溢れ始める
「私、イングリスト様がお帰りになるまで、イングリスト様がいらしたという離れの屋敷に一人でいます。そこで、勉強を続けながら、お帰りをお待ちします。毎日、イングリスト様のご無事をお祈りしていますね」
「エーテル……」
「だから、どうか……ご無事でお戻りください」
「……っ、はい。早く行って、早く帰ってくることにしましょう」
ああ、やっぱりとても眩しい。
イングリスト様が微笑むと、世界がキラキラと光り輝く。
不思議だな、と目を細めていると、イングリスト様が突然立ち上がって私の隣に座った。
そんな、動いている馬車の中を動くのは、とても危ないのに……。
「あなたが待っていてくれると思えば、自分はきっと頑張れる。それでも、少しでも離れることを寂しいと思ってしまう。それを申し訳ないと思います」
「そ……」
キラキラがたくさん降ってくる。
体温が近くて、温かい。
がたん、と少し大きく揺れて、ますます顔が近くなる。
私が馬車で動けば車輪が石と石の溝に詰まったり、水溜りにはまったりするのにそれもなく進む。
それはすべてこの人のおかげ。
私が“令嬢”らしく綺麗で清潔なドレスを纏い、勉強を教わり、マナーを教わり、“人間”らしく生きられるのも。
この人がいない人生に、私は戻れるのだろうか。
「……わ、わたし、も……」
そう思ったら、口が勝手に動く。
指先が震えるほどに緊張しているし、相変わらずこの美しい人を直視もできないのに。
「イングリスト様と離れるのは……さみしい……です」
考えただけで胸が苦しい。
けれど王子として、王太子として、行かなければならないのだと理解はしている。
胸元を押さえていた両手を、イングリスト様の手が握り締めた。
突然のことで驚いたし、痛くはないけれど……。
「エーテル、キスしてもいいですか」
「っ!?」
「あなたが愛おしくて、苦しいです」
「そ……」
本当に苦しそうなイングリスト様の表情。
ど、どうして、急に、そんなことに?
それに、キ、キス!?
「む、むり、だめ、だめです」
「そ、そうですよね。馬車の中は揺れますから、危ないですよね」
「え、あぁぁぁぁの、は、はい、そうです、あ、あぶ、危ないので……!」
すっ、と離れていく体温に、急激な寂しさと物足りなさを感じるものの——次の瞬間馬車が大きめにガタン、と揺れてハッとする。
そう、こんなに揺れるのに顔を近づけたりなんかしたら、おでこがぶつかって怪我をさせてしまうかもしれない。
鼻がぶつかって、イングリスト様の高い鼻が折れてしまうかもしれないわ。
いくらイングリスト様の祝福の効果で私のの呪いが相殺されているとしても、なにが起こるかなんてわからない。
事故とは、呪いがなくても起こるものだもの!
「こ、これから夜会ですから……」
「そうですね。エーテルのお化粧が、崩れてしまいますよね。すみません」
「い、いいえ」
体が震えて仕方ない。
は、恥ずかしい!
それに、イングリスト様の顔がまともに見れないっ!
慌てて窓の方を見て、失礼かもしれないけれどイングリスト様へ背中を向ける。
すみません、すみません!
でも、顔がまともに、見られそうにないんですぅー!
そんな馬車移動を経て、小宮殿に到着した。
イングリスト様のエスコートで馬車を降り、小宮殿内のダンスホールへと進む。
もうすでに、周りの視線が痛い。
ただ、イングリスト様のお誕生日の時と違うのは困惑や戸惑いの空気が濃いこと。
私への畏怖や嫌悪は少ない。
イングリスト様の祝福へのもの、という感じでもないし……なにかあるのだろうか?
名前を呼ばれてホールの中へ入り、主催の側へ向かうとオレンジ色の髪のご令嬢と紳士がイングリスト様へ頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいませ、イングリスト殿下。いやいや、この度はご婚約おめでとうございます」
「ピーナシア侯爵、今宵はご招待ありがとうございます。こちらが自分の婚約者である、エーテル・フローティア嬢です」
「お初にお目にかかります、ピーナシア侯爵。わたくしはフローティア侯爵家長女、エーテルと申します」
「初めまして、エーテル嬢。お会いできて光栄です」
イングリスト様の紹介で、私から自己紹介。
うん、大丈夫。
学んだことは身についているわ。
よかった。
「あれが“呪厄令嬢”だと? 本当に?」
「間違いない。イングリスト殿下の誕生日パーティーで見た。ずいぶん見違えたな」
「本当。王妃教育をきちんと受けているのね」
「淑女教育もまともに受けていないと聞いていたから心配していたけれど、姿勢も挨拶も美しいわ」
「そうね。イングリスト殿下の隣に並んでも堂々としていて……意外だけれど……」
「認めるのは癪だわ。でも、イングリスト殿下の祝福の話を聞いてしまうと、認めざるを得ないのかしら」
周りからの声もしっかり聞こえてくる。
私に聞こえるのだから、イングリスト様にも聞こえているんだろうなぁ。
批判的な意見ばかりではないみたいで、ちょっと安心。
顔を上げると、侯爵が後ろにいた令嬢を見る。
それを合図にしてそのご令嬢が「ジュリア・ピーナシアでございます、エーテル様」と私を見てニコリと微笑む。
あ、私への挨拶か!
しかし、一度侯爵へ挨拶しているから、ええと……。





