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第十三話
桐谷家が釜山を離れる日。
引っ越しの荷物は、
もうほとんど運び出されていて、
部屋の中は、声が響くくらい空いていた。
松田母は、
玄関に立ったまま、
何を言えばいいか分からずにいる。
これまでの会話は、
全部「途中」で終わっていた。
大丈夫とも言われなかったし、
頑張れとも言われなかった。
だから、
最後も、
そうなると思っていた。
桐谷母は、
靴を履き終えてから、立ち上がる。
ドアを開ける前に、
一度だけ、振り返る。
松田母の顔を見る。
ここではじめて、
言葉を選ばない。
「もう、困らないわよ」
理由は、言わない。
何がどう、とは言わない。
それでも、
松田母には分かった。
「教わったから」でも、
「慣れたから」でもない。
もう、
自分で決められる、という意味だと。
桐谷母は、
それ以上、何も付け足さない。
言い切ったから、
もう十分だった。
ドアが閉まる。
鍵の音。
桐谷家は、
釜山を離れた。
松田母は、
しばらくその場に立っていた。
胸の奥に、
初めて、静かな重さが残る。
それは不安ではなかった。
「大丈夫」と
言われる前に、
自分で立てるようになった証だった。




