8-1 王弟、誘拐される
ギイは明るい物置で本を読んでいた。
正確に言うと『真っ暗な牢屋の中で、自分のアイテムコンテナに潜り込み、保管していた魔法書を開いている』のだ。
「灯りをつける方法は……あった!」
思わず声が弾む。おまじないレベルの魔法書だからこそ、簡単で実用的な詠唱も載っていたのだ。
牢屋で一番堪えるのが、暗闇である。
アイテムコンテナの中は明るいが、時間がほとんど進まない。長居しても現実の時間は止まったままなので、事態を進展させるためには牢屋に戻らねばならないのだ。
だが暗闇だけは、どうしても我慢できなかった。
ギイはアイテムコンテナから出ると、息を整え、短く詠唱する。
《光よ、灯れ》
全身に魔力が駆け巡るような感覚が走る。
ギイは成功を確信した。
だが――。
「……あれ?」
部屋は依然として真っ暗だ。
何度唱えても、変化はない。
「どうなっているんだ……?」
そのとき、牢内に甲高い笑い声が響いた。
「おー、魔法を使った感じがする。ばかだねー」
「誰だ!?」
周囲を見回すが、闇の中に人の気配はない。
「牢屋に魔法対策してないと思ってた? 甘ちゃんだねえ。魔王みたいな悪の王弟を捕まえるのに、対策してないはずないじゃん?」
まるで牢の中で放送しているようだ。
(外からの声だとすると――エリンか?)
この牢がエリンの持ち物なら、今の声も間違いなく彼女だろう。最初に感じた、おとなしそうな雰囲気は微塵もない。
「ていうかさ、王弟って噂より間抜けじゃね? もっとこう悪の帝王っぽいっていうか、睨んだだけで人がバタバタ倒れるとか、そういうの想像してたんだけど、なんか違う感じ? 前に幻獣を雷で丸焦げにしてたけど、見間違いだったのかなあ。本当はあの剣士がやってたとか? てことは、トンチキ王弟に強い従者ってやつだったのかな。うっわ、引くわー、やばすぎだわー」
言いたい放題である。
(幻獣倒したの、どこで見てたんだよ。隠れる場所とかなかっただろ。ったく、間抜けだのバカだの、好き勝手言いやがって!)
ギイも負けずに大声で言い返す。
「誰がトンチキだ! そっちこそ、しおらしい態度で手紙なんか寄こしておいて、何もかも嘘だったんじゃないか。この覗き魔!」
鉄格子を揺すってみても反応はない。こちらの声も音も、外には届かないようだ。
(だったら、もう一度魔法を使って注意を引くか? バカ呼ばわりしてきたのも、俺に強い魔法を使わせないための牽制かもしれないし)
ギイが詠唱しかけたとき、再びエリンの声が響いた。
「よーし、ここらでパーッとスピードアップするか」
葉擦れの音が、ゴウゴウという風切り音に変わる。
「うわ、すげ……」
ギイは思わず呟いた。どうやら森の中を高速で移動しているらしい。
周囲に人もいないのだろう。エリンは機嫌よく歌を歌い始めた。
王弟が~間抜けでよかったわ~
ザコでよかったわ~
あとは言うこときかすだけ~
それで村は救われる~
あ~あ~、ザコでよかったわ~
(ひでえ歌詞なのに、歌が意外と上手くて、よけいむかつく)
ギイは抗議のつもりで床を殴った。もちろんエリンに届くはずもない。
(くっそー。牽制じゃなくて、ガチで失礼なヤツのような気がしてきた。初対面なのに、なんでザコザコ言われなきゃならないんだ!)
怒りながらも、歌詞の一節が引っかかる。
(それで村は救われるってことは、村の危機だけは本当なのかな。俺をどうにかすることで、助かることがあるとか……)
ギイは座り直して腕を組む。
(俺のこと、魔王とか悪の帝王とか言ってたよな。エリンたちは、王弟が村に害を及ぼしてるって認識なのか? でも俺、村どころか王都の外に出るのも、今回の旅が初めてだし……。本物のギルロードだって引きこもりだから、絶対無関係だろ。どういうことだ?)
闇の中、ギイは天を仰いだ。
依然として謎は多いものの、二つのことが分かった。
一つ、エリンとその村は、ギイを悪者だと信じている。
二つ、いままさに、その村へ運ばれている最中である。
(あー、絶対まずいやつだな。村に着いたら、牢から引きずり出されてリンチとか、絶対あるやつだ。せめて言い訳させてくれないかなあ)
ギイは、ため息をつき、床に寝転んで目を閉じた。
(ここでわめいても叫んでも、どうしようもない……か。何かやるとしても、牢から出されたあとだな。まずは相手の出方を見て――いや、何か言われる前に、こっちから被害者アピールをしておくべきか……)
考えているうちに、ギイの意識が遠のいてきた。
――瞼越しに明かりが見える。夢を見ているのだろうか。
(夢でも幻覚でも、暗いより明るいほうがいいよな)
ギイは抵抗することなく、眠り落ちた。
――光の中から、声がした。
こんなところに人がいるはずがないのに、いったい誰だろう。
薄い影が見える。
煙を集めて人型にしたような、曖昧な輪郭――。
話しかけようとした瞬間、影がこちらを向いた。
『まだ寝てていいよ』
どこか面白がるような声だった。
『時間が来たら起こすから。それまでは――』
再び意識が遠のく。
声の主が笑った気がした。
『そのときが来るまで、このことは忘れるように……ね』
一度も会ったことのない相手。
なのに何故――懐かしい気がするのだろう。
「よーいしょっと」
背負い投げをされたような衝撃が走った。
ギイは一気に目を覚ます。眠っている間に、目的地に着いたらしい。
「いってぇ……」
腰をさすっていると、明るい声が追い打ちをかける。
「紹介しま~す。こちら、リーファニア王国の王弟、ギルロード・フィルス・リーファニア殿下で~す! めんどくさかったから、連れてきちゃいました。てへ」
「なんと……」
ざわめきが部屋中に広がる。
痛みをこらえながら、ギイは周囲を見渡した。
床板には染みが目立ち、土壁にはあちこちひびが入っている。集会場というより、使われなくなった納屋を、急ごしらえで片づけたような部屋だった。
ギイの前には十数人の男たちが座っていた。
屈強な身体に、着古した麻の服をまとっている。
剣士として訓練したわけではなさそうだ。農作業や木こりの仕事の中で鍛えたのだろう。村でも腕の立つ者を選りすぐったに違いない。
奥の中央には、白髭の老人が座っていた。
離れていても分かるほど眉は吊り上がっており、固く握られた拳も震えている。
(あの人、たぶん長老だよな。やべ……絶対に怒ってる。やっぱ俺に対してか? ヤバい王弟だと思ってそうだよな)
長老は立ち上がり、土壁が剥がれ落ちそうな勢いで怒鳴った。
「馬鹿者っ! 何が『てへ』じゃ。誰が殿下本人を連れてこいと言った!」




