7-1 ギイと魔法と秘術書
何かが重いもので、胸のあたりを叩かれているような気がした。
『……イ……ギイ……しっかりして……目を覚まして……』
『アリシア……?』
『そうです! 私ですよう、クルルルルポー!』
叩かれている感覚が止んだ。
どうやらアリシアがギイの身体の上を、ポヨンポヨンと飛び跳ねていたらしい。
まぶたを開く力すら残っていないので、ギイは目を閉じたまま心話で話す。
『アリシア、無事だったのか。……それとも俺、また魂がパッカーンして、スライド上映部屋に戻ったのか?』
『違いますよう。ギイも私も、ちゃんと生きてます。ギイが幻獣の上に雷を落とす直前に、私の周囲だけ防御の魔法を使ったんです。クルッポー』
『じゃあ、幻獣は……』
『綺麗さっぱり消えました』
アリシアは力を込めて言ったあと、小さくため息をつく。
『ギイは本当に凄い魔法を使ったんですよ。私も幻獣と一緒に、消し炭になってしまうところでした。私、魔素を全部使ってしまったので、当分聖女に戻れませんね』
『……悪かったな』
申し訳ない気持ちでいっぱいのギイの上に、アリシアはもう一度飛び乗ってきた。
『謝ることはないですよ。ギイは私を助けてくれたのだから。――むしろお礼をすべきですね。私のちょびっと残った魔素で、少しですが回復させてあげましょう』
『いいよ。俺が魔素を取っちゃったら、アリシアが動けなくなるだろ』
『袋に入って運んでもらうから、大丈夫ですよ。それにギイが目を開けないと、イズーがいつまでもクマみたいに、うろうろしていますからね。さすがにかわいそうになってきました。クルッポー』
アリシアの重みを感じているうちに、死体のように冷たかった体内が、じんわりと温かくなってくる。
指も動かせるようになり、まぶたを開く力も湧いてきた。
「ギイ様……!」
目を開くと、ギイの顔を覗き込んでいるイズーが見えた。どうやら指が動いた時点で、近くに来たらしい。
「ギイ様、お気づきになられましたか」
「ああ、心配を掛けたな」
言い終わる前に、イズーはギイから一歩下がって跪く。
「申し訳ございません。ギイ様の大切なご家族であらせられるタヌキ――アリシアを、幻獣のエサにしてしまうところでした。許しを請うような真似はいたしません。いかなる厳罰も受ける所存です」
「いや、そこまで自分を追い詰めなくても……」
「いいえ!」
イズーは強い調子で続ける。
「私にも大切にしている馬がいるので分かります。もしもコークスブレインが誰かの手によって幻獣のエサにされたら、私はそいつを斬って幻獣のエサにします。ですので……家族にコークスブレインを頼む手紙を書くことだけは、どうぞお許しください。書き終えたら、私はすぐにでも――」
「いや、だからそういうのは、やめよう。なっ? アリシアも無事だったんだし」
いまにも自害しそうな様子に、ギイは慌てて身体を起こそうとした。
しかし上半身を起こせるほど回復していなかったので、また地面に倒れそうになる。
「ギイ様!」
イズーは即座に駆け寄り、ギイの身体を支えた。
「悪いな。まだ身体の力が抜けていて……」
「とんでもございません。すべては私が至らぬせいで……」
ギイはイズーの顔を見る。
普段は頼りになる騎士だが、いまは叱られる前の犬のような表情をしている。
(こんな顔を見ていると、子供――とまではいかないけど、凄く若く見えるよなあ。……って、まてよ)
「イズーって、年いくつだ?」
「二十八にございます」
「にじゅーはち!」
王弟ギルロードより十歳年上である。
同時に、日本で会社員をやっていた自分より、五歳年下だ。
(俺が会社で面倒見てた後輩と同い年かよ。てことは、俺が大学生のときに中学生だったってことか。うわ、若っ!)
ギイは急に穏やかな気持ちになった。
(二十八だったら仕事のことで、必要以上に気に病んだりするよな。分かる分かる。だったらここは会社の先輩……じゃなくて、いまは直属の上司である王弟の俺が、気持ちの面でもフォローしてやらなくちゃな)
ギイは咳払いをし、威厳を持って言う。
「確かにタヌキ――アリシアを幻獣のエサにしようとしたことはひどいが、誤解させた俺も悪かった。タヌキの名前を、ちゃんと言っておけば、起きなかったことだ。だからあんまり責任を感じるなよ」
「しかしギイ様が、尊い聖女様と同じ名を付けるほど慈しみ、大切にしておられたタヌキを……」
「黙っていたのは、ペットに聖女と同じ名前を付ける痛いヤツだと思われたくなかったからなんだ」
一番の理由は、勘のいいイズーがタヌキ=アリシアだと気づかないようにするためなのだが、そこは何が何でも隠すことにする。
「そんなわけで、イズーが気に病むことはないよ。アリシアもそう思うだろう?」
『私を食材だと思っていた無礼は、聖女を敬う気持ちに免じて許してあげてもいいです。ポッポ』
アリシアは偉そうに胸をそらした。
「許すって言ってる」
「ギイ様はタヌキの言葉が分かるのですか?」
「あ……いや、自分のペットのことは分かるというか……」
イズーは微笑む。
「そうですね。私もコークスブレインの考えていることなら、ちょっとした仕草で分かります。飼い主って、そういうものですよね」
どうやら疑っていないようだ。
アリシアはギイの横に座る。
『でもこれで、やっと分かりました。イズーが私に向けてきた、欲望の正体』
『前から言っていたな。……結局欲望って、何だったんだ』
『食欲ですね』
アリシアは、きっぱり言った。
『イズーは私に対して、非常食を見るような目を向けていました。たぶん、どうやって料理したら美味しいか考えていたんですよ。ひどい話です。クルッポー』
『食欲ぅ……!?』
ギイは呆れずにいられなかった。
『この世界に関わるとか、もっと壮大なことだと思っていたのに……。そりゃあ、食欲も欲の一つだけどさあ……』
『何言っているんですか。食材を見るような目で、ずっと観察された私の身にもなってくださいよう!』
心話で言い合いをしていると、イズーが話しかけてきた。
「ところでギイ様。さきほど、お使いになった雷撃魔法のことですが――」
「え……」
一番訊かれると困ることを言われて、ギイの目が泳いだ。
「ギイ様は、いつあのような魔法を学ばれたのですか? 王宮では、あれほどの魔法を教えられる者など、いなかったと思いますが……」
「えーと……」
ギイは、すぐに答えられなかった。
(まあ……普通訊くよな。引きこもりが急に、とんでもない魔法を使ったら)




