竜のねぐら
「可愛かった〜、子どもって柔らかくてどれだけ触ってもあきないよね。」
「ありがとう、オークの子どもをこんなに可愛がってくれる人間は初めてみたわ。」
食器を片付けながらラグさんが言う。
「でもなんでオークの村にウェアウルフちゃんがいるの?わかった、オークって他の種族も産めるとか!?」
「はは、そんな都合の良い身体してないわよ。あの子達は孤児なの。私達は子どもが作れないじゃない。それで身寄りのない子を自分の子どもとして育ててるのよ。」
「孤児?」
「そう。近頃森の奥深くまで人が入り込んでくるようになったの。さっきみたいな貴族の兵隊だけじゃなくて、冒険者やら村の力自慢やら、定住地を持たないならず者とか色々ね…。そういう輩が私達みたいな亜人を見ると誰かれ構わず襲ってくるのよ。」
ラグさんの口調は明るいが、声は震えている。
「私達はなにも悪いことをしてないの。だけど亜人って言うだけで襲われて、戦利品に耳をちぎられ死体は捨てられる…親のいない子供達の運命は決まってるでしょ。だから私達が世話してるの。可愛いのよ、あの子達。ちょっと行儀が悪いけどね。」
ラグさんが言うとダグさんは笑った。良い夫婦だな。
「酷い…。でも、どうして人が森の奥まで入ってくるようになったんですか?」
ナナセが問いかける。
「旅の人には分からないと思うけど、この辺り一帯は『竜のねぐら』って言われてて、古の時代から数千年生きてるって言われてる『大森林の邪竜』の縄張りになっているの。だから大森林の周りにある国なんかも竜を刺激しないために無理して支配に乗り出すような事もしなかったし、人も安易に入って来なかったんだけど、ここ数十年、少なくとも私が生まれてからはずっと竜の消息が不明でね。とある国が大森林の邪竜を怒らせたせいで、一夜にして都市を壊滅させられたっていうお伽噺だけがこの森の守り手になっちゃってるのよね。」
ラグさんは悲しそうに言った。
消えた『大森林の邪竜』。
主人を失った『竜のねぐら』。
そしてそこに住む亜人達。
関係のないオレ達にとっては興味深い話だが、当事者にとってはまさに死活問題だろう。
「あの兵隊さん嫌な感じだったよね。オークだからって悪者だって決めつけて。」
ワカナはぶーぶーと文句を言っている。
「でも近隣の村と交易もしてるんでしょ?オークや亜人に対して偏見がない人達もいるの?」
それまで黙っていたミカヅキが口を開く。
「私達夫婦だけで細々とね。さっきの狼の毛皮なんかも結構良い値になるのよ。他にも私達にしか見つけられない珍しいキノコなんかもあったりして、人の世界では珍味だって凄い高値で取引されるらしいわ。」
トリュフだ、間違いなくトリュフ。
「他には私が趣味も兼ねて作ってる香油とかも人気なのよ。それで人からは大麦やライ麦、たまに小麦なんかを貰ってるのよ。さっき飲んだお酒も交換した穀物から作ったのよ。」
あのお酒は全くの自作なのか。そう考えるとかなり出来は良いのではないかと思う。
現代日本の美食に慣れたオレが少なくとも拒否反応が出ないレベルの味に仕上がっていたことを考えると、この世界が中世程度の文明段階だとすれば十分に特産品になるんじゃないか。
香油もいい匂いだし、ラグさんダグさんは不器用なイメージのある…というか知性のない野獣的な印象があるオークでありながら、オレなんかより遥かに創造性が豊かで物作りに長けているんだろう。
新しい世界に来たんだ、ステレオタイプな偏見は捨て去らないとダメだな。
「近頃は貰った穀物を見よう見まねで畑に撒いたりしてるんだけど、あんまり上手くいかなくて、コツを教えて貰うために知り合いの人のところに行こうと思ったら追われたの。あなた達がいなかったら間違いなく殺されてたわ。助けてくれて本当にありがとう。」
「助けたのはアツコ一人よ。私達は立ってただけ。」
そうです、特にオレは本当に突っ立ってただけなんです…。
「交易や農業がもっと盛んになれば、子ども達も思う存分食べられそうですね。でも、そのためには人間の亜人に対する誤解を解く必要がありそうです。」
ナナセが言う。
「ラグさんダグさん頑張ってるんだね。でも、その割にはなんか村の人達冷たい気がする。私達がこの村に来た時も、思いっきり嫌な顔されたし。」
ワカナの発言にオレは思わず頷いた。
この村に入った時から感じていたが、村のオークの敵意はオレ達だけでなく、この二人にも向けられているように思えたのだ。
オレ達だけならばよそ者が厄介事を運んできたと思われてもおかしくないが、この二人にまで敵意が向くのは穏やかな話ではない。
「簡単に言うと嫌われてるのよね、私達。オークの男は逞しく男らしくってのがこの村にとっての普通なの。それが私はこんなんでしょ?それに古いしきたりとか、先祖伝来のやり方ってのが幅を利かせてて、新しいことを始めるオークはつまはじき者なの。でもこれが正しいとか、こうしなきゃ間違ってるとか、一方的に誰かに決められるのが嫌なのよね、私は。小さい頃からね。だから自然と避けられるのよ。あと…。」
ラグさんが言い淀む。
「気を悪くしないで欲しいんだけど、この村の皆は人間に限らず他種族を全部敵だと思ってるのよ。人間もエルフもウェアキャットもウェアウルフもね。そんな敵と取引してよく分からない事をしているうえに、村に招いたとなったら嫌われてもしょうがないわ。私の亡くなった祖父が族長だったから許されてるところがあるけど、そうで無かったら今頃村から追い出されてた所ね。」
ラグさんが渇いた声で力なく笑った。
「互いに理解し合うことは難しいのでしょうか?」
ナナセが沈痛な面持ちで言う。
「難しいでしょうね。そもそも私とダグ、村長くらいしか人間の言葉を話せないもの。それに古くからのしきたりを変えるくらいなら、死んだ方がマシっていう頭の固い連中も多いのよ。人間が森に入ってきて、元からいた亜人達同士が小さな縄張りを争って…そんななかで森の獣達はどんどん減っていってるってのに、誰も変わろうとしないの。誰も変えようとしないの。ウチの子達がなんでココにいるかわかる?親が人間や亜人に殺されたから、口減らしに森に捨てられようとしていたのを私達が拾ったのよ。仲間の子供達が死にそうになっているのに、村の連中は『親子でいなくなれば村の食糧に余裕ができる』なんて平然と言うのよ!!子供も守れないようなら、そんな村滅びればいいわ!!」
そこにはさっきまでの温厚なラグさんはおらず、義憤に打ち震える一人のオークがいた。
「ラグ、飲みすぎよ。」
「…ごめんなさい、愚痴を言ってしまって。命の恩人のまえでみっともないとこ見せちゃった。でも私は、いえ私達は諦めないわ。交易でも農業でもなんでもやって、あの子達をちゃんと立派な大人に育ててみせるの。やれば上手くいくってわかればきっと村のみんなも理解してくれる。それにあの子達が未来の村を引っ張っていってくれる。オークだって、ウェアウルフだって、ウェアキャットだって、エルフだって同じ思いがあるなら一緒に生きていけるって、きっと分かってくれるわ!!」
ラグさんはそれから心の奥底に溜まっていた物を一気に吐き出し、オレ達はただそれを聞いた。
オレ達が知りたいこの世界の情報はそこにはほとんど無かったが、真剣に耳を傾けざるおえない力が彼女の言葉にはあった。
「ごめんなさいね、命の恩人に酔っ払いの相手させちゃって。ラグったら、普段私や子ども達以外とはほとんど話さないから、聞いてくれる人がいて嬉しかったのね。」
「いえいえ、私達も実際にこうして村に招いて頂いて話を聞かなければ、分からなかったことばかりでしたから勉強になりました。」
酔いが回った頭を振り絞りなんとか言葉を紡ぐ。
「よかったら、もう2、3日泊まっていってくれないかしら。ラグも子ども達も喜ぶと思うわ。」
「お心遣い感謝します。しかし、そこまで甘えるわけにはいきません。私達は大所帯ですし…。」
正直なところもう少しここにいたい気持ちはあるのだが、さっきの話を聞いてしまっては何日も滞在してただでさえ苦しい食糧事情を悪化させるわけにはいかないだろう。
「行く当てはあるの?今日の様子だと森を彷徨っていたみたいだけど。」
「それなんですが、もしよろしければ近くの村の場所を教えて頂けますか。大きな町の情報もあればなお有難いのですが。」
「私達は森の近くにある村とのやり取りしかないから町については分からないけど、そこでいいなら案内できるわ。あんな事があって子ども達も不安がってるから私は家に残らなきゃいけないけど、ちょうどラグが今日とは別の村に交易の交渉に行こうとしていたところだし、一緒についていって貰えるかしら。ラグだけで行かせるのは不安だったの。」
「こちらこそ喜んで。アツコもそれでいいか?」
オレはオークの村に来てから一言も喋っていないアツコに話を振った。
「ええ、兄様が行くところならどこでもついていきます。」
アツコはそう言うと笑みを浮かべた。
 




