第三話
ここで起こった事は、まさに「風」のような物語だった。
果歩の心には、彼に対する質問や、
共有したい感想が、いくつも浮かんでは消えていった。
自分との対話
窓際の席で、果歩はひとりで座っている。
以前のように、誰かに「選ばれる」ために
時間を差し出している感覚は、もうなかった。
彼のいない空間で、
果歩は、彼から託された「言葉」と向き合い、
同時に、自分自身と向き合っている。
風景の解像度
彼が現れないことで、
果歩の視線は、より外の世界へ、
そして、より深く自分の内面へと向かっていく。
店内の音。
カップが触れ合う小さな響き。
窓の外を通り過ぎる人々。
午後から夕方へと移ろう光。
それらすべてを、
彼女は、誰のためでもなく、
自分の意志で味わっていた。
予期せぬ「手放し」
ある日、店主が果歩に声をかけた。
「あのおばさんが、
これを渡してくれと預けていきましてね」
「昨日、こちらに寄られました。
しばらく遠くへ行くことになったから、と」
店主が差し出したのは、
小さな封筒だった。
中には、短いメッセージと、
見覚えのある古い地名の、
地図のコピーが入っている。
――この場所を歩くと、いい風が吹きます。
あなたが、その場所を見つけたときに。
手紙に、再会の約束はなかった。
おばさんがどこへ行ったのか、
いつ戻るのかも、書かれていない。
物語の終わり
――自分が立つ場所を、自分で選ぶ
以前の果歩なら、
この「曖昧さ」に、
絶望していたかもしれない。
けれど今は、
この「不確かさ」が、
ひどく自由なものに感じられた。
彼は、彼女を縛らず、
同時に、自分も縛られない道を選んだ。
果歩もまた、
彼を待つ必要はない。
彼女がすべきことは、
彼を追いかけることでも、
彼を待ち続けることでもない。
おばさんが教えてくれた
「いい風が吹く場所」へ、
自分の足で向かうかどうかを、
決めることだけだった。
桐谷果歩は席を立ち、
会計を済ませ、店を出る。
理由を伝える相手がいないことを、
もう、理解していた。
外は、いつもと同じ夕方。
空の色も、変わらない。
歩き出しながら、
果歩は、初めて思う。
待っていた時間は、
共有されたものではなく、
自分がひとりで置いてきた時間だったのだと。
その事実は、
痛みよりも、
奇妙な軽さをもたらした。
待たなかった場所は、
もう、必要ない。
果歩は、ゆっくりと歩き出す。
腕時計は見ない。
自分の時間を
誰かに差し出すのではなく、
自分の時間を、どう使うか。
それを、
今、この瞬間に、
自分で決めたからだった。




