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『二人で考え込んでもしょうがないから訊いてみるか』
ギイは店の奥に向かって声を掛けた。
「あの、すみません。ちょっといいですか?」
「なんじゃ?」
「ギイ様、どうかなさいましたか?」
店主だけでなく、イズーまでやってきた。
ギイは《永劫の魔法書》を差し出す。
「この本って売り物ですか?」
「そうじゃよ」
店主は、あっさり答えた。
「値段、見当たらなかったんですけど、おいくらですか?」
「一億リーファじゃな」
「い……」
普段冷静なイズーが驚き声を漏らした。
一億リーファがどれほどの価値か分からないが、かなりの額なのだろう。
『なあ、アリシア。一リーファって日本円で、ざっくりどのぐらい?』
『十円ぐらいですね……』
『てことは、十億円か……って、じゅーおく!!』
ギイも思わず声を上げそうになった。
『本一冊が十億円って……なんだよ、それ!? 絶対売る気がないだろ!』
『た、確かに一億リーファの価値があるかと言われると、充分あると思います。でも実際に買えるかどうかとなると、別問題ですよねえ……ポポルルー』
アリシアは申し訳なさそうに言った。
ギイはイズーの顔を見た。
さすがに無理です、と言いたげな沈鬱な表情である。ギイの母である王太后から金を預かっているが、それではとても足りないのだろう。
店主も、この魔法書が売れるとは思っていないようで、淡々とした口調で言う。
「わしも無理だとは思っておる。だが、この本を持ち込んだ人物が、どうしてもこの値段にしろと譲らなくてな。だから買取ではなく、委託という形で預かっておるのじゃよ」
「はあ……そうですか」
「そもそもこの本、普通の人には読めんじゃろう。古語を変形文字で書いてあるからな。解読するには、それこそ一生涯を費やすことになるじゃろうて」
「え? 確かに文字は掠れてますけど……」
普通に読めますよ――と言いかけて、ギイは言葉を呑み込んだ。
異世界語の翻訳能力によって、ギイは読めている。だがそれはアリシアの力によるもので、本来なら理解できるはずのない文字なのだ。
下手なことを言えば、正体を怪しまれる。ここは黙っておくべきだ。
店主の目がわずかに細まり、探るような光を帯びた。
「おまえさんは、もしかしてこの本を読めるのかね?」
「いえ……別にそんな……」
「では読めもせん本を、どうして欲しいのかね?」
「えーと……」
ギイは必死になってごまかす。
「その……なんか一瞬、読めたような、読めないような? それっぽい感じがしたので、面白そうと思ったというかなんというか……」
ギイは心の中で冷や汗を流す。
(俺って、マジで嘘とかごまかしとかがヘタクソだよな。王弟になったんだから、腹芸とか、もうちょい上手くなったほうがいいんだろうけど……)
店主はギイの顔を、じっと見つめる。
「おまえさんは金を持っていないけど、この本が欲しいのじゃな」
「ええまあ……。図々しい話だとは思いますが……」
「ふむ」
店主は表情を緩め、元の穏やかな顔に戻った。
「値が値だから、すぐには売れんじゃろう。金が貯まったときに、まだ欲しいと思っていたなら、また声を掛けておくれ」
「はい」
店主は再び奥へ引っ込んだ。
(十億円を用意できる日なんて、来るのかな……)
ギイが遠い目をしていると、ずっと黙っていたイズーがギイのほうへ進み出る。
「恐れながら、もう一度だけお訊ねしてもよろしいでしょうか」
「な、なんだ?」
「ギイ様は、本当にこの本が欲しいのですか?」
真剣なまなざしを向けられ、ギイは言葉に詰まった。
そのときアリシアが言う。
『ジェスチャーだけではありません。強い魔法書には、強い力をどう制御するかも書かれているんです。いまのギイには強すぎる本かもしれませんが――いずれ絶対に必要になりますよ』
さらりと告げられた言葉に、ギイは背筋を正した。
力ある者が、その力を制御する術を学ぶのは、義務であり責任でもある。
いまのギイには、自分が再び謎の詠唱を始めたとしても、止める手段がない。意思とは無関係に雷を呼び起こし、再び周囲を焼け野原に変えてしまうかもしれないのだ。
(松明を持って火薬庫の上を、うろついているようなものだからな。能力の制御は、指パッチン以上に大事なことじゃないか)
ギイは覚悟を決めて答える。
「ああ。――この本が、どうしても欲しい」
「……分かりました」
イズーは静かに頷いた。
「ただ、いまは手持ちがありません。いったん宿に戻って、改めて相談しましょう。他にも必要な本はございますか?」
「あ、もう一冊あるよ」
ギイは再び店主を呼び、アリシア推薦の初心者向けの魔法書を差し出した。
店主は丁寧に包装し、会計を済ませたあとギイに手渡す。
「また寄っておくれ」
一瞬だけ、店主が微笑んだような気がした。
そう遠くないうちに、ギイが再び店を訪れると確信しているような笑みだった。




