真夜中の訪問者
「ティベリウス様、客人がお見えになっておられます。まったく、このような夜更けに王族の居城を尋ねるとは常識外れにもほどがあります。世も末でございますね」
「私が招いたのだ、カーラ。天蓋の下の世界は美しく豊かではあるが、世界の大きさに比べ狭すぎる。ずっとここにいては、自分が何者であるかすら忘れかねない」
「ならばご自身が外の世界に踏みだされてはいかがですか。私の仕事も減り助かります」
「なるほど、道理だ」
ティベリウスはそう言うと高らかに笑い、カーラはため息をついた。
「ティベリウス様は既にご存知でいらっしゃるかと思いますが、シュトライトヴァーゲンブルグは本日の奉納レースの話題で持ちきりだとか。グランファレ商会の落日と商会長の処刑、罪なき民草を救うために戦い名誉の負傷をおわれたというリーゼロッテ様の英雄譚、名もなき冒険者によるネロ様への公然たる反逆などなど、流言飛語の類に枚挙の暇がなく、生真面目な私などは噂を耳にするだけでも酔いが回るような話ばかりでございます。果てにはケルキヤ王国が秘密裏に人狼を兵士として飼育し、人間を奴隷にすることを企んでいるという噂まで広がっているとか」
「人狼一人でそこまで妄想の翼を羽ばたかせられるのは羨ましくもあるな。我らを見たらどのような言葉を紡ぐのか試してみたくもあるが………」
ティベリウスは続く言葉を飲み込み、銀杯をゆっくりと傾ける。
芳醇な香りを湛える葡萄酒は血のように赤く、それを一息に飲み干す姿を想像力豊かな者が見れば、生き血をすする吸血鬼を想起するかもしれない。
「探求心を持たれるのは結構ですが、妄想の贄になるのでしたらティベリウス様お一人でお願いいたします。私の肌は好奇の目に耐えられるほどの若さはありませぬゆえ」
カーラが言い切ると、それに合わせるかのように鈴の音が響く。
「それでは、私はこれにて失礼いたします」
カーラがその場を後にすると、入れ違いに一人の少女が部屋に入ってきた。
「お会いできて光栄です、ティベリウス様」
くるみのような瞳を持った少女は、柔らかな声でそう言うと人懐っこい笑顔を浮かべた。まるで春風にそよぐ花のような純朴で飾り気のない笑みは、およそ王族と対峙する一市民の態度として相応しいものではなかった。
「こちらこそお待ちしておりました、ヤダ・ヨーサ殿」
二つの笑みが重なるなか、窓から差し込む月明かりが二人を捉え、その後ろに濃い影を作り出していた。風に揺れるレースのカーテンに合わせ姿を変えるその影は、あたかも二匹の獣のような形を床に刻んでいた。




