第三十九話
果歩
「もしもし、母さん。空港に向かってる?」
母
「今ちょうど、空港行きのバスに乗るところよ。」
果歩
「私も今から向かうから、少し遅れても来るって伝えておいて。」
母
「慌てないで。気をつけて来なさいよ。」
果歩
「はいはい。」
空港に着くと、旅行会社の担当者の声が響いた。
「大韓航空 KE2131便、成田行きの搭乗手続きのお客様、
赤いカウンターにお並びください。」
果歩
「なんとか間に合った……。母さん、ここにいるから先に入って。ラウンジで休んでて。」
母
「はいはい。」
ラウンジにて
果歩
「海雲台アクアリウムね、昔行った時よりずいぶん変わってたよ。
シャークボートっていう乗り物があって、水面からサメやエイが見えるの。
10分くらいだけど、思ったより迫力あった。」
母
「迫力もいいけど……耕作くんにはちゃんとお礼したの?」
果歩
「うん。行く前に新世界百貨店に寄って、ハンカチ買って渡した。
それと、連絡先も交換したから……日本に帰っても、多分会えると思う。」
母は小さく頷き、
「そう。それならいいわね。」
とだけ言った。
その声には、娘の成長をそっと見守るような柔らかさがあった。
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出発の時間
16時20分発、大韓航空 KE2131便。
三人はゲートへ向かい、静かに機内へと乗り込んだ。
釜山の海の青さが、窓の向こうでゆっくり遠ざかっていく。
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成田到着
18時30分。
通関を済ませると、空港のロビーには夜の気配が漂い始めていた。
時計は19時30分を指している。
果歩
「母さん、まだ早いから私は東京に帰るね。
父さん、ありがとう。またゆっくり帰るから。」
母
「気をつけてね。」
父
「うん、またな。」
その声は、旅の間ずっと変わらなかった優しさのままだった。
二人と別れた果歩は、
空港の外に出て、東京駅行きのバス乗り場へ向かう。
夜の空気は澄んでいて、
釜山の海風とは違う、乾いた冬の匂いがした。
バスはすぐに来た。
暖かい車内に座ると、
窓の外の光がゆっくり流れていく。
高速道路に入ると、
遠くに東京の街の灯りが滲むように見えた。
旅の余韻と、帰ってきた安心感が混ざり合って、
胸の奥が少しだけ温かくなる。
東京駅に着いたのは20時過ぎ。
果歩はスマホを開き、 耕作に今、東京に帰ったと連絡した。
旅の続きがまだどこかに残っているようで、
少しだけ心が弾んだ。
人の多さに一瞬圧倒されながらも、
果歩は山手線のホームへ向かう。
電車の窓に映る自分の顔は、
旅に出る前より少しだけ柔らかく見えた。
電車に揺られる。
街の灯りが近づくにつれて、
“帰ってきた”という実感がゆっくりと胸に落ちていく。
駅に降り立つと、
釜山の夜とは違う、
静かで乾いた冬の匂いがした。
果歩
「ただいま……」
誰に聞かせるでもなく、
小さく呟く。




