7-1 彼女がエリン……なのか?
少女はギイに気づく様子もなく、黙々と歩いていた。
ギイは通行人にぶつからないよう細心の注意を払いながら、あとをつける。
やがて少女は、通り沿いの小さな店に入った。
ギイは扉の前で立ち止まり、窓越しに中の様子を窺う。
店内は外より暗く、細部までは分からなかった。ただ棚に紙束が並んでいることは見てとれる。
『何の店だろう。紙問屋……?』
アリシアも背負い袋の隙間から顔を出した。
『ここは文房具屋さんですね。封筒や便せんがいっぱいあります。筆記用具もいろいろ揃っているみたいですよ。ポッポー』
ほどなくして少女は、淡い緑色の紙を胸に抱えて店から出てきた。おそらくレターセットだろう。
そして再び、通りを早足で歩き始めた。
ギイも距離を取りながら、あとを追う。
『あのレターセット、俺への返事用かな』
『どうでしょう。もしかしたらギイへのお返事じゃなくて、ギイからの手紙を誰かに転送するつもりかもしれませんよ?』
『あー、それもありえるよなあ』
少女はオープンテラスのあるカフェの前で足を止めた。
ギイは街路樹の陰に身を潜める。
(ファンタジー異世界にも、スタバっぽいカフェがあるんだな。もっとビアガーデン的なのばっかだと思ってた)
少女は店に入り、飲み物を手に外へ出てきた。
そして通り沿いの席に腰を下ろすと、小さな木箱を取り出す。
中には携帯用の羽根ペンとインク壺が入っていた。少女は真新しい便せんを広げ、手紙を書き始める。
熱心な様子を見ているうちに、ギイは内容が気になってきた。
『こっそり中身を読めないかな。そーっと横に行けば、いけるかも』
アリシアの耳が、ピクッと動いた。
『そういう危ないこと、やめましょうよう。確かにギイは上手に気配を消してますけど、万一ってこともあるじゃないですか』
『通りすがりに、ちょっと覗き込むだけでもダメかなあ』
『バレないとは思いますけど……でも、やめときましょうよ。あの手紙、ギイ宛だったら、いずれ手元に届きますよ。それよりお宿に戻って、おいしいお昼ご飯を食べましょう。ねっ?』
もっともな意見である。
だが――。
(いま内容が分かれば、後の交渉もやりやすくなるよな。彼女がエリンかどうか早めに確定すれば、今後の計画も立てやすいし)
ギイは心を決めた。
『せめて筆跡だけでも見させてくれ。字を見れば、彼女がエリンか確認できる』
『そういうものですか?』
『昨日計画を立てるとき、手紙を何度も読み返したからな。筆跡も覚えた』
アリシアは考え込んでいたが、やがて渋々言う。
『まあ、見るだけなら……。でも、ちょっとだけですよう。ポポー』
『決まりだ』
ギイは、そっと背負い袋を下ろし、アリシアを外に出す。
『ここで待っていてくれ。俺一人で見てくる』
『え、私も一緒に行きますよう』
『何も背負っていないほうが動きやすいんだ。大丈夫、すぐ戻る』
アリシアは心配そうにギイを見上げる。
『気をつけてくださいねえ。近寄ったときは、息を止めるんですよ。フーッて息を吐いただけで気づく人もいるんですからねえ。絶対ですよう』
『ああ、分かった』
ギイは通行人を避けながら、足音を忍ばせて近寄った。
少女の席と道の間には、段差も柵もない。横に立てば、手元が見えるはずだ。
ギイは少女の横に立った。
そして便せんに視線を移す。
(間違いない。手紙と同じ文字だ。やっぱりこの娘がエリンか……)
思わず安堵の吐息を漏らしそうになったが、どうにか呑み込んだ。
そして今度は少女――エリン自身を見つめる。
つややかな黒髪に細い指、長いまつげ。
聖女アリシアのような幻想的な美しさではないが、それでもじゅうぶん美少女と言える。
相変わらず熱心にペンを動かしており、ギイの存在に気づいた様子はない。
(ちょっとだけ中身を読ませてもらおう。ちょっとだけだから……)
ギイがわずかに身を乗り出した――そのとき。
クスッという、小さな笑い声が聞こえた。
(え……?)
誰の声か、一瞬分からなかった。
だが状況的に考えられるのは、一人しかいない。
(まさか……気づかれた?)
ギイが凍りついていると、エリンがゆっくりと顔を上げる。
「みーつけた」
エリンの両目が、まっすぐギイを捕らえている。
炎のような赤い目の中に、金色の星形が浮かんでいた。
すべてを見通しそうな謎めいた瞳の輝きに、どこか邪悪なものを感じるのは気のせいだろうか。
流れるような美しい黒髪も、いつの間にか、くっきりと赤いインナーカラーが入っている。
まるで目の前で別人になる手品を見せられたかのようだ。
エリンは口元を歪める。
「いまの顔、最高。間抜けっぽくて、マジで笑えるんだけど」
ギイは息を呑んだ。
「お、おまえ……いったい……」
エリンは嘲るように笑う。
「じゃ、またねー、王弟殿下」
軽やかな声と同時に、ギイはぐいっと腕を掴まれた。
次の瞬間、足元がふわりと浮いたような感覚に襲われる。
暗いどこかに引きずり込まれ、視界は一瞬で闇に閉ざされた。
(な、何……!?)
自分が立っているのか座っているのかさえ分からない。
手を伸ばしても、地面らしきものに触れられなかった。
そもそも、いま自分は動けているのだろうか――。
「マジでどうなってんだよ!」
自分の存在を確かめるかのように、ギイは叫んだ。
だが声は虚空に吸い込まれるように消えてゆき、誰からの返事もなかった。




