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風の時代  作者: velvetcondor guild


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第三十八話

海雲台アクアリウム ― 当日朝


耕作は、前夜のうちに入場券だけを確保していた。

スマホの画面を閉じたとき、胸の奥に小さな緊張が残ったままだった。


サメ透明グラスボート――

事前予約はできない。

だから、やることはひとつ。

朝一番に並ぶ。


開館前


まだシャッターが下りたままの正面入り口。

潮の匂いが、朝の冷たい空気に混じっている。


すでに、数人が並んでいた。

子ども連れの家族。

カメラを抱えた外国人。

そして、明らかに“それ狙い”の人たち。


耕作は列の前方に立つ。

胸の奥で、昔の記憶がふっと揺れた。


――昔は、こんなのなかった。

ただ「見る」場所だった。

でも今は、「体験する」場所に変わった。


時間になると、スタッフが並ぶ人たちに声をかける。


「開館後、体験プログラムは館内で当日受付になります」


耕作は小さく息を整えた。

開館 → 受付へ直行。

迷わない。

それだけを考える。


扉が開く。

人の流れが一気に動く。

走るほどじゃない。

でも、誰もが目的地を知っている速度。


耕作はそのまま、シャークボート当日受付へ向かう。

すでに二組。


「……間に合った」


スタッフが整理券を確認し、にこやかに言う。


「初回便は、30分後になります」


想像していたより、ずっとスムーズだった。

胸の奥の緊張が、少しだけほどける。


正面入り口へ戻る


整理券をポケットに入れ、

耕作は正面入り口へ戻る。


待ち合わせ時間。


人の流れを眺めていると――。


果歩。


目が合った瞬間、

彼女の表情が、ふっと和らぐ。

耕作も、無意識に肩の力が抜けた。


「おはよう」

「おはよう」


耕作はチケットを差し出す。


「これ、入場券」


「ありがとう」


自然に、隣に並ぶ。

その距離が、近すぎず、遠すぎず。

“今日の二人”の距離。


館内で


水の反響音。

低い照明。

朝のアクアリウムは、まだ人が少なくて、

水槽の青が広く感じられる。


果歩が聞く。


「どこに行くの?」


耕作は歩きながら答える。


「昔は、なかったもの」


「?」


「今は、体験型が増えててさ」

一拍置いて。

「まず、それ」


受付方向を指す。


受付前


すでに二組。


果歩が少し驚く。


「もう並んでるんだ」


耕作

「朝一番じゃないと、取れない」


スタッフが微笑む。


「次の便、10分後です」


果歩が、小さく息を吐く。


「よかった」


待機スペースの説明看板を、果歩はじっと見る。


水槽の上の細い通路。

足元のガラス越しに、青い深さ。


――ゴォ……。


低い水音。

大きな影が、下を通る。


「……もういる」


果歩の声が、自然と小さくなる。


「いる」


耕作も、同じトーンで返す。


乗船・体験


透明な床、海の上に浮く感覚、真下を通るサメ、

声を潜める空気、ガイドの説明、

10分の濃密さ。

海底トンネルとは別物の迫力


体験後


果歩が言う。


「昔見たエイの水槽も凄かったけど……

今は、ほんとに“体験型”なんだね」


「そう」


少し間を置いて。


「……忘れないうちに」


果歩は包を差し出す。


「長い間、ありがとうございました」


「なに、これ」


「帰ってから開けて」


耕作

「Slack使ってる?」


果歩

「使ってるよ」


耕作

「じゃあこれ、SlackのQR」


スマホの画面を差し出す。

果歩が覗き込む距離。

一瞬、呼吸が近づく。


「へえー、スキャンすればいい?」


「一度メッセージをくれれば、二人グループで。

ところで、時間大丈夫?」


「うん、そろそろいくね、ありがとう」


果歩はアクアリウムを後にする。

耕作は、その背中を静かに見送った。


扉が開いた瞬間、

館内の湿った青がふっと途切れて、

外の光が一気に視界へ流れ込んでくる。


海は、

水槽の中で見ていた青よりもずっと広くて、

風に揺れる面が細かくきらめいている。

さっきまで“閉じた青”の世界にいたせいで、

その広さが胸の奥にまっすぐ届く。


空は、

海の上に薄く重なるように広がっていて、

境目がゆっくり溶け合っている。

雲がひとつ流れるだけで、

海の色まで少し変わって見える。


風が頬に触れた瞬間、

水族館の静けさがまだ身体に残っていて、

外の世界の明るさが

少しだけ眩しい。


波の音が遠くから寄せてきて、

そのリズムが、

「ここから先は外の時間だよ」

と優しく切り替えてくれる。



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