秘蹟
「アルシラ、手ひどくやられましたね、大丈夫ですか。秘蹟の準備は整っています、早くこちらへ」
アルシラがゲートを抜けるとそこには古びた遺構が広がっていた。屋根すら朽ち落ちるほど歴史を重ねた最早廃墟とすら言っていい場所に戦力の半分を投じているという事実は、ここが今から起こるであろう激戦の舞台として選ばれたことを示していた。
「やられた?違うね、このアルシラ様は『山崩し』竜燐級冒険者バオウエルバを討ち取ったんだ、それを忘れるんじゃないよ。下っ端にも伝えるんだ、『破獄』でも『落星』でも『神喰』でもない、『虚空』のアルシラ様が『山崩し』を殺したんだってね」
「もちろんです、貴方はコプト教団の英雄、始祖の教えを世界にあまねく知らしめるための伝道師の一人なのですから」
ミザイの口調はどこまでも穏やかで、殺気に満ちた刃物のようなアルシラの言葉が核心に触れる前にその切っ先を包み込む。
「伝道師の一人っていう物言いが気に入らないね。『神喰』も『落星』も今回の作戦には噛んじゃいないんだろ。なら話は簡単だ、竜燐の騎士を獲ったやつがコプト教団、いや世界で最も恐れられるべき存在だ」
「仰る通りです、結果こそが真実。しかし、お忘れなきよう。我々の本分はあくまで竜燐の騎士の足止め、本格的な交戦は許可されていません」
「『神喰』が来るまでのらりくらりと時間を稼げって言うんだろう、分かってるさ。それに一番適した能力を持ってるのが、このアルシラ様だってこともねえ。ただ戦場じゃハプニングなんて日常茶飯事だろ?やむを得ず戦って結果的に殺すことだってないわけじゃない。そうだろう、ミザイ」
「答えにくい質問ではありますが、総論賛成というところでしょうか。いずれにせよ、自重のほどを、秘蹟をその身に宿したからといって、即座に完調というわけではないのですから」
アルシラの言葉にミザイは賛意を示しつつ、懐から小瓶にはいった液体を取り出すと、傷口に注ぎ祈りを捧げる。みるみるうちに傷口は塞がり、血を失い青ざめていたアルシラの顔色が赤みを取り戻していく。
「へえ、これが秘蹟に力ってやつかい。神王教会の大神官だって治すのに数日はかかる負傷を一瞬で元通りにするなんてことが知れたら、少しはこの糞宗教を信仰する間抜けも増えるんじゃないか」
アルシラは既に塞がった傷を撫でながら、身体を動かす。
「信仰とは奇跡によって示されるものではなく、犠牲によって形作られるものです。こうべを垂れれば餌にありつけるというのでは獣と変わりません。こうべを垂れ、その首を斬られたとしても、なお微笑みを絶やさない。それこそが信仰です」
「ミザイ、あんたも大概偏執的な野郎だねえ」
「誉め言葉として受け取らせていただきます。アルシラ、この後はいかがしますか。じきに竜燐の騎士がこちらにいらっしゃる予定です。ともに出迎えますか、ワタクシ一人では骨が折れますので、手伝っていただけると心の荷が軽くなるのですが」
「待つのは趣味じゃない、撃って出るさ」
「あなたらしいですね、かしこまりました。そういえば、ひとつ思い出しましたので、先に謝罪させていただきます。私が開いたゲートからなにやら異物が紛れ込んだようです。残念ながらワタクシの能力では相手や転移場所を特定するには至っておりません。恐らくは周辺に潜んでいるかと愚考しますので、ご報告までに」
「なるほどねえ、礼を言うよ、ミザイ、ちょうどそいつらをぶっ殺したいと思ってたのさ。病み上がりの肩慣らしには最適ってところだね」
「ご武運をお祈りしております、友よ」
ミザイがうやうやしく頭を下げると、そこには既にアルシラの姿はなかった。




