第十話
母の中にある海雲台の記憶は、
ほとんどが、果歩の通っていた釜山日本人学校の記憶と結びついている。
不慣れな土地での生活だった。
言葉も違い、勝手も分からず、最初は戸惑うことばかりだったはずだ。
けれど、保護者同士の支え合いがあった。
同じ学校に子どもを通わせる親たちとの交流が、日々の生活を支えてくれた。
そういえば――
松田さんの家族とは、もうずいぶん長いこと直接連絡を取っていない。
それでも、年賀状だけは毎年、欠かさず送り合っている。
不慣れな土地で、ご苦労なさったのではないか。
そんなふうに思うこともある。
ただ、自分たちが暮らしていた頃より、
松田さん一家が来られた時代のほうが、
買い物などは、ずいぶん楽になっていたはずだ。
とりあえず、eマートへ行けば、
日本のものも、だいたい何でも手に入る。
そんな時代になっていた。
学校行事の記憶も、いくつも残っている。
子どもたちの付き添いで参加した、海雲台の海岸清掃。
人魚台まで歩いた遠足。
地域の学校との交流行事。
運動会や、音楽会。
果歩のおかげで、
異国にいながら、日本人との交流は多かった。
果歩もまた、クラスの子どもたちと仲良く学び、
その中で、自然に日々を過ごしていたのだと思う。
振り返れば、
八年間の釜山での生活は、
母にとっても、確かに楽しかった思い出として残っている。




