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第16話 世良田二郎三郎、家臣を増やす

 織田軍の包囲により持久戦を強いられていた本願寺であったが、荒木村重の有岡城が落とされ、別所長治の籠る三木城も陥落。第二次木津川口海戦で毛利水軍が織田水軍に敗れると、本願寺の中でも講和を結ぼうという機運が高まっていた。


 そうした情勢を背景に、天正7年(1579年)閏3月7日、石山本願寺と織田信長が講和を結ぶと、長きに渡る織田信長と本願寺との戦いに幕がおろされた。


「お主には世話になったな。危険な中、よくぞ兵糧を運んでくれた」


 本多正信が感謝の言葉を述べると、二郎三郎はなんてことのない様子で笑った。


「いいってことさ。……こっちだって商売でやってるんだ。お互い持ちつ持たれつだろ」


 織田と本願寺の両者で講和が成立した今、石山御坊に対する禁輸措置は解かれている。


 ゆえに、瀬名屋が密輸をせずとも、本願寺は正規の手続きで物資を買えるようになっていた。


 すなわち、石山合戦の終了は本願寺と瀬名屋の蜜月の終わりを意味していた。


「ここまで労を尽くしてくれたお主らには悪いが、こちらにも付き合いというものがある。これまでよりも取引は減ってゆくだろう」


 本多正信が申し訳なさそうに顔を曇らせる。


 その様子からして、本多正信としても本意ではないのだろう。


「……申し訳ないと思うんだったら、一つ頼まれてくれねぇかな」


「……申してみよ」


「信長に対抗するため、本願寺は毛利と武田と同盟を結んでいただろ。だったら、本願寺には毛利と交渉するつてがあるってことだ。……今後、うちは両家と商いをしたい。その仲介を、ぜひ法主様にやってもらいたいのさ」


 二郎三郎の提案に本多正信が考え込む。


 講和を結んだ以上、本願寺としては他の商家とも取引をしていくことになるだろう。しかしそれは、本願寺が最も危機に陥っていた頃に尽くしてくれた瀬名屋に対してはいささか不義理な話でもあった。


 そこで、二郎三郎は『毛利と武田の仲介をしてくれたら不義理はチャラにする』と言っているのだ。


 不利な状況から一転、好機を呼び込む発想。


 改めて、大したものだと思わされる。


「……わかった。法主様にはそのように上奏しよう」


「助かる」


「……それと、これは個人的な話なのだが、お主のところで儂を召し抱えてはもらえぬか」


「なんだって!?」


 本多正信の思いもよらぬ申し出に、二郎三郎が驚愕した。


「本気かよ、あんた。16年も尽くした本願寺を出ようだなんて、ただ事じゃないだろ!」


「構わぬ。17年も仕えたのなら、筋は通したと言えよう」


「…………」


 永禄6年(1563年)、本多正信は三河一向一揆の折、徳川を離れ一向宗についた。それから一度も徳川に帰参することなく一向宗――ひいては本願寺に仕え、一向宗の門徒として幾多の戦を戦い続けてきた。


 しかし、三河一向一揆から17年が経った今、本多正信の中で一向宗に対する義理は果たしたと判断されたのだろう。


「そうじゃな……手土産と言っては何じゃが、これでもそれなりに顔は効く方じゃ。毛利と武田との交渉はそれがしに任せてもらおう」


 自信満々な本多正信を見て、思わず二郎三郎に笑みがこぼれる。


「いいねぇ。あんたほどの男が家臣になってくれるんなら、何も言うことはねぇ。……頼りにしてるぜ」


 こうして、二郎三郎は本多正信を家臣とするのだった。

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