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前編


 北方民族は暑さに弱い。


 そもそも建物は高気密断熱で熱を逃さない。灯油ストーブと電気ストーブは各家庭の常備品だが、クーラーの普及率は半分以下。公共交通機関もヒーター完備だが、冷房はない。

 そんな環境に身を置いているから、この地に暮らす者もまた、暑さには慣れてすらいない。

 

 よって。


「んっ――んはぁぁ…………」


 冷蔵庫でパンツを冷やしてやった。

 なんか涼しくて冷たくてオススメだとネットで見た。そりゃ冷やしてんだから涼しいし冷たいべさ、と半信半疑ではあったが。


 これは──いいな──


 風呂上がりの火照った身体、その大切なモノを優しく包み込む冷感。尻は面積が広いぶん、冷たさを一際強く感じる。

 普段着のまま雪に突っ込む感覚とも違う。頭の先まで冷えそうな感じがするのは、鼠蹊部の太い血管ごと血液を冷やしたからだろうか。


「めっ……ちゃいいじゃぁん……」


 自分以外誰もいない1LDK、クーラーのない部屋。開け放った窓から遠くの救急車の音が聞こえる21時。

 下半身を雪女の羽衣に包まれながらスマホを片手に横になり、あまりの快適さにそのまま、その夜は寝落ちてしまった。




 数日後。


 雨が降ったり気温が落ち着いたりで、パンツを冷やすまでもない日々が続き、汗だくで帰宅する日もなくなった。

 このあたりは、亜寒帯に属する北方のいいところでもある。

 最寄りのコンビニでビールを買い、いやほんとはスーパー(ラルズ)で買った方が若干安いけどそこまで行くのはダルいんよな、とか思いながら玄関の鍵を開ける。


 部屋は暑い。が、窓を開ければ風が通るし耐えられる。


 さっさと着替えてビールを飲んで、風呂上がりに履く下着類をクローゼットから出そうとした時。


「あの…………」


 唐突に、若い女性の声がした。


 不審者

 幻聴

 テレビ

 スマホ

 脳内で全ての可能性を考えながら、身体はピシリと硬直する。

 何だ――誰だ、この声なんだ?!

 背筋が凍る。凍りすぎて最高に涼しい。


「あの、私、先日冷やしていただいたパンツですけれども……」


 ああ。幻聴か。


 ここ最近、そこまで厳しい暑さではないと勝手に思っていたが、どうやら脳を損傷するくらい暑かったようだ。

 これは重度の熱中症の疑いがある。救急車を呼ぼう。


 そうでもないと、目の前のボクサーパンツから女性の声がするなんて状況を説明できない。


「幻聴じゃ……ありませんよ……」


「…………えぇ〜……」


 そういや数日前に冷蔵庫にインしたのは、この黒のボクサーパンツだった気がする。速乾で汗のニオイを抑えるとかで去年くらいに買ったやつだ。

 喋る機能付きだったかは覚えてない。


「いや、あるかそんなの」


 独り暮らし独身男性のノリツッコミほどイタいものはない。

 馬鹿らしくなってパンツを乱暴に手に取り、浴室へ向かう。


「あのっ、今日は冷やさないんですか?」

「冷やさないよ」

「どうしてですかっ?!」

「そんな暑くねぇし……冷やして欲しいの逆に?」

「はい!!」


 会話成立しちゃったあ……


 自分の才能に戦慄した。

 ついにパンツと会話できるようになってしまった。この体験をnoteとかに書いて収益化しよう。取らぬ狸のなんとやら。

 今まで履いていたパンツをズボンごと脱ぎ捨てて洗濯機に放り込み、給湯器の温度を少し上げる。


「だって今日、本当は暑かったですよね?」

「んー、サッポロは27℃っつったね」

「灼熱地獄じゃないですか?!」

「暑いの苦手なの君」


 汗で若干張り付き気味のシャツを脱ぎながら、パンツに話しかける。当然だがパンツに口はないし、うんうんと頷いたりもしない。

 ただ布が、そこにあるだけだ。


「私は苦手ですねぇ〜」


 布が言う。


「今から冷蔵庫入れても大して冷えないべさ。とりあえずシャワー浴びてくるから」

「はい……」


 しゅん。パンツがそう、しおれた気がした。




 パンツがしおれるって何だ。

 泡立てたシャンプーで顔まで洗いながら、思う。

 思考は比較的マトモだ。足のふらつきもないし、汗だってかいていた。変なモノも食べてない。そこまで仕事も激務じゃないしストレスも感じていない。

 

 何だ――何だ?


 いわゆるアラサーの年齢。彼女なし。さりとて、紳士物のパンツに言い寄られる妄想をするほど飢えてもいない。

 妄想拗らせるならもっと別のもんがいいよな。せめて……いや特になんも思いつかんけど。


「……っは」


 顔からシャワーを浴びて泡を落とし、水栓(レバー)を捻って湯を止める。今のところ、シャワーヘッドが喋り出す気配はない。

 ビール飲んだから酔っ払っちまったかね、なんて思いながら風呂から出て、


「さっぱりしましたか?」


 ご対面である。

 床に雑に放り投げたパンツがまだ何か言っている。

 ボッタボタと全身から雫を落としながら、その黒い布を黙って見つめた。2枚で1,000円とかの、高くもなく安くもない普通のパンツ。

 

 そこは美少女にでも変身しておいてくれよ、とちょっとだけ思ってしまった自分が情けない。


「……うん、はい」

「良かったですね」


 よくないんだなあこれが。

 幻聴の理由を考えようにも、なにも思いつかない。

 このまま喋るパンツを履きたくない。しかもうら若き女性の声だ――ダンディなイケボでも嫌だが。

 とりあえずバスタオルで髪の水分を吸い、身体を拭く。


「……履かなきゃ駄目かな」

「私をですか? そうですねぇ、それが私の役目ですから、履いていただきたいですね」

「嫌じゃないの?男の、その……まぁナニとは言わないけどさ、ソレが(じか)に当たる訳だけど」

「仕事ですから」


 さも当然のようにパンツが言う。

 確かに仕事っちゃ仕事だ。雇用契約を結んだ覚えはないけども。

 それに声が女性だからといってパンツが女性と決めつけるのも、昨今の多様性の時代、いかがなものか。


「……何考えてんだ俺」


 虚しくなってきた。

 全裸のまま、飲みきれず3分の1を残したビールに手を伸ばす。すこしぬるくなっていて、風呂上がりには物足りない。

 冷蔵庫で冷やしておけば良かった。


 ――冷蔵庫?


 首を巡らせてパンツを見た。太ももの間で、ぺちーん!と音が鳴る。

 ひらめいた!の効果音にしては最悪だ。


「……冷やしちゃるよ」

「えっ?!」


 パンツが嬉しそうな声を上げた。怖いとか気色悪いとかを通り越して、もはや完全に状況を受け入れてしまっている気がする。

 なおさら、だ。そんな現実には一旦、蓋をしてやろう。


 パンツを拾い上げて、無言のまま冷蔵庫に放り込んだ。ばたん、と扉を閉めて、一息つく。

 

 ……ほかのパンツは喋り出したりしないよな?






 結局ビビり散らかしてノーパンで寝たから腹を冷やした。最悪である。


 恐る恐るクローゼットの別のパンツを履いてみたが、喋る気配はなかった。

 冷蔵庫は開けていない。本当は朝食のグラノーラにいつも通り牛乳を掛けるつもりでいたが、冷蔵庫で冷えているパンツとの対面は避けたかったし、腹も若干痛いのでやめておいた。


 地下鉄に乗り込む直前に、スマホを尻ポケットに入れた。

 万が一、今履いているパンツが言葉を発したとしても――おおっと失礼、Bluetoothの接続が切れちゃってスマホ本体から音が流れちゃったのかな?のイメトレをしておく。


 改札をくぐり、人に揉まれ、会社に着き、ばからしい事務作業とくだらねえ会議をこなし、嫌いな部長と好きでもない雑談に付き合い、19時前にPCの電源を落とす。


 改札をくぐり、運良く座れて、コンビニで新発売の缶チューハイを買って帰宅。

 ぬるい空気が滞留するキッチンに入り、流れ作業で冷蔵庫を開けてチューハイを、


「おかえりなさい!」


「…………出たぁ〜」


 意外と忘れるもんだ。歳はとりたくないね。

 

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