5-2
イズーは話を続ける。
「ギイ様は、昨年の冬にあった『年越しの祭礼』を覚えておいででしょうか?」
「いや……」
そもそもこの世界に来たばかりなので、ギイはそんな行事自体を知らない。
「ギイ様もご存じのとおり、普段の年越しの祭礼は、一年間溜まり続けて澱みきった魔素を聖女が天に送り届け、新年の始まりとともに清冽な魔素をいただくという儀式です。――ところが去年の祭礼では、聖女が何らかの事情で、澱んだ魔素のすべてを天に送り届けられなかったのではと考える者もいます」
ギイはアリシアを、ちらりと見た。
アリシアの、ぷうぷうという寝息が、ぴたりと止まる。だが相変わらず眠っているようで、ピクリとも動かない。
「地上に残った澱んだ魔素は大量の魔素獣となり、人を襲っているという噂が流れています。私も実際に見るまでは、単なる噂だと思っていたのですが――確かに魔素獣は増えていると確信しました」
イズーの話の最中も、アリシアは不自然なほど動かなかった。
(もしかして、タヌキ寝入りじゃないのか? タヌキだけに)
ギイは強い口調になるよう心がけながら、心話で言う。
『おい、アリシア。起きろよ。年越しの祭礼を失敗したって本当か?』
アリシアは沈黙を守っている。
『寝たふりを続けるなら、これからサツマイモを分けてやらないからな。アリシアの目の前で、いっぱい食ってやる』
アリシアは飛び起きる。
『ひどいじゃないですか! こっちがおとなしくしていることをいいことに、言いたい放題すぎますよう。クルッポー!』
『文句を言いたいのは、こっちのほうだぞ。魔素獣のこと、アリシアと関係が大ありじゃないか。なんで黙っていたんだ』
『だって、一度にいろんなことをギイに言ったら、頭の中が一、二、いっぱいみたいになっちゃうでしょう? 追い追い話そうと思っていたんです』
『確かに、いっぱいいっぱいになるけどさ。魔素獣のことを話すのは、このタイミングじゃないのか?』
アリシアは悲しげな目でギイを見る。
かわいそうになってきたが、ギイは厳しい目で見つめ返す。ここで流されたら、ずっと説明してもらえない気がしたからだ。
『大量の魔素獣のことは……私の失敗かも知れないから、言いにくかったんですよう。ポッポー』
アリシアの耳が力なく垂れた。
『聖女だって、たまには失敗しますよう。でも澱んだ魔素の大半は、ちゃんと天に返したんです。返しきれなかったものが、思ったより多かっただけですよう。クルルッポポー』
タヌキは寂しげに言った。
――さっきまでタヌキ寝入りをしていた聖女の言うことを、一〇〇パーセント信じていいのか?
心の中に、ほんの少しだけ疑いの気持ちはある。
だがその考えを押し流すような罪悪感が、ギイを襲った。
(卑怯だぞ、アリシア。まるで俺が動物をいじめているみたいじゃないか!)
たとえ動物ではなく人間の姿であったとしても、お人好しのギイは罪悪感に苛まれるだろう。
ギイの負けである。
『分かった分かった。別に責めてないから。聖女だって人間だから、失敗することもあるよな』
『ギイ……やさしいのですね。たまーにですが』
『たまーには、よけいだ』
(考えてみたら、俺もいままでの人生で、いろいろ失敗してたもんな。アリシアも人間だったら二十歳前後だし、そもそも国の一大行事を任されるには若すぎなんだよ。失敗の一つもするものだよな)
ギイはアリシアから目をそらし、イズーに訊く。
「聖女アリシアって、普段から失敗ばかりしているのか?」
イズーは、はっきりと首を横に振る。
「とんでもありません。アリシア様は歴代の聖女の中でも、非常に力が強く優秀なかたです。儀式の失敗も、いままで一度たりともありませんでした。それだけに、何かあったのではと言われているのです」
(非常に力が強くて優秀って……このタヌキが?)
信じられなかったが、すぐに思い直す。
アリシアは二人分の魂をこねて、くっつけるという、非常識な大魔法をやってのけたのだ。強大な力を持っていることに間違いないだろう。
(じゃあ単なるミスじゃなくて、アリシアなりの事情があるってことか……?)
ギイは頭の中で計算する。
(いまは春で、年越しの祭礼は冬。俺の知識によると、ここの一年も十二ヶ月だから、いまは年越しの祭礼から四ヶ月ぐらい経っているかな。そしてアリシアがタヌキになってから、まだ一週間経っていない。てことは、タヌキになったこと自体は、魔素獣と関係なさそうだな。でも俺とギルロードの魂を混ぜていた時期とは、カブっているかもしれない。魂を混ぜるのに忙しくて祭礼が失敗したのか、それとは全然関係なくて、たまたまなのか……)
ギイが難しい顔で考え込んでいると、イズーが気持ちを軽くさせようと明るい口調で言う。
「アリシア様のことですが、数ある噂の一つにすぎません。他にも、海の底から魔素が吹き出しているとか、魔の山が目覚めようとしているとか、いろいろな噂があります。私自身は、近年に多い異常現象の一つと捉えています。世界が少しずつ変わっている時期なのかもしれません」
「そうだな……」
イズーに気を遣われて、ギイは考え込むのをやめた。
(いまの状況じゃ、俺がぐるぐる考えたところでどうしようもないよな。調べようにも森の中だし。俺ができるのは、イズーの足を引っ張らないことぐらいだ)
ギイは明るく続ける。
「まあ、何でもかんでも、とてつもない理由があるわけじゃないからなあ。魔素獣のことも、たまたま異常現象の多い年って線が一番ありそうだ」
気持ちを切り替えるために、大きく伸びをした。
いまはタヌキに対するイズーの疑いも、アリシアの儀式に関することも棚上げすべきである。
魔素獣が増えたという事実が確認できて、今後の道筋が決まったのだ。それで充分だろう。
ギイは脚についた草を払い、立ち上がった。
「道も決まったし、出発しようか」
「承知しました、ギイ様」
アリシアも、ことさら明るく心話で言う。
『私も袋の中に入りますね。今日もよろしくお願いします。クルッポー』
たき火を消したあと、二人と一匹は出発した。




