竜燐の価値
「ハイリッヒ様、本当にここに敵が潜んでいるんでしょうか。コプト教団が根城にしているとしたら、敵はゆうに100を超えるはず。それにしては静かすぎます」
フィーネは無言で遺構を見つめるハイリッヒに話しかける。遺構は東西数キロに及ぶ広大なもので、雨風を凌げる程度に屋根が残っている部分もあれば、更地のように地面だけが野ざらしになっている箇所もある。
ここがコプト教団の根城であることは、王国直属の斥候が確かめたことであるため、ほぼ疑いようのない事実だ。
一方で、こちらが情報を掴んでいるのと同じく、敵もこちらの動きを事前に察知しギルドによる強襲を警戒しているのであれば、静謐であってもおかしくはない。
結局のところ、フィーネは高まる緊張を抑えこむためのきっかけが欲しかったにすぎないだろう。
「恐らくこちらの動きは把握されている。相手にも優秀なスカウトがいるのだろう。それを差し引いても、戦いを前にこれだけの静寂を保っていられることは驚嘆に値することだ。相応の実力を有した手練れにより固められていると考えるべきだな」
ハイリッヒは王宮内とは異なる口調でフィーネに答えた。
ハイリッヒは竜燐級の冒険者に列せられた際、国王より一代貴族として男爵の爵位と生まれ故郷の村を領土として与えられている。もちろん一介の冒険者であるハイリッヒが自ら統治できるわけはなく、後ろ盾であり、フィーネの実家でもあるウラウベル公爵家に管理を委ねてはいるが、ハイリッヒは最下層の貴族としてケルキヤ王国の統治体制に組み込まれているのだ。
そういった事情もあり、幼い頃から互いを知る身でありながら、公的な場においてはハイリッヒはフィーネに対し、公爵家の令嬢に対する一下級貴族として接している。ハイリッヒが自分に対して立場を使い分けていることは、フィーネにとって喜びでもあり、悩みの種でもあった。
物陰に潜んでいるハイリッヒ達に向かい、遺構から反射光が送られる。先発した斥候からの合図だ。
「行くぞ。たとえ罠であっても、敵が一カ所に固まっていることは幸運だと思うべきだ。我々の身体は一つしかないからな。一挙に叩けるのであれば、この好機を逃すべきではない」
ハイリッヒの言葉にフィーネが杖を握りしめる。
竜燐級冒険者であるハイリッヒが受けることができる案件は限られている。ひとつは国家の存亡に関わるような強大な敵の討伐であり、もうひとつは大貴族や王族から依頼、つまり実質的に命令として下される『紐付き』と呼ばれる事案である。竜燐級冒険者ともなれば、どの依頼を受けるかは統括ギルド長により決定され、本人の意思が入り込む隙間は極めて小さい。
一国の軍隊にも匹敵する実力を持つ冒険者が自由に依頼を受ける、たったそれだけの事が国家内での、あるいは国家間でのパワーバランスすら崩しかねない。冒険者にして冒険者を超えた、埒外の存在。
それが竜燐の騎士ハイリッヒなのだ。
そんな中もたらされた今回の依頼、『コプト教団の討伐』は『紐付き』であり『国家の存亡に関わる』重大なものとなる。
コプト教団の最高戦力である『四罪』を討ち取り、アジトを壊滅することが出来れば、国内外にコプト教団の衰勢と王国の健在を強く喧伝できる。コプト教団に信徒を奪われつつある神王教会に恩を売ることにも繋がる。
病に伏せる国王のもと、後継者争いが激化する王国にとって、コプト教団の国内拠点の壊滅は、政治的な意味合いとしても是が非でも成功させなければいけない国家事業なのである。




