王宮の朝(2)
がたん、と部屋をノックする音に立ち上がってしまった。
今し方思い浮かべていた人の声が聞こえて、心臓がバクバク凄い勢いで鳴っている。
「あ、あ、あ、あ、あ……」
「お嬢様、落ち着いてください」
「深呼吸ですよ」
「は、ははひひひぃ、ひいぃぃぃ、ひいーーーっ」
「もはや悲鳴」
三人に肩を撫でられたり頭を撫でられたり背を撫でられたりして、とにかく必死に深呼吸をする。
それから、震えながら口を開く。
「やっぱり無理ー! リリィ、ノリガ、エマお願いします! 対応してくださいっ!」
「ここでまさかの丸投げ!」
「やはり対人を拗らせてらっしゃる!」
「でもお嬢様のお願いなのでやるわよ!」
「「おう!」」
三人とも力強い。
「おはようございます、イングリスト殿下。エーテルお嬢様はこちらでございます」
「おはようございます、リリィさん、ノリガさん、エマさん」
なっ! なんと!
リリィたちの名前をしっかり覚えていらっしゃるなんて!
リリィたちもこれには目を丸くして驚いている。
部屋に入ってきたイングリスト殿下の、その爽やかな姿。
ふ、ふれぐらんす……?
香水?
それに、イングリスト殿下の周りにはキラキラとなにか光が舞っている。
あれが祝福だろうか?
「おはようございます、エーテル嬢」
「っっっっーーー!」
ま、眩しい!
微笑まれただけで目が爆発してしまったみたい。
思わず顔を両手で覆ってしまう。
だって、だって仕方ない。
私、十五歳の頃からずっと山の一軒家で一人暮らしだったのよ。
同い年の男の人なんて、見たことがないのーーー!
「お、おは、おは、おはよう、ございます……」
「ご気分はどうですか?」
「だ、だいびょ、ぶ、でふ」
か、噛んだーーー!
むしろ噛み噛みー!
家族以外の人と“会話”なんていつぶり?
わかんないわかんない。
もう十年か、そのぐらいぶり!
「朝食をご一緒してくださいませんか?」
「…………」
ふるふると震えながらリリィたちを見る。
ぐっ、と拳を握っていた。
はい、逃げられないんですね。
「は、はい。ええと……でも、あの」
「はい」
「わ、わた、し、食事の、マナーとか……」
「大丈夫です。淑女教育を受けておられないんですよね。エーテル嬢には負担になってしまうかもしれませんが、今日から家庭教師に来てもらえることになりましたから、一緒に頑張りましょう!」
「へぅ!?」
家庭教師!
つまり淑女教育を受けろ、ということ!
ま、まあ、そ、そうだよね。
王子様の婚約者になったなら、それは仕方ない……。
「…………」
「エーテル嬢?」
「あ、あの、あの……私のような者を、婚約者に据えるよりも……ええと、そ、そう! 私の呪いがお役に立つのなら、婚約者ではなく、お側に仕えるだけで、いいと思うのですが!」
そうだ、私みたいに一からマナーを叩き込まなければいけないような者よりも、昨日のパーティーにいた——…………ええとー……名前は忘れたけど、あの黒い縦巻きロールの彼女みたいに、王妃教育を受けている方、みたいな方の方が絶対にイングリスト殿下にはお似合い!
だから、私のことは置き物のように扱ってください!
「それでは、あなたの幸せはどうなるのです」
「え」
「自分はこの祝福から、死ぬまで逃れることはできません。つまり、自分にはエーテル嬢、あなたが生涯必要なのです」
「ぴぅ……っ!」
しょ、しょしょしょしょ、生涯!
真正面からキラキラした瞳で、顔で、姿で言われると、やっぱり直視ができない!
「そして、あなたにも自分の祝福がお役に立てます。自分が側にいれば、あなたの呪いも相殺されるのですから」
「あ、あう、あう、あうっ!」
て、て、て、手ぇ!
手を握られてますよ私!
お、おおぉぉ王子様に! イングリスト様に!
そして顔がとても近い!
え、なんの話ししてますか?
顔が近くてなにも聞こえない。
「それならば夫婦として、生涯お互いを支え合うべきではありませんか!? それこそが健全な関係だと思います! それに、自分はあなたとなら、側にいられるのです。他の女性では、兄上や母上のようにしてしまう。ですが、あなたなら!」
「は、ひ、ふ、は、ほ……はふ……っ」
「エ、エーテル嬢?」
顔が、近い。
手が、熱い。
声が、匂いが、体温が、存在が。
目の前がぐるぐるぐるぐる。
このままでは、私、また——!
「失礼いたします! 殿下!」
「申し訳ありません、イングリスト殿下! エーテルお嬢様は呪いの影響で、人に慣れておりません」
「ええ、ええ、特に殿下のような同い年の殿方とは、お話ししたこともありません!」
リリィたちが、私の限界を察して私とイングリスト殿下を引き離してくれる。
た、た、助かった。
い、いえ、全然助かってない。
体が震えて止まらない。どうなつているの、これ?
「っ、も、申し訳ない! 自分もご令嬢との距離感がわからないので、色々焦りすぎてしまったのですね……」
「そうですね、ゆっくりと距離感を測っていってくださいませ」
「それに、これから朝食でございましょう?」
「早く行かねば、陛下や旦那様をお待たせしてしまいます」
「それもそうですね。では、参りましょうか、エーテル嬢」
エマに背中を撫でられて、宥められる。
目の前がまだぐるぐる回っているけれど、陛下やお父様、と聞くと体はゆっくり歩き出した。