第七話
釜山日本人学校。
「覚えていないはずなのに、体が先に覚えていた」出会い。
同じ学校で。
アクアリウムが開いた日から、少し経った頃。
桐谷果歩は、校門の前で、
いつもより少し強い潮の匂いを嗅いでいた。
釜山の朝は、海が近いせいか、
日本にいた頃より音が多い。
靴箱の前で、上履きを探していると、
隣に、見覚えのある横顔があった。
――あ。
理由は分からない。
でも、見た瞬間に分かる「知っている感じ」。
松田耕作は、
自分の名前が書かれた上履きを、
少し乱暴に引っ張り出していて、
その拍子に、果歩の靴とぶつかった。
「あ、ごめん」
声を聞いた瞬間、
果歩の中で、青い光が弾けた。
(……この声)
教室。
先生が、新しく赴任した先生の話をしたあと、
出席を取る。
「きりたに・かほさん」
「はい」
次。
「まつだ・こうさくくん」
「はい」
その「はい」が、
アクアリウムの水槽の前で聞いた
あの声と、ぴたりと重なった。
果歩は、思わず、そちらを見る。
耕作も、
ほんの一瞬だけ、顔を上げる。
目が合って、
どちらともなく、すぐに逸らす。
でも、
その一瞬で、互いに確信していた。
――あのときの、、、。
休み時間。
校舎の廊下は、
日本語と、少しだけ混じる韓国語の音で満ちている。
果歩は、水筒を持ったまま、
中庭の方を見ていた。
耕作が、
一人で、飼育箱の前に立っているのが見えた。
なぜか、
あの日のエイの影が、脳裏をよぎる。
果歩は、
自分でも理由が分からないまま、近づいた。
「エイを見てたよね」
耕作が、振り向く。
一瞬、驚いた顔をして、
それから、ゆっくり笑った。
「うん。あのときと、同じ」
果歩の胸が、少しだけ鳴った。
「あの日、いたよね。
海雲台の……新しいとこ」
「アクアリウム」
耕作が言う。
二人同時に、
同じ言葉を選んだことに、
また、黙る。
でも今度は、
その沈黙が、怖くなかった。
「同じ学校だって、知らなかった」
果歩が言う。
「ぼくも」
「同じ制服なのに」
「ね」
それだけで、
もう十分だった。
名前を知って、
場所を知って、
同じ毎日を歩いていると分かっただけで。
その日から、
二人は「最初から知っていた人」みたいに、
並んで歩くようになる。
でも、
本当は知っている。
最初に出会ったのは、
もっと前。
名前もなく、
学校も知らず、
ただ、青い光の中で、
同じ魚を指さした日。
桐谷果歩と、松田耕作の、
いちばん最初の同時刻は、
そこから始まっていた。




