3-2
「この生き物は、この世界の言葉でガウトマイレイというんです。翻訳するとハトですね」
「ハトより、いっそガウトマイレイ? のほうがいいんじゃないのか?」
アリシアは首――ではなく、頭ごとブンブン振った。
「声調と発音が違います。ガウにアクセントを置いて、レイは語尾を上げる発音です。あとトとマイの間は、鼻に掛けてンに近い音を入れて、そもそもガウは濁音じゃなくて……」
放っておくといつまでも説明しそうだったので、啓助は無理矢理止める。
「分かった、俺には無理だと分かったから、ガウトなんとかは諦める。でもハトじゃなくてタヌキにしてくれ」
「えー、ダメですか?」
「だいたい誰が翻訳したんだよ」
「それは難しい問題ですねえ」
アリシアはハト=タヌキの姿でも分かるほど、思案顔になった。
「貴方がこの世界に来た時点で、言語はだいたい置き換わっています。喋るときも置き換わっています。しかし片方の世界にしかないものは、正確に訳せないので、それらしい言葉に無理矢理置き換わっています。そして細かい調整は私がしていますね」
つまり自動翻訳に、アリシアが適宜修正を入れているようだ。
「てことは、いま来たメイドさんとか、みんながこの動物を見て、ハトって言うのか?」
「そうです」
「単語を入れ替えてくれ。タヌキでよろしく」
アリシアのタヌキは衝撃を受けたように、シッポがピンと立った。
「そ……そんなに見かけが大事ですか?」
「見ていると頭の中がバグるからな。この生き物はタヌキ」
アリシアは哀しげに、ため息をついた。
「人は見かけに惑わされる生き物なのですね。本質よりも見かけを重んじる。もちろん知ってはいましたが……」
「無駄に壮大な表現を使うなよ。俺が、とんでもない我が儘を言っているみたいじゃないか。聖女ムーブかますほどのことじゃないだろ」
アリシアは無念そうに、ブツブツ言う。
「だってハトは平和の象徴なんでしょう? 聖女にぴったりだと思ったんです。いい訳語だなーって……」
「そっちだって本質を突いてないぞ。俺が会社近くの公園で昼飯食ってたとき、ハトに襲われたことがある。びっくりしてコンビニ弁当を落としたら、十羽ぐらい集まって食い散らかしやがった。平和もクソもなかったな」
「あ、じゃあタヌキでいいです」
アリシアは一瞬で考えを変えた。
続けて厳かな声で言う。
「以後、ガウトマイレイをタヌキという言葉に置き換えます」
頭の中で、何かがパチンとはじけた。
そして「この生き物はタヌキ」という気持ちが強まる。どうやら聖女の力が発動したらしい。
(魔力を使い果たした的なことを言ってたけど、けっこう凄いことやってないか?)
アリシア=タヌキは、得意げに身体を伸ばした。胸を反らしているつもりらしい。
「世界のほうをいじるのではなく、貴方の認識のほうをいじっています。だからあまり力を使わずに済みました。これも私が貴方の魂をコネコネしたので、できることですね。凄いでしょう。褒めてください!」
「あー、偉かった偉かった」
啓助は雑に褒めたが、アリシアは嬉しそうだった。
(よく考えたら、魔力ほとんどゼロ状態で、これだけのことができるんだから、魔力がフルであったら、どれだけ凄いんだ。……そういや死にかけのタヌキを治したとも言ってたな)
啓助は、改めてタヌキを見た。
褒められて嬉しそうな顔をしている。鈍くさそうな雰囲気はあるが、いたって善良そうなタヌキだ。強大な魔力を持つ聖女が入っているとは思えない。
(そういやこのタヌキ、どうやってここまで潜入してきたんだ? 王宮って、普通警備が凄いはずだよな。聖女の力じゃなかったら、人を油断させるこの顔で、ノコノコ入り込んだのかな……)
ノックの音がした。
「お食事をお持ちしました」
メイドの落ち着いた声である。
タヌキのアリシアが素早くベッドの下に隠れると、ドアが開いた。
さきほどとは別のメイドが、食事を載せた銀色のワゴンを押している。
ワゴンの上には銀色の四角いトレイが載っていた。
「うわ……」
ホテルの朝食を思わせるメニューである。
真っ白な皿に厚切りベーコンが二枚と、ふわふわのオムレツが載っている。横には二種類のポテトが、こんもりと添えられていた。
サラダボウルには、見たことのない野菜が何種類か入っており、彩りがいい。
焼きたての丸いパンには、高級そうなバターも用意されていた。
スープとフルーツジュースも、当然のように置かれている。デザートはヨーグルトだ。
ギルロードが小食なのか量こそ少ないが、盛り付けは完璧である。
啓助がインスタ女子なら、間違いなく写真を撮っていただろう。
メイドはテーブルの上に、手際よく並べた。
続いて給仕もしようとするが、啓助は押しとどめる。
「あとは自分でするからいいよ。ありがとう」
メイドは意外そうに目を見開いた。驚いているようだが、幸い不快そうな顔ではない。
「失礼しました」
メイドは無表情に戻り、丁寧に一礼する。
「ごゆっくりお過ごしくださいませ、ギルロード殿下」
メイドが下がると、アリシアがベッドの下から、ぴょんと出てきた。