王女として
グランファレ商会の会長が物言わぬ躯となり、最後の供物となる女性と子供が舞台という名の祭壇にあげられたことで熱狂に包まれてた競技場は、一人の少女が現れたことにより水を打ったように静まり返った。
ゴブリンの群れを前にしても、凛とした気品を持って静かに佇む少女の姿をオレは見たことがあった。
奉納レースの始まりを告げる合図、その中心にいた美しい少女。その名はたしか…
「リーゼロッテ」
そう、間違いない、あの少女はケルキヤ王国の王女リーゼロッテその人だ。
王女様がこんな場所にいったい何のために?
まさか、この虫も殺さない顔をしている少女も、この狂った見世物の仕掛け人になのか?
観客席が徐々にざわめき立ち、警戒し距離を取っていたゴブリン達が徐々に包囲の輪を縮めるなか、少女はそれを気にする素振りもなく、貴賓席に向かって口を開いた。
「病床の国王になりかわり王女リーゼロッテが命じます、このような愚かしい行為は即刻中断し、この者達を解放しなさい。それが彼女達のために命を賭して戦った者へのせめてもの償いとなるでしょう」
澄んだ硬質な声が競技場内に響き、再び時が止まったかのような錯覚を覚えさせる。
舞台には奉納式でも用いられていたであろう声を増幅する魔法が使われているのか、すべての観客の耳目は王女に吸い込まれている。
競技場の衛士達は突然の事態に右往左往するばかりで、王女から距離を取り互いの顔を見合わせるばかりだ。ゴブリン達も最低限の理性は備えているのか、もしくは剣闘のため調教を施された個体なのか、機会を窺うように距離を縮めるだけで、目の前の極上の獲物に飛びかかろうとはしない。
「その必要はありません、早く余興を続けるのです、ゴブリン共に合図を出しなさい」
この残酷な余興もこのまま終わるのかと、観客が半ば不満気な、半ば安心したような反応を見せ、空気が弛緩しかけた瞬間、一人の背の高い男が王女に向かい口を開いた。
「何を言っているのです、これは王命です。王命に背くというのですか?」
「これはまた異なことを仰る。私が王と仰ぐ方はただ一人、偉大なる叡王スッラ・ユリウス・カエサル様に他なりません」
「私は王女として、王に成り代わり命じています」
「我らグランファレ商会は王の裁可を戴き、この都市における興行の自由を許されております。如何に王女殿下といえど、勅許による正当なる商行為を、一個人の私心により覆されるのは王命を軽んずることに変わりありません。叡王の忠良なる臣民としては、王命をおいて勅許を覆す根拠とはなりえないのです。躾は行き届いているとはいえゴブリンは所詮ケダモノと変わりません。お怪我をなさらぬうちに、どうか貴賓室にお戻りを」
「戻らないと言ったらどうするつもりですか」
「我らグランファレ商会は王に忠誠を誓った身。王女殿下に出ていけなどと命令できるはずもございません。我々は余興を続けるのみ。王女様におかれましてはご随意に」
慇懃無礼な態度、人をおちょくるような言葉遣い。
その言動からは温室育ちの姫君など少し脅せばすぐに逃げるだろう、という余裕がありありと見える。
「わかりました、ならば私は行動で示すのみです。魔法の心得であれば多少はあります。私が彼女達と共に相手を倒せば、勝者として彼女達に自由と身の安全が与えられる、それでよいですね」
王女は怯むことなく真っすぐと興行主を見据える。その言葉や態度にためらいや恐怖は一切見られない。
「王女殿下、本気で仰っておられるのですか?それとも、そう言えば我々が引くと高を括っておられるのか」
「私は本気です」
男はチラリと貴賓室に視線を向ける。
「………かしこまりました、王女殿下がそう仰るのであれば、一臣民の立場でこれ以上申し上げることはございません。ご武運をお祈りいたします。では、始めなさい」




