その一歩
目が覚めると外はもう明るくなっていた。鏡を見ると私の目はバラの花びらのように真っ赤になっている。そうか、私は泣いていたんだ。
テーブルには食事と水差し、そして一冊の歴史書が置かれている。中身は見なくてもわかる。きっと人狼の悪口が書かれた本だ。正しい歴史が書かれた、嘘ばかりの本。私がこの世界で一番嫌いな嘘が詰め込まれた本。
私はパンを齧りながら、窓の外を見る。村の人達はいつも通り働いているように見える。うんっ、まだ平気だ。もしクローネが捕まってたら、もっとバタバタしてるはずだもの。大丈夫、まだクローネは生きてる。
クローネはすばしっこいし、普通に捕まえようとしても難しい。きっと私が夜に会ってたから、それに合わせて森で待ち伏せするはずだ。なら私がやるべき事はひとつ。
日が落ち、新しい食事が運ばれる。私はそれを無言で受け取り、昼の食事を突き返す。なるべく不機嫌で、不貞腐れているように装いながら。
「ローゼ様の御様子は?」
「いまだ御機嫌が戻られないようで…」
扉に耳をつけると微かに使用人達の声が聞こえる。深夜になればきっと見張りが厳しくなる。村の人達もクローネを捕まえるために森に向かう。なら、まだ暗くなりきっていない今がチャンスだ。
窓から見える家からは何本も煙が出ている。夕食のために家にいる今なら誰にも気づかれず森まで辿り着ける。
教会から夕刻を告げる鐘の音が村中に響きわたり、私はその音に合わせてカーテンを引き裂いた。昔絵本で読んだことがある。カーテンをより合わせて、窓から抜け出す囚われのお姫様の話。
長いロープのようになったカーテンの端をベッドの足に括り付け、窓をそっと開けてからカーテンを垂らしていく。音が出ないように慎重に、見つからないように大胆に。
靴は取り上げられていて無い。でも構わない、人は生まれた時は誰も靴なんて履いてないんだから。
私は一冊の本を小脇に抱え、地面まで降りられそうな長さになったカーテンに捕まり、少しずつ滑るように降りていく。
下を見ると目が眩むほど高い。落ちれば怪我じゃすまないかもしれない。でも、怖くない。クローネがいなくなることに比べれば、全然怖くない。
私の身長分ほど足らないカーテンから地面に向かって飛び降りる。砂利が足の裏に食い込み、膝を擦りむいた。
痛くない。痛いけど痛くない。
私は森に向かって駆け出す。いつもの場所に着くと、そこにはまだクローネの姿はなかった。そうだよね、昨日あんなに喧嘩したのに、いるわけない。
もっとずっと森の奥のほうに帰ってて、私のことなんてもうどうでもいいのかもしれない………それでも構わない。
私がクローネに伝えたいことがあるから。これは私の我儘。もう一度クローネに会って、次こそは本当の想いを伝えたいから。




