第四話
店を出たあとも、
果歩はすぐにどこかへ向かう気にはなれなかった。
目的地がない、というより、
目的地を決めなくていい感じが、まだ体に残っていた。
喫茶店の角を曲がり、
人通りの少ない道に出る。
風が、少し強い。
コートの裾が揺れ、
髪が頬にかかる。
それを直さずに、
果歩はそのまま歩いた。
以前なら、
「今、誰かに見られているかもしれない」
そんな考えが、どこかに割り込んできた。
今日は、ない。
視線を気にしない、というより、
視線を預ける相手が、いない。
それが、不思議と心地よかった。
信号待ちの間、
ショーウィンドウのガラスに映る自分を見る。
立ち止まっているのに、
もう「待っている」感じがしない。
ただ、立っているだけだ。
青になり、
果歩は歩き出す。
そのとき、
ふと、胸の奥に引っかかるものがあった。
占い師の声でも、
彼の言葉でもない。
もっと、輪郭のない感覚。
――どこか、
行ったことのない場所に、
行ったことがある気がする。
理由はない。
風の匂いか、
午後から夕方へ変わる光のせいか。
それとも、
「待たない」と決めたことで、
今まで閉じていた記憶の扉が、
少しだけ緩んだからか。
果歩は足を止め、
スマートフォンを取り出す。
地図アプリを開きかけて、
やめる。
今日は、調べない。
思い出すなら、
思い出すままに任せたい。
歩きながら、
果歩は、自分でも意外なことに気づく。
誰にも、連絡したくなっていない。
報告も、相談も、確認も、ない。
この感覚を、
今すぐ共有しなくていい。
むしろ、
共有しない方が、
ちゃんと自分の中に残る気がした。
駅の入り口が見える。
人の流れが、急に濃くなる。
果歩は、そこで少しだけ迷ってから、
駅には入らず、反対方向へ曲がった。
理由は、説明できない。
ただ、
今日はまだ、帰らなくていい気がした。
歩き続ける。
風が、背中を押すでもなく、
引き止めるでもなく、
ただ、同じ速度で並んでくる。
その感覚に、
果歩は、名前をつけない。
名前をつけてしまうと、
また「意味」にしてしまいそうだったから。
意味じゃなくていい。
予告編のまま、
余韻のままで。
果歩は、
ゆっくりと歩き続ける。
――その足取りが、
何年も前の、
青い光の中へつながっていることを、
まだ、知らないまま。




