1-1 五十崎啓助、魂がパッカーンする
春風が異様に強い日に、道路標識がポッキリ折れた。
おそらく腐食していたのだろう。
五十崎啓助の目の前の出来事である。
ただ折れただけならよかったのだが、標識が倒れる先に二十代の女性がいる。
「危ないっ!」
啓助はとっさに走り、女性をかばった。
カッコイイことをしたいとか、お礼を言われたいとか、そんなことを考える余裕もなかった。
ただ目の前で誰かがひどい目に遭う――そう思った瞬間、身体が動いたのだ。
「…………っ!」
次の瞬間、強烈な衝撃が頭を襲った。
いままで感じたことのない、恐ろしい痛みである。
頭の中に手を突っ込まれて、ぐちゃぐちゃにかき回されたような感じで、ただの打撲ではない。
長いような、短いような時間が経った。
啓助は意識を取り戻した。
幸い痛みは消えている。
目を開けたつもりだが、周囲は真っ暗だ。
夜なのか、それとも視力を失っているのか、脳にダメージを食らいすぎているのか……。
(ていうか、あんなに痛かったんだから俺の怪我、もしかして頭蓋骨陥没クラスか……?)
朦朧としながら考えたときだった。
「やった――っ! 成功、成功ですよ、私! 聖女、一世一代の脅威の奇跡ですよ――っ!」
明るくはずんだ声が、透き通った清流のように美しい。
たが不穏な内容に、嫌な予感がせずにいられなかった。
「聖女……だと?」
いまの日本にはない地位である。
啓助はアニメや漫画や小説の数々を思い出す。
いままで見てきた物語で聖女は、すばらしい奇跡か、とんでもないトラブルかを携えて、主人公の前に現れていた。
標識が頭に当たった自分と、奇跡を起こした聖女。
そこから考えられるのは――。
「俺、もしかして死んだ……のか……? 異世界転生したとか……?」
啓助の呟きが聞こえたらしい。聖女は明るい声で言った。
「確かに異世界ですけど、貴方は死んでないし、転生したわけでもないですよう」
暗闇の中に、突然まぶしい光が差し込んだ。
一瞬目が眩んだが、慣れてくるにつれ、光が人間の形をしていることに気づく。
「こんにちは。初めまして。私の姿、見えますか?」
「あ……は、はははい」
啓助に微笑みかけてきたのは、とてつもない美少女だった。
緩くウェーブの掛かった長い金色の髪が一番に目に飛び込んでくる。金色の長いまつげの下には、サファイア色の目が輝いていた。
肌は陶器のようになめらかで、ほくろや染みもなく、透明感のある白さである。そのせいで薄紅色の頬と、桜色をした形のよい唇が際立った。
やわらかな布で作られた服は、身体のラインが透けて見えそうなほど薄い。しかし全身から発せられている清らかな光が、身体全体を曖昧にさせていた。
近くで息を吸うだけで、まるで森林浴をしているような安らぎを覚えてくる。
「私の名前は、アリシア・ラフィネル。アーレシア教における、聖女と呼ばれる存在です」
圧倒的な美しさと神々しさを目の当たりにして、啓助は聖女の存在を疑う気持ちになれなかった。
声だけを聞いたときは、トンチキ娘だと思った。
しかしいまでは自己紹介でさえ、ありがたい神託に聞こえる。
「とりあえずこれまでのことを、軽くご説明しましょう」
今度はどこからか、白いスクリーンが出てきた。
まぶしいほど明るかった周囲が、心持ち暗くなる。
スクリーンには、スライドのようなものが映し出された。