本当の自分
次の日、アツコは遺体で見つかった。
溺れた友人を助けるために川に飛び込んだのだという。溺れた友人は足を滑らせて川に落ちたといった。それが嘘な事は明らかだった。
オレは聞いていたんだ。アツコが涙ながらに語った真実を。
アツコにとっては友達ですらない一人の同級生が、虐められ、度胸試しという名目で橋の欄干から川に飛び込むことを強要されていたことを。
オレは知っていた。
アツコは彼女を助けに行った。オレの制止を振り払って。
アツコの葬式の当日、泣きながらアツコの遺影の前に突っ伏した彼女に対し、不思議と怒りはわかなかった。彼女を虐めていた同級生も泣いていた。もし葬式に来たのであれば、包丁で全員刺し殺し、そのあと自分も自殺しようと思っていたオレの子供じみた決意は、その涙の前に惨めにも消えていった。
他人を平然と虐めるその少女達にとってアツコは友人だった。だからアツコは余計に苦しんでいた。誰かに背中を押してほしかったんだ。
「虐めをやめるよう話すべきだ」と。
「オレがついてるから」と。
「アツコは正しい」と。
後日遺品を整理するなか、アツコの日記を見つけた。
オレには読む権利なんてないことは分かっていた。それがどれだけ汚いことかも。しかし知りたかった。アツコの最後の想いを。オレが救われるためだけに。
最後の日記にはオレへの恨み言も、虐めをしている友人への葛藤も書かれておらず、ただ
「きっといつか分かってくれる」
とだけ殴り書きのような筆跡で刻まれていた。
その時オレは母さんが死んで以来、初めて涙を流した。
どれだけ堪えようとしても、とめどもなく涙があふれた。泣く資格なんてないことは分かっていた。オレを責めることのないアツコの日記にただただ安堵したオレは、どうしようもないクズで、およそ妹が信頼するに値する人間ではなかった。
アツコとの日々を、思い出を、裏切りを、後悔を、涙を流すというあさましい行為で押し流そうとするオレは、どこまでも愚かで未熟な子どもだった。
アツコが死んでから、父は一層よく笑うようになった。母が死んだ時もそうだった。父は苦しい時ほど、悲しい時ほどよく笑う人だった。強い人だった。
そんな父も一年前にあの世に旅立った。胃がんだった。
見る見るうちに痩せていく父の姿に、オレは年甲斐もなく涙を流した。アツコがなくなって以来の涙だった。
そんなオレの姿をみて、父は一言「辛かっただろう、もう自由になっていいんだぞ」と言い、再び目を開けることはなかった。
父はよく笑う人だった。
きっとそれは笑うことで自分とオレの埋めようもない傷を塞ごうとしてくれていたんだろう。
火葬場で灰になってゆく父を見送り、オレをこの世界に繋ぎとめる楔のような重みがスッと霧散した感覚に襲われた。
一度間違ってしまった自分は、何をやってももう二度と心から笑うことは出来ないだろう。
オレは父の一周忌に睡眠薬を大量に飲み、そしてミッドガルドに入った。
心臓が激しく脈打ち、脳が焼けるように熱くなり、息が上手く吸えなくなった。
妹は溺れてる時、こんな気持ちだったんだろうか。
それならばこの最後はオレにとって相応しい報いだった。救いだった。
オレは偽った。妹に好かれる自分を偽った。
そして俺は妹を裏切った。
信頼を優しさを裏切り、自分の都合だけをおしつけた。
俺は妹のためと言いながら、アツコのことを理解しようとすることなく、自分にとってあるべき妹の姿を押しつけた。
オレはただ失うのが怖かっただけだ。自分が失いたくない気持ちだけで、妹の瞳から目を逸らしていたんだ。
もし、もう一度生まれ変われるなら
今度こそ本心から妹と向き合って、妹が誇れる兄なりたい。
アツコが俺にそうであって欲しかったような。
俺がそうありたかったような………。
そうか、いま全てはわかった。
これはオレの夢だ。
オレが忘れようとしていた、オレが逃げようとしていた、本当のオレだ。
 




