第十四話
新羅ステイ済州空港からの出発
ホテルの自動ドアが開くと、
済州の風が一気に吹き込んだ。
朝の海の匂いが、
まだ目覚めきっていない頭を、軽く叩く。
松田耕作は、スーツケースを引いた。
舗道のわずかな段差で、
車輪が小さく跳ねる。
母は、一歩後ろを歩いている。
並ばないのが、この朝の距離だった。
タクシーの後部座席は、静かすぎた。
運転手の韓国語が、
ラジオの音と混じって流れている。
意味は追える。
けれど、会話に入る気は起きない。
信号待ちの間、
海が見えた。
朝日が水面を細かく割っていて、
昨日までの「旅行者の視線」が、
まだ、ほんの少し残っている。
学校に近づくにつれて、
風が変わる。
潮の匂いが薄れ、
乾いた土と草の匂いが混じる。
校門の前で、タクシーが止まった。
「ここよ」
母の声は、短く、揺れなかった。
支払いを済ませる間、
耕作はスーツケースの取っ手を握ったまま待つ。
寮の建物は、思ったより白くて高い。
窓が多く、
どれも、まだ閉じている。
玄関前には、
同じようなスーツケースが並び、
英語、韓国語、中国語が、
互いにぶつからない距離で漂っていた。
母が、スーツケースを一度、持ち上げる。
「忘れ物は?」
耕作は、首を振る。
言葉にすると、
何かが零れそうだった。
スタッフが英語で名前を呼ぶ。
“Matsuda, Kosaku.”
その音が、
彼の背中を、軽く押した。
母は、そこで止まった。
線を引くみたいに。
耕作は振り返らず、
スーツケースを引いて、
玄関の中へ入る。
背後で、
風が一度、強く鳴った。
ドアが閉まる。
外と中が分かれる音。
ホテルから始まった朝は、
ここで、
別の時間に切り替わった。




