6 ギイ、計画を実行に移す
朝食後、身なりを整えたイズーはドアの前に立ち、ギイに一礼した。
「それでは行ってまいります。ギイ様、くれぐれも御身を大切に。宿から外には出られぬよう、くれぐれもお願いします」
「ああ。俺の心配はいらないよ。気をつけてな」
イズーは安心したように頷き、宿を後にした。
ギイとアリシアは顔を見合わせる。
『行きましたね、クルポ』
『行ったな』
視線を交わしたあと、二人は大急ぎで作業に取りかかった。
ギイは床に初心者用の魔法書を開き、アリシアが読めるように置いた。そしてすぐに机に向かう。
アリシアはページをめくりながら、ギイでも使えそうな尾行向きの魔法を探した。
手紙を書く時間は、決して長くない。
幸いなことに、宿には便せんと封筒が備え付けられていた。
内容はあらかじめ頭の中で組み立てていたため、迷わず書き進められた。しかも日本語で書いてもリーファニアの言葉に変換されるらしい。この世界の翻訳機能とアリシアに感謝である。
「できた」
封筒に「エリンさんへ」と書いたあと、念のために「エリンさん以外のかたが手にされた場合は、ご本人にお渡しください」と付け加えた。
ギイは便せんを入れ、丁寧に封をする。
『こっちの準備はできた。アリシア、使えそうな魔法はあったか?』
『ありましたよ。クルッポー』
アリシアは該当部分を前脚で指す。
『気配が少しだけ薄くなる魔法です。魔力を持っている人が詠唱を正確に唱えれば、難しい修行を積まなくても使えますよ。ちょっとコツは要りますが、ギイなら大丈夫でしょう』
『よし、やってみるか』
ギイは魔法書を左手に持つ。
『詠唱、意外と短いな。これなら覚えられそうだ』
『でも、ただ言えばいいってものじゃないですよ。体内の魔力を意識して、それをぐるんぐるん回しながら増やして、身体を包み込むようにするんです』
『なんだそれ。……まあ、やってみるか』
ギイは目を閉じて、自分の鼓動に意識を集中させた。
すると身体の中に、温かい塊のようなものが生まれる。
(これが魔力……?)
それは徐々に大きくなり、身体中から湧き出すような感覚に変わってゆく。
アリシアの心話が聞こえる。
『攻撃魔法だと力を手に集めるのですが、今回は気配を消すので、全身ぐるんぐるんですよ』
『分かった』
おかしな表現だが、魔法使いの身体だと感覚で分かる。
『その調子ですよ。……はい、いまです!』
ギイは目を開き、正確に唱える。
《霞となれ、我が姿よ。影が映らぬように。気配よ、沈め》
一瞬、身体が熱を帯びるが、すぐに引いた。
ギイは自分の身体を見下ろす。
透明になっているわけでもなければ、ぼやけて見えることもない。見た目はいつもどおりだ。
「どこか……変わったかな?」
アリシアはギイの周囲を、トコトコと回る。
『思ったより存在が薄くなっていますね。やっぱりギイは魔力量が多いのでしょう。もっと上級者向けの本でも、使いこなせるかもしれません』
『でもアリシアには、俺の姿が普通に見えているんだろ?』
『もちろんです。私、聖女ですから。魔力の流れを読めば、すぐに分かりますよう。でも普通の人には、ギイの存在を感じ取りにくいでしょうね。イズーみたいな戦士の勘でもなければ、まず気づかれませんよ』
『そんな人間、ポンポンいないから大丈夫だよな……たぶん』
まだ不安が消えないので、ギイは自分の身体をもう一度見回す。
『大丈夫。町に出れば効果をすぐ実感できますよ。――あ、解除の詠唱も覚えておいてくださいね。でないと、ずっと薄いままですよう』
『それは困るな』
ギイは慌てて解除の詠唱も頭に叩き込んだ。
『じゃあ、行こうか。いまから出れば、三十分前には着く』
『はい、出発しましょう。ポポー』
アリシアは背負い袋に入り、ギイは袋を掴んで外に出た。
町は今日も祭りの熱気に包まれていた。
川辺に並ぶ屋台からは香ばしい匂いが漂い、客引きは片っ端から通行人を呼び止めている。
しかしギイに目を向ける者は誰もいなかった。姿はそのままなのに、他人に意識されていない。空気と同じ扱いだ。
(これが、ぼっちってやつか……。切ないよなあ。解除の詠唱を覚えといてよかった。ていうか、いますぐ唱えたい)
『気を抜かないでくださいよ。声を出したり誰かにぶつかったりすると、すぐにバレますからね。クルッポー』
袋の中からアリシアの心話が飛んでくる。ギイの考えも周囲の状況も、見透かしているようだ。
『分かってる。店に手紙を置いたら、すぐ隠れるよ』
ギイは昨日の書店にたどり着いた。
敷地の片隅には、日本でも見かけるスタンド型の郵便受けがある。
ギイは手紙を、そっと中に入れたあと、近くの建物の影に身を潜めた。
ポケットから懐中時計を取り出す。
――午前十一時半。
約束の時間の三十分前だ。
アリシアは袋から、ひょっこりと顔を出す。
『エリンさん、来ますかねえ? それとも、もう店内にいるのでしょうか』
『中にいたとしても、約束の時間に俺が来なかったら、一度は様子を見に出てくるんじゃないかな』
『それもそうですね。……私、お昼ごはんを食べたくなったので、エリンさんには早く来てほしいです。ポッポー』
書店のドアが開き、一人の少女が姿を現した。
黒髪を肩で切りそろえ、地味なグレーのワンピースを着ている。
日本の高校にいたら、休み時間はずっと自分の席で読書しているタイプだ。華やかさに縁のない、目立つことが嫌いなタイプに違いない。
ギイは心話で呟く。
『あの娘がエリンかな?』
『どうでしょう。手紙の印象には近い気がしますが……』
少女は郵便受けを開き、ギイの手紙を取り出した。
宛名を見てから封を切り、その場で読み始める。
『やっぱ彼女がエリンっぽいな』
『他人宛の手紙を勝手に読む人でなければ、ですけどねえ』
読み終えた少女は便せんを封筒に戻した。
そして手紙を持ったまま、書店を離れて歩き始める。
(店主に手紙を見せに行かないのかな。それとも判断を仰ぐ相手が別にいるのか?)
アリシアも不思議そうに訊く。
『どこへ行くんでしょうね?』
『さあな。とにかく追おう』
ギイは人混みに紛れそうになる少女の後を、そっと尾行し始めた。




