったのか、それとも状況の意味が理解できなかったのか。どちらにせよ、その三秒ほどの沈黙の間、少なくともミハイルは引き金を引かなかった。


 それで十分だった。


 ——ただ、俺はその瞬間に気づいていなかった。

 名前を知るということが、どういうことか。

 名前を与えた相手に、人間は一瞬、躊躇う。

 そしてその一瞬が——戦場では、呪いだ。


         ◆


 戦争が始まったのは、三年前の春だった。


 帝国と東方連合は、百年以上にわたって国境を接してきた。小競り合いは常にあったが、全面戦争にまで発展したのは初めてのことだった。きっかけは国境の港町の帰属問題だと政府は言った。資源の問題だと軍は言った。民族の誇りの問題だと新聞は書いた。


 俺には、どれも本当のことのように思えなかった。どれも嘘のようにも思えた。


 ただ、召集令状が来た。


 妻の千鶴は何も言わなかった。ただ、出発の朝、まだ七ヶ月の娘——澄を抱いたまま、門のところで俺が見えなくなるまで立っていた。振り返るたびに、千鶴の白い顔が小さくなっていった。


 俺は二十四歳だった。


 農家の三男で、学はなくて、田んぼの土の臭いしか知らなかった。軍に入って初めて、帝都というものを見た。帝都から船に乗って、初めて外国というものを見た。砲声というものを聞いた。人が死ぬというものを見た。


 人が人を撃ち殺すということを、した。


 できた。


 なぜできたか。


 簡単だ。相手に名前がなかったから。


 「敵兵」と呼べば、それはもう人間じゃない。的だ。障害物だ。排除すべき何かだ。顔が見えても、声が聞こえても、「敵兵」という言葉が盾になってくれる。その盾の向こうに引き金がある。


 三年間、俺はそうして生き延びてきた。


         ◆


 ミハイルは銃を下ろさなかった。


 俺も這い出そうとしなかった。


 穴の底で、互いを見ながら、時間だけが過ぎていった。


 砲声は断続的に続いていた。近い。戦線はまだこの近辺で動いているらしい。ということは、どちらの側も、今すぐここに増援を送れる状況ではないということだ。ミハイルもそれを計算しているのか、穴から出ようとはしない。


 太陽が少しずつ傾き始めた頃、ミハイルがゆっくりとその場に腰を下ろした。銃口はまだこちらを向いていたが、腕の角度が変わった。疲れているのだ。


 俺も、もう一度腰を落ち着けた。


 しばらく黙って向かい合っていると、ミハイルの腹が鳴った。


 小さな音だったが、穴の底の静寂の中ではっきりと聞こえた。ミハイルの顔が、みるみる赤くなった。戦場で銃を突きつけながら腹の虫を鳴らした少年の顔というのは、どんな英雄譚にも描かれない表情だったと思う。


 俺は軍服の胸ポケットに手を入れた。ゆっくりと。素早く動いたら撃たれる可能性がある。ミハイルの目がその動きを追う。


 出てきたのは、握り飯だった。


 今朝の配給の分だ。梅干し入りの、もう冷たくなった、少し潰れた握り飯。


 俺はそれをミハイルの方へ、転がした。


 ミハイルは目を丸くして、それを見た。俺を見た。また握り飯を見た。


 銃口が、大きく揺れた。


「毒は入ってない」


 俺は言った。


 通じるはずがなかった。でも言った。


 ミハイルはポケットをまさぐって、黒パンを取り出した。半分かじった、硬そうな黒パン。それを俺に向かって転がした。


「……俺もだ」


 ミハイルが言った。


 言葉はわからなかった。でも、わかった。


 俺は黒パンを拾って、かじった。酸味があった。麦の臭いがした。硬かったが、味はあった。


 ミハイルも握り飯を手に取った。海苔の巻き方がよほど珍しかったのか、しばらく裏表から眺めてから、おそるおそる口に運んだ。梅干しのところで、眉が八の字になった。


 俺はその顔を見て、また笑いそうになった。今度は、笑った。声は出さなかったが、笑った。ミハイルも、困ったような顔で、少し笑った。


 そのとき、俺の頭の中で何かが音を立てて壊れた。


 ——ああ、こいつは敵じゃない、と思ってしまった。


 まずい、と直後に思った。


 本当にまずい。


 三年間かけて積み上げた壁が、たった一つの笑顔で崩れた。相手の顔を見るな、名前を聞くな、笑うな、飯を分けるな。それが生き延びるための鉄則だった。俺はその全部を、この数時間でやってしまった。


 もうこいつを「敵兵」とは呼べない。


 ミハイルだ。


 それが、どれほど面倒なことか。


         ◆


 日が傾いてきた頃、ミハイルが口を開いた。


 俺にはわからない言葉で、何か長いことを言った。抑揚があって、文章の終わりに向かって声が少し上がった。質問しているのだと思った。


 俺は首を振った。


 ミハイルはもう一度、今度はゆっくりと言った。一語一語、区切るように。それでもわからなかった。


 ミハイルは少し考えてから、懐に手を入れた。折りたたんだ紙を取り出した。


 広げると、写真が一枚入っていた。


 白黒の、少し端が焼けた写真だった。背景に畑が広がっている。向日葵のような背の高い花が咲き乱れていて、その前で三人が並んで笑っていた。若い女性と、小さな男の子が二人。女性は丸顔で目が大きく、子供たちは女性に似ていた。


 ミハイルは写真の女性を指さして、また何かを言った。


 俺にはわからなかった。でも、そういうことだと思った。


 俺にも写真がある。


 胸ポケット、握り飯を出したのとは反対の側。そこにある小さな封筒の中に、一枚だけ入れてある。


 出発の前日、千鶴が「持って行って」と言って渡してくれたものだ。縁が少し曲がっていて、千鶴が何度も見返したのだろうと思う跡がついていた。


 俺はそれを出して、ミハイルに見せた。


 千鶴と澄が写っている。縁側で、千鶴が澄を膝に乗せて笑っている。澄はまだ七ヶ月で、顔がよくわからないくらい小さかったが、笑っているのはわかる。そういう形に顔が崩れていた。


 ミハイルは長い間、その写真を見ていた。俺を見た。写真を見た。また俺を見た。


 そして何か言った。


 俺にはわからなかった。でも、そういう顔だった。「可愛い」という顔だった。


 俺はそのとき、奇妙なことを思った。


 こいつの弟たちが、もし帝国の軍服を着て、どこかの塹壕で俺に向かってくることがあったとしたら——俺は撃てるか。


 撃てる、と思った。


 撃てるように、訓練されている。それが軍というものだ。


 でも、一瞬だけ——ほんの一瞬だけ、手が止まるかもしれないと思った。


 ミハイルの弟という情報が、頭の中にある。それだけで、一瞬止まる。


 一瞬が、戦場では死を意味する。


 名前を知るとは、そういうことだった。


         ◆


 夜になった。


 砲声がいくらか遠のいた。空に星が出た。帝国の星と同じ星だ。どこにいても星は同じだと知識では知っていたが、こんな場所でそれを実感するとは思っていなかった。


 俺たちは穴の両端に背を預け、銃を膝に置いたまま眠った。


 交代で番をするわけでもなく、ただ、眠った。


 馬鹿げている。わかっている。でも、そうした。


 朝になったら撃ち合うかもしれない相手の隣で眠るのは、理屈では説明できない。ただ、俺はミハイルが夜中に俺を撃つとは思わなかった。根拠はない。なんとなく、そう思った。


 ミハイルも、たぶん同じことを思ったのだと思う。


         ◆


 夜中に、ミハイルが泣いた。


 俺は眠っていたが、気配で目が覚めた。暗くてよく見えなかったが、ミハイルが膝を抱えて丸くなっているのはわかった。小さな、詰まったような声で泣いていた。声を殺そうとしているのに、殺しきれていなかった。


 俺は何も言わなかった。何も聞かなかった。


 ただ、目を閉じた。


 聞かなかったことにした。


 それが、俺にできる唯一のことだと思った。


 ——でも、また一つ、知ってしまった。


 こいつは夜に泣く。


 こいつは怖いんだ。俺と同じように。


 どんどん増えていく。ミハイルについての「情報」が。知れば知るほど、ミハイルは「敵兵」から遠ざかっていく。


 それがたまらなく怖かった。


         ◆


 夜明け前、砲声が近づいてきた。


 明らかに昨日より近い。戦線が動いている。


 二人同時に目が覚めた。顔を見合わせた。


 ミハイルが立ち上がった。塹壕の縁を見た。それから俺を見た。


 俺も立ち上がった。


 どちらも銃を構えなかった。


 ミハイルが北側の縁に手をかけた。自軍の方向だろう。俺は南側に向いた。


 縁をまたごうとしたとき、ミハイルが振り返った。


「ワタナベ」


 俺の名前を、呼んだ。


 発音が少し違ったが、俺の名前だった。


「ミハイル」


 俺もそいつの名前を、呼んだ。


 それだけだった。


 それで、十分だった。


 ミハイルは縁を越えて消えた。俺は反対側へ這い上がった。


 走りながら振り返ったら、もうミハイルの姿はなかった。


 俺はそのとき、一つのことを考えていた。


 次に戦線で向かい合ったら——俺はミハイルを撃てるか。


 答えは出なかった。


 出したくなかった、という方が正確かもしれない。


         ◆


 三日後、俺の部隊はその戦線を突破した。


 激戦だった。俺の小隊は十二人から始まって、最後には七人になっていた。松田軍曹は腹に弾を受けて二日目に死んだ。小林は最初の突撃で戻らなかった。田村は腕を吹き飛ばされたが生きていた。泣き虫だった河本が、誰よりも冷静に戦っていた。人間というのは何が出るかわからない。


 俺は生き延びた。


 左腕の傷は化膿しかけたが、衛生兵の渡した薬で何とかなった。右耳はまだ少し聞こえが悪い。それだけだ。


 戦線を突破した翌朝、部隊は敵の陣地跡を進んだ。瓦礫と残骸と、動かないものが散らばっていた。俺は前を向いて歩いた。横を見ないようにして歩いた。それが戦場の歩き方だと、三年間で覚えた。


 ただ、足が止まった。


 なぜ止まったのか、自分でもわからない。本能のようなものだったかもしれない。


 向こうの壁の根本に、うつ伏せに倒れているものがあった。


 東方連合の軍服だった。土色の上着に、赤い肩章。


 近づかなければよかった。


 近づいた。


 ポケットから、半分に折れた写真がはみ出していた。


 白黒の写真。向日葵のような背の高い花が咲いていて、若い女性と小さな男の子が二人、笑っていた。


 俺はしゃがんで、その写真をそっと押し込んだ。


 立てなかった。


 足に力が入らなかった。


 しばらく、そこに座り込んだ。空が白くなっていた。砲声が、遠くで鳴り続けていた。前方から、小隊の誰かが「渡辺、早くしろ」と呼ぶ声が聞こえた。


 わかってる。


 すぐ行く。


 ちょっと待ってくれ。


 俺はミハイルの肩に、一度だけ手を置いた。


 何も言えなかった。名前しか知らないから。でも、名前だけは知っていた。


「ミハイル」


 言った。それだけ言った。


 それから立ち上がって、前を向いて、歩いた。


 歩きながら、さっきの問いへの答えが出た。


 次に戦線で向かい合ったら、俺はミハイルを撃てたか。


 ——撃てた、と思う。


 戦場では、撃たなければ死ぬ。それだけのことだ。


 でも、一瞬だけ、手が止まったと思う。


 ミハイルも、一瞬止まったと思う。


 その一瞬の間に、どちらかが死んだと思う。


 名前を知るということは、そういうことだ。


         ◆


 帰国したのは、それから一年後だった。


 戦争は帝国の勝利で終わった。港町の帰属は帝国に認められた。資源の採掘権も得た。民族の誇りも守られた、と新聞は書いた。


 俺には、わからなかった。


 千鶴は玄関先で俺を見て、泣いた。澄は俺の顔を見て怖がって泣いた。四歳になっていた。俺を知らなかった。当然だ。七ヶ月の頃に別れた父親の顔など、覚えていない。


 しばらくして、澄は慣れた。抱っこをせがむようになった。「とうさん」と呼ぶようになった。


 俺はその度に、少し泣きそうになった。


 それを、千鶴には言わなかった。


 言えなかった理由は、自分でもよくわからない。ただ、あの写真の子供たちのことを思った。ミハイルの弟だろうと思っていた、あの二人のことを。あの子たちには父親がいるだろうか。いたとしたら、ちゃんと帰ってきたのだろうか。


 考えても意味がない。わかっている。


 でも、考えてしまう。


         ◆


 戦争が終わって二年後の春、俺は故郷の田んぼに戻った。


 土を耕しながら、ふとミハイルのことを思った。


 あいつの実家も、農家だったのだろうか。写真の背景の、あの向日葵畑。大麦か向日葵か何かを育てていたのかもしれない。


 ミハイルの母親は、まだあの畑を耕しているだろうか。


 小さな弟だろうと思っていた子たちは、大きくなっているだろうか。


 ミハイルが帰ってこないことを、もう知っているのだろうか。


 田んぼの畦道に腰を下ろして、空を見上げた。青い空だった。帝国の空だ。向こうにも、同じ色の空があるはずだ。


 答えは出ない。出るはずがない。


 でも、考える。今でも考える。


 あの夜、俺たちは一晩同じ穴の底にいた。同じ飯を分けた。同じ星を見た。同じ夜を過ごした。


 それだけのことだ。


 でも、それ以上のことは何もなかった。


 それだけのことが、俺の中でずっと消えない。


         ◆


 澄が八歳になった夏、縁側で膝に乗せながら、星を見ていた。


「とうさん、むかし戦争に行ったんだよね」


 澄が言った。


「そうだ」


「怖かった?」


「怖かった」


「お友達できた?」


 俺は少し考えた。


「一人だけ」


「どんな人?」


「……まだ子供だった。おまえより少し大きいくらいの。名前しか知らなかった」


「名前なんて言うの?」


「ミハイル」


 澄は「ミハイル」と繰り返した。うまく発音できなくて、「ミハイウ」みたいになった。


「今もお友達?」


 俺は空を見た。


「もう会えない」


「なんで」


「遠いところに行ったから」


 澄はしばらく考えてから、「そっか」と言った。


 それ以上は聞かなかった。子供というのは、時々、大人が驚くほど正確に何かを察する。


 俺は澄の頭を撫でた。


 星が出ていた。


 あの夜と、同じ星だった。


 そのとき、ふと思った。


 ミハイルも、どこかで星を見ていたのだろうか。


 いや——ミハイルはもう、どこにもいない。


 でも、あの夜、俺たちは同じ星を見た。それだけは本当だ。それだけは、誰にも消せない。


 戦争が終わっても、勝敗が決まっても、歴史に記録されなくても——あの穴の底で、二人の人間が同じ空を見上げたという事実は、永遠に残る。


 誰も知らなくても。俺一人が覚えていても。


         ◆


 ミハイル。


 お前に家族がいることを、俺は知っていた。

 お前が怖かったことを、俺は知っていた。

 お前が梅干しをはじめて食べて、変な顔をしたことを、俺は知っていた。

 お前が夜中に泣いたことを、俺は知っていた。

 お前が俺の娘の写真を見て、優しい顔をしたことを、俺は知っていた。


 でも俺たちは、それだけしか知らなかった。

 それだけしか、知れなかった。


 お前の好きなものも、夢も、どんな歌を歌うかも、笑うと顔がどう変わるかも、俺は知らない。

 知る時間も、知る言葉も、持てなかった。


 それが、戦争というものだと、今は思う。


 人を「敵」にするのは、簡単だ。

 名前を知らなければいい。顔を見なければいい。

 それだけで、人は人を撃ち殺せる。


 俺はたまたま、お前の名前を知ってしまった。

 お前もたまたま、俺の名前を知ってしまった。


 それだけのことで、あの穴の底では、俺たちは撃ち合わなかった。


 でも——次に会っていたら、俺は撃っていたと思う。


 撃たなければ死ぬ。それだけのことだ。


 お前も、撃っていたと思う。


 それが戦争だ。名前を知っていても、笑い合っていても、同じ星を見ていても——戦場で向かい合えば、引き金を引く。そうしなければ、自分が死ぬ。


 だから俺は、お前が死んでよかったと思うべきなんだろう。

 お前が死んだから、俺は帰れた。千鶴に会えた。澄の「とうさん」になれた。


 でも——そう思えない。


 お前が死んだことを、俺は今でも悲しんでいる。


 お前の弟だろうと思っていた子たちのことを、今でも考えている。


 それが、名前を知ってしまった人間の業だ。


 人を「敵」にするのは簡単だ。

 でも、一度「人間」にしてしまったら——もう戻れない。


 お前の名前だけが、今も俺の中にある。


 それが、俺にできる唯一のことだから。

 お前が生きていたという、唯一の証明だから。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


  「敵に名前を与えた、その日」

                      完

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